第11話 こどもレンタル

 始まりは、育児ノイローゼになりかかった(あるいは既になっていた)母親がSNSに


『こどもレンタル』始めます。ゼロ歳から十五歳まで。応相談。


 というやけっぱちな募集を出したことによる。この母親は、生まれて間もない赤ん坊から中学三年生まで、年子で十六人の子育て中であり、当然のことながら、くたびれ果てていた。


 子供を物のように貸し借りすることに対し、たちまち多くの批判が寄せられたが、母親は意に介さず、DMで打診してきた人々に次々と子供を貸し出した。レンタル自体は無料だが、保証金として三万円、子供を受け取りに来た時に納め、子供を返却すれば返金される。借り主には、子供を飢えさせないこと、健康的な食生活をさせること、高価な物(ゲーム機等)を買い与えないこと、宿題をやらせること、何時までに就寝させること、更にはそれぞれの子の食べ物の好みや性格、アレルギーの有無などの注意書きが配布される。


 一番人気は三歳までの乳幼児で、これは子育てを経験してみたいあるいは小さく可愛いものに癒されたいという二十代から四十代の女性の需要が高かった。小学校高学年から中学生までは、子育てを終えて久しい老齢カップルがもう一度子育て気分を味わいたいが乳幼児の世話をする体力はないから、などという理由で、これも人気があった。その間のグループも、上下のグループが既に貸し出されている為、「じゃあ……残りの子で」という理由で頻繁に借り出された。


 レンタル業は順調で、気が付けば、家に子供が一人もいないという日もあった。しかし母親には寂しく思う時間もなかった。レンタルの依頼が次々と舞い込んできて、そのアレンジメントに忙しかったのだ。


 我が子を預ける先は、勿論どこでもいいわけではなく、就学児童・生徒達を平日も含めてレンタルする場合は、学校に通える範囲に自宅があり必要に応じて送り迎えをすることが条件だし、初めてのレンタル先や、言葉で虐待被害や不満を訴えられない乳幼児のレンタル先の場合、児童虐待の危険がなさそうな、子供を預けるのに相応しい人物であることを事前に調べておく必要がある。あまり気にしないようにしていたが、SNSでは相変わらず「育児放棄」だの「人身売買」だの好き勝手な誹謗中傷を繰り返す輩が後を絶えないことを母親は知っていた。更には「何で避妊しないの?」だの「コロコロ産んでおいておいて無責任」だの。


 勝手なことを言わないでほしい。


 騒々しい子供達がいなくなり、やけにがらんとした家で、母親は思う。その日は五歳の息子と十四歳の娘だけが家にいた。五歳児はイヤイヤ期真っただ中で手が付けられないため借り手がつかなくなっていた。十四歳も反抗期で、借り主のご夫婦に対し「くたばれクソジジイ、クソババア!」と罵倒したため期間満了を待たずに「返却」されていた。


「お母さん、もうやめてよ、こんなこと。私、学校で苛められてるんだよ。貧乏子沢山、家族で子供売り飛ばしビジネス絶賛展開中って。恥ずかしくてもう学校行きたくない」


 と金切り声をあげる十四歳の足元では、いやいやいやいやと泣きわめく五歳児が寝転がって手足をばたばたさせていた。今までは更に十四人の子供達がいたことを思えば、この程度の騒々しさは笑い飛ばせるはずだった。しかし


 母親はまず十四歳に、次に床で暴れる五歳の胸ぐらを掴んで立たせ、それぞれに往復びんたを食らわせると、無言のままキッチンへ移動した。これまでは、子供達に手を上げることなどなかった。彼女も夫も。


 大家族では夫婦のプライバシーのための部屋などなく、彼女にとってはキッチンが自分の部屋であった。といっても、『こどもレンタル』を始めるまでは、常に乳幼児やお腹をすかせた小中学生達がひっきりなしに出入りしていたのだが。今はひっそりしたキッチンで彼女は溜息をついた。エプロンのポケットの中のスマートフォンにひっきりなしに着信が来るのは、レンタルの打診だろう。


 子供というのは、結局いてもいなくても手間がかかるものだと母親は思い、無意識のうちにそろそろふくらみが目立ち始めたお腹をさすった。今回は双子であった。夫に告げた時、彼は「ああ、そうか。双子なのか」と苦笑いしながら溜息をついた。


 全ての子の父親である彼も子育てには積極的にかかわっていた。しかし、やはり、一日の半分を会社で過ごす人間だ。レンタル業務にはかかわっていないし、初めのうちこそ「家が静かになっていいな」などと喜んでいた父親だが、最近は何となく寂し気に見える。


