第59話 アレンと私
私は、唇をきゅっと結んでアレンを見つめる。
目的を違えてはいけない。ファンゲイルを倒すことが目的ではないんだ。私はただアレンや孤児院のみんなを守りたい、その気持ちでここに舞い戻って来た。
ファンゲイル自体にさしたる恨みはないから、彼の物っていうと語弊があるけど仲間になることに抵抗は少ない。私はもう魔物だからね、人間の国にいるよりも自然だと思う。
最初、森の中で言われた時は当然断った。それは、彼の仲間になったとしても王国を守れる保証がないからだ。だけど、ファンゲイルは私と引き換えに王国から手を引いてくれると言う。直接戦って打ち倒すことが不可能なら、悪くない選択肢だ。ファンゲイルも悪い人(?)じゃなさそうだしね。
だから、これは正しいこと。
死んで死霊になった私が、みんなを助ける唯一の方法だ。
「俺は、お前を犠牲にして助かっても嬉しくない。セレナはいつもそうだ。自分の痛みは度外視で、いつも人のことを考えてる。そこにいるの、お前を殺した王子だろ? なんでそんな奴のためにお前が苦しまないといけないんだよ」
「そんなんじゃないよ。私はただ、皆に幸せになってもらいたいの。それが私の幸せだから」
できるなら、私も一緒に幸せになりたかった。でも、それを口に出すことはできない。
「俺にも、助けさせてくれよ……」
アレンにはいつも助けられてきた。小さい頃はもちろん、王宮に行ってからも彼の存在にどれだけ救われたか分からない。死霊になってからも、アレンだけは私を信じてくれて、共に街を守ることができた。
私の心はいつだって、アレンに助けられてきたんだ。
「ふん、そいつが死んだから魔王が攻めてきたのだから、自分で尻拭いをするのは当然だろう。だいたい、そんなに重要な役目を持っていたなら最初から言えばよかったんだ!」
突然の展開に目を白黒させていた王子が、ここにきてまた口を開いた。
アレンがキッと睨みつける。
「てめぇ!」
「アザレアは嘘をついて俺を騙すし、騎士どもは王子である俺を守ろうともしない! おかしいだろ、なんで俺がこんな目に合うんだ! おかしい、絶対おかしいんだ。俺は次期国王なんだから! 全員処刑してやる」
どこからその自信が出てくるのだろう。王子は大仰な手振りで歩みより、私たち三人の前に来た。ある意味、度胸があって王に向いていると思うよ。もうちょっと思慮深かったら。
呆気にとられる私とアレンをよそに、ファンゲイルはくつくつと喉を鳴らした。
「ほんと、王族っていうのは変わらないね。自分のことしか考えられない。生まれた時からそれを許される立場にいるとそうなってしまうのかな」
口角は上がってるけど、目と声色は恐ろしいほど冷えている。
既に、この空間はファンゲイルが支配していると言っても良い。助けに入ったはずの私は降伏し、騎士たちに戦意はない。彼の言動が全てを決めるのだ。
「すまん、お前を差し置いて怒るのも筋違いだけど……俺、耐えられないわ」
「なんだ、貴様! 平民ごときが俺の前に来るなど!」
アレンは青筋を立てて剣を両手で握った。私は止めようと手を伸ばして――すぐに降ろした。彼の目は据わっていて、ちょっと怖い。
私のせいで、アレンに重荷を背負わせていいのだろうか。
王子を殺しても、状況は何も変わらないと思う。でも、アレンの覚悟を無下にもできない。
「ひっ、おい、お前何しようとしてるか分かってるのか!?」
「うるせえ」
アレンは剣を大きく振り上げた。頭上で鈍色の刃が煌めき、王子の顔が恐怖で歪む。
私は思わず目を逸らした。次の瞬間、短い悲鳴とともに王子が倒れる音がした。周りがにわかにざわつく。
「なんでだよ」
そう言ったのは、アレンだ。視線を戻すと、アレンは剣を降ろして呆然と立っていた。その刃に血はついていない。彼は唇を噛んで、うつぶせで事切れる王子を見下ろしていた。足元に赤い液体がじわりと広がる。
アレンが殺したわけではない。殺したのは――ファンゲイルだ。
「復讐なんてしても、君は満たされないよ」
「それなら! 俺の気持ちはどこにぶつければいい? 好きな女を魔王から助けることもできず、敵を討つこともできない。俺にできることはどこにあるんだ?」
「あはっ、メズが気に入りそうな子だね。真っすぐで、純粋だ。少し羨ましいくらいだ」
ファンゲイルは私の隣に並び立って、いたずらっぽく笑った。
彼は、アレンが手を掛ける前に王子を殺したのだろう。おそらくは氷の弾丸を飛ばして、王子を射抜いた。
「じゃあ助けてみなよ、僕から。今すぐじゃなくてもいいよ。聖女ちゃんは貰っていくから、いつの日かもっと強くなって、僕の前に現れるといい」
「それまでセレナが無事でいる保証はどこにある?」
「人間ならともかく、聖女ちゃんは大切にするよ。僕、アンデッドには優しいんだ」
ファンゲイルからしたらアレンなんてただの人間に過ぎないのに、説得するように優しく言葉を重ねる。その線引きはどこにあるのか。
あ、アレン、勘違いしないでね? こいつの大切にするは、ペットとか研究対象とかそっちだから!
