第57話 対話
「どうやら聖女の力を完全に取り戻したわけじゃなさそうだね。僕ですら破壊できない結界を張っていた君なら、スカルドラゴンくらいわけないでしょ」
その通りだ。魔力量はもとより、魔物になったことで魔法の出力が弱まっていると感じる。それは『神の力』を魔物が持つことで起きる矛盾なのか、生前ほどの力は出せないのだ。
私が今使える聖女の魔法は一般の神官レベル。エアアーマーすらポルターガイストなしでは倒せない。
「関係ないよ!」
手をかざしてシャイニングレイを放つ。レイニーさんみたいに同時に何本も出せればいいんだけど、あいにく私にはできない。
「アイシクルショット。君のランクはせいぜいCでしょ? スカルドラゴンはA、魔王である僕はそれ以上、ランクでは測れない領域にいる。絶対に勝てない」
シャイニングレイはファンゲイルには届かない。
骨ドラゴン改めスカルドラゴンが、鋭く尖った牙で私に食らいつく。例のごとく闇魔力で染まった牙を持つ顎は、瞬きよりも速く閉じられた。間一髪で回避する。
「勝てないから、無駄だから……そうやって全てを諦めるのは、もうしたくないの。それで大切なものを失うのは、もう嫌」
なんで私は処刑を素直に受け入れてしまったんだろう。あの頃は、王子や貴族たちがひどく大きな存在に見えた。王宮生活が長くなるにつれて、反抗するという考えがなくなっていたんだ。孤児院を守るため、そう言い聞かせて、聖女の職務をこなすことだけを考えていた。
アレンと再会して初めて分かったのだ。私は死にたくなかった。みんなと生きていたかった。
「そう、だね。失ってからじゃ遅い」
攻撃の手が一瞬緩んだ。
「でも僕を退けたとして、君には何が残るんだい? 君は魔物で、人間たちとは相容れない存在なんだよ。ここで国を守っても、きっと彼らはまた君を虐げるだろう。そうなった時、君はまた一人になる」
「そんなこと……」
分かってる。商人の男性をスケルトンから助けた時も、魔物の軍勢から兵士たちと街を守った時も、いつだって私は敵意を向けられた。人間は外敵に対してこんなに冷たい目をするんだって、泣きそうなくらい実感した。
街に居場所なんてない。たとえアレンが認めてくれたって、肩身の狭い思いをするのは目に見えているんだ。
「人間なんて必死に守るような存在じゃないよ」
ファンゲイルはぶっきらぼうにそう言い放った。
彼の見た目は人間そのものだ。五百年の時を生きる不死の魔王だが、血色が悪い以外は人間と相違ない。もしかたら、私みたいに元人間の魔物だという可能性もある。いつも抱いている人骨だってそうだ。
彼が頑なに人間を嫌悪するのにも理由があるのかもしれない。そう思ってしまうほどに、彼の口ぶりには実感が籠っていた。
「アレンは違う。私にはアレンがいるもん」
拗ねたように口を尖らせて、氷の弾丸を結界で食い止める。小競り合い程度でも命懸けだ。スカルドラゴンの鈍重な動きにも慣れてきたので、余裕を盛って回避した。
「ふーん、誰だか知らないけど、人間である以上同じようには生きられないよ。だって君、たぶんもう――人間のこと、同族だと思えないでしょ?」
あるはずのない心臓が、締め付けられたような気がした。
そんなことない、と反射的に叫ぼうとした。でも、喉につっかえて出てこない。
思い返すのは、先の戦争でのこと。目の前で兵士が魔物に斬り殺されても、私は何の感情も浮かばなかった。悲しいとか、可哀そうだとか、何も思わずただ「あ、死んじゃった」くらいのもの。
戦闘の高揚感あってのことだと思っていた。戦争で死者が出るのは、残念ながら珍しいことではない。その時に悲しむ暇なんてなかったし、すぐに気持ちを切り替えたのだ。
でも、生前の私ならまず間違いなく取り乱していた。目の前で人間が死ぬという事態に怯え、泣き叫んでいたと思う。魔物になったことで、感覚が変わったことを否定できない。
「でも、アレンは家族で!」
私は、アレンやレイニーさんが死に目にあった時、どう思うんだろう。理性では悲しく思っても、感情は動かないのではないか。
「おい! 何を話しているんだ! なんのために王宮に置いてやったと思ってる!」
王子はなおも喚く。
周りの騎士たちは、結界の向こうで我関せずといった様子だ。もはや彼らに戦う気力はなく、成り行きを見守っている。仮にファンゲイルを食い止めても、王国はもう終わりかもしれない。
「あはっ、あんな奴と心中するのがお望みかい?」
「いや、あれは私でもどうかと思う……」
ファンゲイルは両手を広げて、大仰な動作で近づいてくる。攻撃の意思はなく、なんとなくそれを眺めた。スカルドラゴンも動きを止める。
手を伸ばせば届く距離で向かい合った。
「僕なら君を分かってあげられるよ。どうだい――」
私にだけ聞こえるようにファンゲイルが囁いた。言葉は聞こえているのに、まるで別の言語かのように理解が及ばない。時が止まった気がした。
時間の流れも音もない中で、私がその言葉をゆっくりと噛み砕いて反芻する。目の前で口元を緩めるファンゲイルの顔が、いやに鮮明に映った。
「セレナ!!」
その静寂を破ったのは、二人の間に割って入り私を背に庇ったアレンだった。いつの間に来てたんだ。
「アレン」
「悪い、遅れた。……大丈夫か?」
顔をまっすぐ見れなかった。
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