第35話 ex.枢機卿レイニーの懸念

 元聖女の死霊が兵士と協力して街を一つ守り切った頃。


 レイニー率いるギフテッド教の一行が補給のために立ち寄った村は――滅んでいた・・・・・


「これは酷い……」


 レイニーはそこかしこから立ち昇る死臭に思わず顔をしかめる。

 人口千人ほどの小さな村だ。農作業をしていた者たちが真っ先に殺され、次に逃げ遅れた子供たちがアンデットの手にかかった。子供たちを助けようとした大人たちも同様だ。


 無事逃げきれたもの、隠れ潜むことで難を逃れた者たちを救助しながら、死体を浄化していく。到着時には闊歩していたアンデットは神官たちによって瞬く間に浄化されたが、失われた命は戻らない。


 泣き叫ぶ村民、荒らされ、壊された家屋や畑。すっかり姿を変えた小さな農村に、言葉が出ない。


 聖女が食い止めたのは全体の一部にすぎなかったのだ。

 最も人口の多い王都へ向かう本隊を壊滅させたため被害が大幅に抑えられたのは間違いない。だが、この村を含む複数の農村や集落が被害を受けていた。


 森から溢れてきたはぐれ・・・のスケルトンではない。明確な命令の元に人間を殺す小規模な軍勢は、農村をいとも簡単に滅ぼしてみせた。無論、日ごろ肉体労働に励む偉丈夫たちは抵抗を見せたが、戦闘力の高いスケルトンソルジャーに魂ごと斬られた。


「レイニー様、生存者の救助が終了いたしました。どうなさいますか? 規模の大きい街を経由するとなると、少々遠回りになりますが」


「構いません。必ず送り届けましょう」


「かしこまりました」


 それにしても、とレイニーは目を閉じた。

 魔物の侵攻が想定よりかなり早い。聖女が死亡してからまだ十日も経っていないのだ。『不死の森』はアンデット系の魔物が数多く生息し『不死の魔王』ファンゲイルと名乗る魔王がいることは分かっていたが、結界の消失を確認してすぐに攻めてくるとは思わなかった。


(わたくしが来たのは聖女様が就任されてからなのですよね……かの魔王がそこまでこの国に執着を見せているとは)


 まるで日頃から攻撃の機会を伺っていたかのような迅速さだ。レイニーは危険に敏いつもりであったし、現に侵攻を予期して即座に撤退を決定した。しかし、それでも遅かったのだ。


「我々全員で事に当たったとして……魔王を撃退することは可能でしょうか?」


 唇に手を当て、妖艶に首を傾げた。

 傍らに控える神官の男性は、とんでもないとばかりに身を震わせた。


「ご冗談を。国一つ結界で覆っても顔色ひとつ変えない聖女様が特別だったのです。レイニー様なら魔王と戦えるやもしれませんが、その前に魔力が尽きるでしょう」


「ふふ、わたくしでも不可能ですよ。魔王を相手取るならば、本国の聖騎士団を呼ぶしかありませんね。もっとも、教皇猊下がお許しにならないでしょうが」


 世界におよそ十余り君臨すると言われている、魔王という魔物を産む魔物。

 討伐されたという記録はほとんどないが、その数少ない討伐例の一つが聖騎士団による成果である。他には『勇者』という特別なギフトを持つ者が倒したという記録があるくらいで、人間にとって魔王とはそれだけ強大な存在なのだ。


 いかに対アンデットに長けた神官たちに破壊力のある枢機卿がいようとも、敗北は必至である。


「では、予定通り皇国への帰還を目指すということでよろしいでしょうか」


「そうですね……」


「なにか懸念が?」


「いえ……」


 レイニーは喉の奥に引っ掛かるものを感じていた。

 それは本来、思いついた瞬間に一蹴するような可能性だ。


 『聖女が蘇ったかもしれない』などと……。


 しかし、道中で聖魔力の残滓を何度も確認したことは確かだ。スケルトンはホーリーレイによって眉間を撃ち抜かれ、倒されていた。

 そして、ゴーストから助けた男性の証言も気になる。彼はゴーストに助けられたと言っていた。神官たちは恐怖で見間違えたのだろうと気にも留めなかったが、最初に発見した見習い神官も似たようなことを言っていた。


(それに、あのゴーストはどことなく聖女様の面影があった)


 底抜けに明るくて、屈託なく笑っていた彼女の姿が脳裏に浮かぶ。

 あり得ない発想だ。ギフテッド教の教義にも反するし、合理的に考えてもおかしい。


 でも、少しでも可能性があるなら。枢機卿としてではなく一人の女性として、そう思わずにいられなかった。


 心残りがあっては今後の行動に支障が出る。ならば、確かめればいいのだ。


「わたくしは少し確認しなければならないことができました」


「え?」


「皆さまはこのまま移動し、道中のアンデットを浄化しながら皇国に向かってください」


「はあ、レイニー様はどうなさるので?」


「後から向かいます」


 聡明で冷静沈着、しかし一度決めたら行動は早い。

 少しでも可能性があるなら、彼女は躊躇わなかった。


「護衛は?」


「必要ありません。わたくしは枢機卿ですよ」


 心配する神官たちをよそに、一人分の旅支度を整えていく。

 無論王国と心中する気などない。危険が迫れば自らの命を優先するつもりでいる。だが同時に、己一人くらいなら容易に守り抜くくらいの自信はあった。


(ついでに滅亡間近の王子の顔でも拝んできますか)


 聖女にとって最も有力な味方が、王都に戻ることを決定した。

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