なんとなく口を挟むのも憚られるので、心の中でそう叫ぶ。
「聖女ちゃんはまだ完全に消えたわけじゃないんだ。君が諦めなければ、チャンスはあるんだよ。……僕も諦めない」
最後に付け足された言葉は、小さすぎて私にしか届いてないと思う。
アレンは噛みしめるように沈黙した。
なんか良いこと言っている風なんだけど、私には一つだけ言いたいことがある。
「あの……そう言うなら私を見逃してくれても……」
「あはっ、それは無理。だいたい君、魔物でしょ」
「ですよね……」
分かっているのだ。ファンゲイルが言う私のためっていう言葉も、あながち嘘ではない。
結局、私を虐げついには処刑した王子は、あっさりとこの世を去った。王子の魂はちゃっかり骨ドラゴンが食べて、一瞬にして消滅した。なんとも呆気ない最期だ。
だから私の心残りはアレンだけなの。彼には幸せになって欲しい。そして、その幸せに、死者は足かせにしかならない。
彼のことを思うからこそ、ここは身を引かないといけないんだ。
「わかった」
「アレン……」
「俺はいつか、お前を倒してセレナを救い出す」
そう、短く宣言した。
「だからセレナ、それまで待っていて欲しい」
「うん、分かった!」
初めてだった。アレンから積極的にこういうことを言われたのは。
そっかぁ。今までみたいに別々のところで頑張るって感じじゃなくて、迎えに来てくれるんだ。それなら、変態魔王のところでも頑張れるかも! あ、貞操をちゃんと守らないと。
「決まったかな?」
「本当に王国の人には手を出さないんだよね?」
「そんなに興味ないからね。ああ、殺しちゃったからタリスマンの場所聞けないや」
秘宝だとか言って渋ってた王子も、今は物言わぬ亡骸だ。これじゃまた、暴れて探し出すとか言いかねない。
「うーん、そこでぼーっとしてる騎士たち。探してきてよ。王様に聞けば分かるんじゃない? 見つからなかったら……皆殺す」
「は、はい!」
すっかり烏合の衆になっていた騎士たちが慌てて動き出した。恐怖のあまり何もないところで転ぶ者もいる。この国、大丈夫かな?
私が心配すべきは、とりあえずアレンだけだ。強くなる、魔王を倒す。言うのは簡単だけど、ギフトなしで成し遂げるのは難しい。
だから、これはちょっと反則。聖女だった頃は皇国から禁止されていた、人知を超えた魔法。
「アレン、こっち来て」
「ん?」
アレンの胸に手を当てて、聖魔力を注ぎ込む。その奥にあるアレンの魂を感じ取って、聖魔力で包み込むイメージ。優しくて、強い。そんな魂だ。
これは、人間にギフトを与える魔法。ギフテッド教の教義における、神の領分を侵す行為だから、絶対に使用してはいけないと言われていた。でも、私はもう魔物だからいいよね。
「
どんなギフトを与えるかは選べない。私の感覚としては、神様にお願いしてる、と言った方が近い。
魔法が確かに成功したことを確認し、神託を使う。アレンが得たギフトは――『勇者』。
「なにをしたんだ?」
「アレンが強くなれるように、おまじないだよ。アレンは『勇者』っていうギフトを貰ったから、きっと魔王も倒せるよ」
「そっか……俺、絶対強くなるから。そんで、あいつを倒す」
「うん、待ってる」
アレンなら、絶対来てくれる。
だって、私が一番信頼してる人だもん。幼馴染で、親友で、婚約者で、一番大好きな人。ちょっと離れ離れになるくらい、大丈夫だよね。
「あはっ、それ僕の前で言う?」
ああ、叶うなら最後に抱きしめて欲しかったな。この身体は、触れ合うことができない。
代わりに、私たちは笑顔で見つめ合った。
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