case1 余命 「中」
この感覚をどう表現すればいいのだろう。
母親に抱かれた赤子のよう。穏やかで、優しさに包まれているような、多分そんな感じだと思う。
私の眼で認識できるのは、ワタルという青年の姿だけ。
頬にあたる心地よい風とは裏腹に、まわりの景色は異常な程速く過ぎてゆく。まるで新幹線の車窓から外を見ているかのようだ。
今、現実では有り得ない事が起きている。
青年は私を抱えたまま、人が出せるはずのない速度で進んでいる。飛んでいるのか、走っているのか、それすらも分からない。
「どうして素直になれないの?」
青年が問う。
じっと見つめられていた。
「自分の子供なんだから、遠慮せずに甘えればいいじゃない」
私の方が先に目をそらした。
青年の目は私の心の中を見透かしている気がした。
「それとも、このまま独りで死にたいのかな」
青年は私が余命わずかだと知っているようだった。そう思うと、少し気持ちが楽になった気がした。
「息子たちには迷惑をかけたくない」
私の言葉に、青年はウソだ、と返した。
「独りで死にたい人なんていないよ。トモエさんの子供たちなら、迷惑だなんて言わない。正直に話せばいい」
私は何をためらっているのか。
息子たちに余命宣告されたと打ち明けて、私が思っている反応と違っていたら・・・・
それが怖い。
それが怖いんだ。
息子たちに注いだ愛情が失われてしまうのが怖い。
「大丈夫だよ」
青年が言った。
彼の言葉のなかで、初めて感情がこもっていた。
不意に、高い場所から飛び降りたような感覚がした。
景色が早送りから再生へと戻った。
見慣れた山野。住み慣れた家。
目の前に私の家があった。
「降ろすよ」
そう言って、青年は私を降ろした。
腕時計を見る。信じられないが、駅で見た時間から数分しか経っていなかった。
「あなたは、一体・・・・」
青年は何事も無かったかのように、私の家を見ている。古い造りの家なので、都会の人には珍しいのかもしれない。
人、でいいのだろうか。もっと別の、神に近い存在なのだろうか。
あのさ、と青年が話しかけてきた。
「もう少しトモエさんとお話したいんだけどいいかな? できればお茶でもごちそうしてくれると嬉しいんだけど」
そう言って微笑んだ白髪の青年。
私も彼と話をしたいと思っていた。
青年は縁側に座り外を眺めていた。
私はお茶と和菓子を盆にのせて、彼の横に座った。
「こんな物しかないけど、どうぞ」
ありがとう。青年が言った。
とても美味しそうに食べてくれた。
「息子たちとは直接話せそうもなかったので、メールを送りました」
そう、と青年は微笑んだ。
彼と同じ様に外を眺める。
山と田畑しかない。見慣れた景色だが、夕暮れ時のこの季節は私のお気に入りだ。このままずっと眺めていたい気分だが、そうもいかない。
でも・・・・
もう少し話がしたい、そう思ったが、何を話せばいいのか分からなかった。
「僕は今、自分の死に場所を探してるんだ」
彼が言った。
死に場所?
「多分、トモエさんより長く生きられない」
え?
「病気か何かなの? もしかして、私と同じ・・・・」
彼は首を横に振った。
「寿命なんだ」
そう言ってお茶を飲む彼。
「寿命って、あなたまだ若いじゃない」
どう見ても二十代前後。
「信じられないかもしれないけど、こう見えてトモエさんより長く生きてるんだ。気の遠くなるくらいね」
そう言って微笑む彼。
不思議と嘘をついてるとは思わなかった。
「でさ、偶然トモエさんに会って、僕と同じだったから、何かしてあげたくなって、願い事を叶えるって言ったんだ」
嘘ではないと思う。
でも、すべてを信じた訳ではない。
「聞いてもいいかしら?」
私の問いに、彼は顔を向ける。
「例えば、どんな事が叶えられるのかしら?」
そうだなあ、と少し考える彼。
「例えば、トモエさんの病気を治すとか。あ、信じられないって顔だね」
ちょっと待って、と立ち上がる。家の庭に植えた花を一輪、私の許可を得て抜く。それを手に持ったまま、縁側に戻ってきた。
花をのせた彼の手がすぐ目の前に。
「見てて」
彼が言った。
信じられない事が起きた。
一瞬で花が枯れた。花びらが落ちて緑色が褪せた。
それで終わりではなかった。
今度は枯れた花がみるみる生気を取り戻し、元の元気な花になった。
手品?
いや、違う気がする。
でも有り得ない事が目の前で起きた。
「この世に、もし神様がいるとしたら、ボクは神様に近い力を持っている」
そう言って彼は微笑んだ。
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