第7話 鬼の啼く家

 サチの家は山の中にあるわずかな田畑を耕して生活している。父と兄が狩りに出かけることもあるが、父、母、兄、サチ、そして長患いで寝込んでいる妹のフミの五人は、家族だけで静かな暮らしを営んでいた。

 妹フミは寝たきりだし、兄は「女なんかとは遊ばない」と意地悪を言うので、サチは家の手伝いをしていない時は、いつも一人だった。ボロボロの端切れを縫い合わせたお人形や、山の中で見つけた鳥の巣でピーピー泣いている雛が彼女の遊び相手だ。


 ところがある日、山の中を散策中、獣道をひょいと曲がったところに、自分と同い年ぐらいの女の子が立っているのをサチは見つけた。

 サチも驚いたが、相手の女の子はもっと驚いたようだった。サチが

「あの……」

 とおずおずと話しかけると、着物の袖でパッと顔を隠し、踵を返して一目散に逃げ去った。


 呆然と立ちすくむサチが我に返ると、女の子が立っていた場所にお人形が落ちていた。それは、先ほどの女の子がそのまま小さくなったような、色白で頬が赤く、真っ黒く艶やかな髪の人形で、着物も上等だった。サチが持っている「お人形」とはえらい違いだ。


 サチはお人形を持って家に帰った。驚いた母に「どこで手に入れたのか」と詰問されて泣きそうになりながら事情を打ち明けると、母は悲しそうな顔をして、

「そのお人形は明日、元の所に戻しておかなければならないよ」

 と言った。何故と尋ねても最初は教えてくれなかったが、サチがあまりにも熱心に訊くので

「お父さんに訊いてごらん」

 と大きな溜息をついて、母は目を伏せた。



 粗末な夕飯を皆で食べた後、父はサチに「ちょっとおいで」と言い、二人は家の外に出た。陽が暮れかかった山はほぼ闇の中に沈んでいた。サチたちは皆、日が沈むと寝るのだ。

「里の女の子に会ったそうだね」

 父の言葉に、サチは頷いた。

「可愛い子だったかい?」

「優しそうな子だった」

「そうか。でも、その子とおまえは、友達にはなれないんだ」

 何故かと問うサチに、父はこんな話をした。


 里に住むのは、ヒトではなく鬼である。鬼は人の肉を喰らい、非道の限りを尽くす生き物だ。サチの一家はかつて里に住んでいたが、鬼から逃れるために山奥に逃げた。サチが出会った女の子も、見た目はどうであれ、鬼である。鬼とヒトとは共存できないため、家族の安全を守るためには、彼らから距離を置いて暮らさなければならないのだ。


「でも、あの子のお父さんやお母さんがここまで私たちを食べに来たらどうするの?」

 サチは半泣きでそう尋ねた。父は

「鬼は里にしか棲めない生き物だ。彼らはヒトの大勢居る所でなければ生きていけないから。山の中に私たちだけで隠れていれば大丈夫だ」

 と娘のぼさぼさの頭を撫でた。


 その夜サチは、女の子が落としていった人形を抱きながら寝た。寝る前にちょっとだけフミにも人形を触らせてあげた。長らく笑顔など見せたことのない妹が、やせ細って飛び出さんばかりの大きな目を輝かせたので、サチは明日が来なければいいのに、と思った。

 サチの夢の中には、あの女の子が登場した。女の子は袖で顔を隠しているのだが、それをどけると、目はきりきりと吊り上がり、口からは長い牙を生やし、タラタラと血を流していた。だがそれでも、目だけはあの時の、優しそうな瞳のままだった。それはとても寂しそうで、あの子も友達がいなくて寂しいのだろうか、とサチは思った。



 翌日、昨日人形が落ちていた場所に戻ると、女の子が藪の中に頭を突っ込んでいるのが見えた。お人形と同じで、女の子の着ているものも、ずいぶん上等だった。

「何してるの?」

 びっくりしたサチは、思わずそう話しかけてしまった。女の子はびくっとして慌てて頭を引き抜こうとしたが、枝に髪がからまってうまくいかない。もがいている彼女に「ちょっと、あわてないで」とサチが絡まった髪をほどいて女の子を開放してあげた。