 勝手なことを言わないでほしい、とまだ何も言われていないが母親は思う。十六人産んだのは自分で、これから十七人目と十八人目を産むのも自分だ。


 また電話の着信音が鳴った。母親は溜息をついてスマホをとり出した。



 その年の年末は、母親の発案で、久しぶりに家族水入らずで過ごすことになった。二歳になった最初の双子は、小学六年生と三年生のしっかり者の娘達が見てくれている。その次に生まれた一歳の双子は、高校生の娘と息子がそれぞれ膝に抱き抱えてあやしており、それ以外の幼い弟妹も兄姉のいずれかが面倒をみている。九ヶ月になる末っ子は夫が抱き抱え離乳食を与え、そして、年明け早々には生まれる予定の三組目の双子が母親の腹の中にいて、ぽこぽこと内側から蹴とばしている。


 子供は高校三年生を筆頭に総勢二十一名、お腹の子も含めれば二十三名になっていた。


 すき焼きは四つのテーブル・座卓に四つのガスコンロと鍋をキッチンとその隣の居間に並べて実施している。騒々しいことこの上ないが、彼女は、やっぱり子供というのはいいものだ、と思う。


 子のレンタル業務は順調だった。SNSで懸念されていたような子供の性的虐待や誘拐事件に至るようなこともなく、今では常連さんもでき、夏休み冬休みには必ずいずれかの子を避暑地の別荘に招いてくれるご夫婦や、是非養子にしたいと申し出る人までいるくらいだった。


 母親は実は、子供が望むのであれば養子に出してもよいかという気になっている。口減らしではないが、他所の家庭にもらわれて行けば、苦労せずとも大学に進学することが可能になる。我が家に留まっていたら、高校卒業後に就職か、自分で奨学金を借りて進学するしかない。


 だが、子供達の誰もが、どれだけ裕福な家にレンタルで貸し出されて行っても、やっぱり家がいいと帰って来た。自分の育て方は間違っていなかったのだ、と彼女は密かに涙した。


「さあみんな、どんどん肉を食べなさい」


 子供達のレンタル業では金銭的利益は一切発生しないものの、食べ盛りの子供達が何人か家を留守にするだけで、食費がかなり節約できた。大家族の家計で食費は恐ろしい金額に達するため、なかなか育ち盛りの子供達に向かって好きなだけ肉を食べろなどと推奨することはできなかった。それが、『こどもレンタル』のお陰で年末ぐらいは良い肉を買って、お腹いっぱい食べられるようになった。始めた時は自暴自棄になっていたが、『こどもレンタル』を始めてよかった、と彼女は思った。家族全員でいられる幸せも、以前より身に染みて感じられるようになったし。


「お母さん、ちょっと」


 暗い顔で高校三年生の長男に呼ばれ、誰もいない子供部屋に連れ出された母親は

「どうしたの?」

 と小声で聞いた。この家ではプライバシーは殆どないと言っていい。


「卓也の姿がみえないんだけど、どうしたの? 今日は全員集まるって聞いてたから、ちょっと心配になって」

「卓也?」


 母親は少し考えた。一瞬誰のことだかわからなかったが、思い出した。卓也は十一番目の子で八歳、非常に大人しく、イヤイヤ期も反抗期もなく現在に至っている子だ。


「卓也がいない? そんなはずは」


 お母さんは顔色を変えて、キッチンと居間に戻り、我が子の数を数えてみた。


 二十人


 何度数えても二十人しかいなかった。残りの一人は、勿論トイレに行っているわけでもどこかにかくれているわけでもない。そういえば、卓也の姿をもう随分見ていないことに母親は気付いた。最後は、一体いつだったか。


「お母さん」


 高校生の長男が、更に深刻な顔をしてスマホの画面を差し向けた。


「卓也は確か、天野さんっていうお宅にレンタルされてたよね?」

「ええ、そういえば、そうね」


 長男のスマホの画面に写っているのは、天野夫妻の奥さんの方のインスタグラムだった。そこにアップされている写真に「ドバイに引っ越して一ヶ月、ようやく慣れてきました」と高層ビルの屋上から青い海と空を背景にしたリゾート地を思わせる風景に、白い帽子を被って天野夫妻に肩を抱かれ、はにかんだ笑顔を浮かべる卓也の姿があった。


 母親は呆然と呟いた。


「あらまあ、あの子、いつの間にこんなに背が伸びたのかしら」

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