選ばれなかったもの
「おはようございます! こちらが総合受付となります! 初めてお越しになる方は、こちらで担当の者に必要事項をお伝えいただき、……」
やかましい音で目が覚めた。エヌ氏は目を開いて考えた。
ここはいったいどこだろう。
確か自分は風邪をこじらせて、入院していたはずだ。
意識がもうろうとする中、妻や主治医の声が遠く聞こえ、心電図の音が断続的に響き、……、
そうだ、自分は死んだのだ。エヌ氏は得心した。
エヌ氏は河原のようなところで寝ころんでいた。
周囲はうすぼんやりと霞がかっており、どこからともなく淡い光がさしこんでいる。
とすると、ここは死後の世界ということか、とエヌ氏は考えた。
エヌ氏の人生はじつに平凡だった。
平凡な子供時代、平凡な学生生活、平凡な会社員生活、平凡な老人。
順調にステップアップする毎日に、スパイスをくれたのはファンタジー小説だった。
エヌ氏は特に、現実世界から異世界へ送り込まれてしまう話や、現実世界に起きる不思議なことを題材とした物語が好きだった。
この死後の世界は、どうやらエヌ氏が初めて体験する「異世界」のようだった。
「ははあ、天国とか地獄とかいうのは本当にあったのだな。いろいろあったような気もするけれど、まあ、平凡な人生だったから、地獄行きというのはご勘弁願いたいものだ」
エヌ氏がそうつぶやいて起き上がると、すぐ近くにビルの受付台のようなものが見えた。
受付には、ひとり、中世的な顔立ちの受付役が座っていた。
受付役はエヌ氏を見つけると微笑みかけ、先ほどのアナウンスを繰り返した。
「おはようございます! こちらが総合受付となります! お客様は初めてお越しになる方ですね?」
「ええと、たぶん、そうだと思います。覚えている限りは。……あのう、ここは、死後の世界ですか?」
エヌ氏はおそるおそるそう尋ねた。
「地獄じゃありませんよね?」とは怖くて聞けなかったのだ。
「転生の記憶なしということですね。チェック1、クリアとなります」
受付役はにっこりとほほ笑んだ。
「おっしゃる通り、お客様の魂は先ほど現実世界から離れられました。魂は死後、それぞれの経験をもとに、さまざまな世界に振り分けられるのです」
エヌ氏は少し小さな声で尋ねた。
「たとえば、……そのう、地獄、とかですか?」
「もちろん、そのような世界に導かれる方もいらっしゃいます。しかし、ここはそのようなところではありませんよ。お客様は選ばれた方なのですから」
エヌ氏は内心喜んだ。つまり、自分は天国に行けるということだろう。
「選ばれたことを確認するために、続けていくつかの質問にお答え願えますか。
チェック2、十二歳の誕生日までに特別な手紙を受け取ったことは?
チェック3、幽霊や、妖怪が目に見えたことは?
チェック4、動物と話せること、または、そのような装身具を見つけたことは?
チェック5、開いた扉が別の世界に繋がっていたことは?……」
受付役の滔々とした質問を遮って、エヌ氏は不思議そうに言った。
「聴いている限りだと、どれもこれもおとぎ話の中のことのようだ。私の人生は平凡そのもので、何も特筆すべきことはなかったよ。でもそれが人生というものじゃないか」
受付役はますますにっこりとして言った。
「それでは、お客様はやはり、ほかでもない”選ばれないことに選ばれしもの”、ということです。おめでとうございます」
「どういうことだ?」
「事実は小説よりも奇なり、と申します通り、現実世界ではおとぎ話より奇妙なことがたくさん起きているのですよ。
そして、それに選ばれないで一生を終える方はじつはごく少数なのです。特異体質といっていいほど珍しい!」
受付役はぱちぱちとまばらな拍手を返した。エヌ氏は馬鹿にされているように思い、いささかむっとしながら尋ねた。
「つまり、私の周りでは、おとぎ話のようなことが次々起きていたが、私はその何からも選ばれなかった、ということですか?」
「その通りです。いえ、最後まで選ばれないということは、逆に”選ばれないことを選ばれている”のと同じことなのです。
あなた様のような方は、現実への適応能力が高い。他のことに惑わされずに、現実に集中することができるのです。よって我々が選別し、再度現実世界で人生を歩んでいただこうということになっています」
「待ってくれ!」エヌ氏は慌てて言った。
「この人生、平凡で平凡で飽き飽きしていたところなのだ。ファンタジー小説のように不思議なことがたくさん起きるのなら、絶対にそちらの人生がいい!」
受付役の顔が少し曇った。
「もちろんそうすることもできますが……、しかし、辛いことも多いと思いますよ」
エヌ氏はかぶりを振った。そして胸を張っていった。
「いや、絶対にそちらがいい。なんならあらゆる不思議なことが起きる体質にしてくれてかまわない。これでもおとぎ話をたくさん読んできたんだ、対処法は知っている」
受付役はしぶしぶ頷いた。
「わかりました。それではお望み通り、すべての不思議なことが起きるようにいたしましょう。さあ、目を閉じて……」
エヌ氏は再び、目を覚ました。
病室の天井が見える。その天井に、無数の眼が張り付いているのが見えた。
またこれだ。
エヌ氏がさっと右手を振ると、眼はすべてぼうっと燃えてしまった。
「なるほどすべて思い出した。この人生は、前世の自分の望みだったのか」
エヌ氏の再びの人生は、なんとも散々であった。
まず生まれた時から幽霊を指さしては気味悪がられ、動物たちと話しては気味悪がられ、あらゆるドアを開くと異世界への扉が開いているのでおちおち学校にも行けない。
目的地に行こうとすると、決まって謎の組織が現れ、あなたは選ばれしものだから自分たちと一緒に来てほしい、と告げられる。
道端には謎の機械のかけらのようなものが必ず落ちている。
曲がり角を曲がれば絶対に誰かと「運命的に」ぶつかってしまうので、なるべく直線コースを歩かなければならない。
そんな奇妙なふるまいをするので、周りからはまた気味悪がられる、といった始末だった。
また奇病にも見舞われ、狐の霊が憑いたり、レントゲンを撮ったら人の顔が見えたりもした。
そしてついに、現代では治療法の見つからない病気にかかってしまった。
医者も「なんとも不思議ですねえ。こんなことがあるとは……」と首を捻っていた。
そして今、前世の記憶が蘇ってきた。
これは他でもない自分が望んだことなのだ。
受付役の言う通り、毎日何もないことに選ばれるのは、じつは大変なことであったのだ。
願わくば、次の人生では、ごくごく平凡な人生を送り、ファンタジー小説などを他人事のように読み、平凡に死にたい……
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