 自由になった女の子は、きっとサチを睨みつけたので、サチは父の話を思い出し(私を食べる気かしら)と不安になった。しかし、女の子の顔が夢の中のような恐ろしい形相になることはなく、女の子はサチの持つ人形を指さして、言った。

「それ、私の!」

「そうだった。これ、昨日落としていったから、返そうと思って」

 サチが人形を差し出すと、女の子はサチをじろじろ見て

「あんた、病気には見えないね」

 と言った。

「私は元気だけど?」

 とサチはびっくりして言う。

「おとうとおかあが、あんたの家に近寄ると疫病をうつされるって。だから、人形は諦めろって」

「うちの父さんも母さんも兄さんも私も、病気なんかしたことないよ」

 とサチが怒って言うと、女の子は目を輝かせた。

「あんたの兄さん、狩りが上手だね」

「知ってるの?」

「危うくウサギとまちがえられて弓で射られるところだった」

 女の子は頬を赤らめクスクス笑う。

「ほらね、みんな元気だよ、私の家族は」

 とサチは言った。


 それから二人は、いろんな話をした。鬼の子の名前はヤエといった。二人が仲良くなったことは、お互いの両親には内緒にしておくことにした。人形は、どちらの家に持って帰ることもできないので、二人が出会った場所の茂みの中に隠しておいて、二人でこっそり遊ぶことにした。

 サチはたとえ鬼の子であったとしても、初めて友達ができたことを喜んだ。サチは家に帰ると、フミにだけ今日会ったことを打ち明けた。妹は言葉を話すことができないから安心だった。



 それから二人は、こっそりと会って遊ぶようになった。藪の中に隠してある人形がなくなっていたら、相手が山に来ており、近くにいるという合図だ。サチにとって夢のような時間が過ぎて行ったが、ある時からふっつりヤエが姿を見せなくなった。最初は心配していなかったサチだが、何日経っても姿を現さないのは、もしかしたら昼間こっそり山奥で何をしているか鬼の両親に知られてしまったのではないか、と不安になった。酷く腹を立てた鬼の親が、我が子に何をするのか、サチには想像がつかなかったが、それでもヤエがどんな目にあわされているのか、心配で仕方がなかった。

 しかし、鬼がうじゃうじゃいるという里に下りて行く勇気はサチにはなかった。皆がヤエのように心優しい鬼とは限らないからだ。サチは二人の共有物になった人形で一人寂しく遊びながら、ヤエが来るのをただひたすら待った。


 その夜、いつものようにサチの家族が床についてから、突然外で怒号が響いた。

「この人殺し!」

 一人や二人ではない大勢の気配がしていた。目を覚ましたサチは、まだ夜のはずなのに外がオレンジ色に光っているのを不思議に思った。

 飛び起きた父や母は真っ青な顔で、自力で歩くことができないフミを連れてくるよう兄に命じた。サチには「何があっても離れるんじゃないぞ」と静かに言い含めた。


「出て来い」

 外にいる声が怒鳴った。

「人殺しの疫病持ちめ。お前の一家なんぞ、皆殺しておけばよかった。今日俺の所のヤエが死んだ。まだ八つだというのに、あんなむごい死に方をするなんて。それもこれも、全部お前のところの娘のせいだ」

「サチのことか?」と父は家の中から怒鳴り返す。

「サチは山の中で一度だけその子に会ったが、その子には触れていない。側に近づいてさえいない。サチからうつることはありえない」

「ヤエが今際の際に打ち明けた。時々二人で会って遊んでいたそうだ。里の者には絶対迷惑をかけない、そう言ったから、今まで見逃してやってきたのに」

 ヤエの父親の声には、サチが聞いたこともない憎しみが込められていた。父と母がサチを見た。その瞳には、絶望と恐怖が見て取れた。


 鬼は私たちの方だったんだ。


 幼い頭で、サチはそれを悟った。


「燃やせ! 全部焼き払って清めるんだ!」

 と外の声が怒鳴って、ぽうっと家のあちこちが明るくなった。

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