第29話 ex,兵士たち

 孤児院を出たアレンは、脇目も振らず兵士の詰め所に向かった。まるで変わり果てた幼馴染から逃げるように。


 聖女の逝去を枢機卿レイニーから聞いてから数日、彼は食事も喉を通らないほど憔悴していた。久々に会った聖女ですらやつれた、と感じるほど頬がこそげ落ち、目には隈がある。

 身近な人間が亡くなるのは初めてではない。だが、彼にとって聖女セレナは特別な存在だったのだ。シスターや子どもたちに心配を掛けまいと気丈に振舞ってはいたが、内心は荒れ狂っていた。


 その矢先に現れた、亡き彼女の言動をする魔物。

 暗がりの中でうっすらと浮かび上がる黒いシルエットは、恐ろしい見た目とは裏腹に小さく丸まって落ち込み始めたのだから驚いた。魔物はアレンの記憶にある幼いころのセレナと同じように床の木目をなぞり、名前に反応した。


「あれはセレナだ、間違いない」


 アレンはそれを確信していた。問題は、どうやって人に説明するのか。

 アンデット系の魔物は死者がベースとなっているのは有名な話だが、生前と同じように行動する死霊など聞いたことがなかった。アンデット系に精通する『不死の魔王』ファンゲイルすら知らなかったのだ。アレンが知るよしもない。


 死者の姿をしているが、あくまで生前とは何ら関係のない魔物である。それが一般の認識だし、ギフテッド教の教えでもある。

 生前との関連性を認めてしまうと駆除作業に支障が出るから、ある意味当然の教義だ。


 だが孤児院の屋根裏部屋にいたレイスは、セレナだった。彼女はこの国の危機を伝えに来たのだ。


「セレナの頑張りに答えないとな」


 ついさっき通った道を引き返して、兵士の詰め所に辿り着いた。そして息を整える時間も惜しんで木造の建物に飛び込んだ。


「カール! いるか!?」


 中でくつろいでいた兵士たちがぎょっとして入口に目をやった。休憩中の者、会議や相談をしている者、書類の整理をしている者など様々だ。


「おう、呼んでくるから待ってろ」


 無精ひげを生やした中年の兵士がずかずかと歩み出て応えた。ガサツな対応だが邪険にされている様子はない。


 兵士は街の治安維持や巡回、門番や警備などを行うれっきとした職業だ。その街に住む平民がほとんどで、誇りと責任を持って働いている。また要望に応じて市民の手伝いをすることもあるので、頼りにされている。


「やあアレン、どうかした? 何か言い忘れたことでもあったの?」


「魔物が攻めてきた!」


 端的にそう叫ぶと、聞き耳を立てていた兵士が一斉に腰を浮かせた。物騒なことを言い出したアレンに怪訝な視線が集まる。


「どういうこと? アレンはさっきここを出たばかりでしょ?」


 カールはアレンを宥めるように手をひらひらと振った。彼の言葉は正しい。もし街の外に魔物が溢れているとしても、それを確認して戻ってくるほど時間が経っていない。


 大方セレナの死を受け入れられず混乱しているんだな、とカールは冷静に判断した。うっ、と言葉を詰まらせたアレンを見て、疑いの目を向ける。


「本当なんだ! 頼む、今すぐ準備をしてくれ!」


「そう言われても、ね」


 カールが困ったように眉を下げると、兵士たちが忍び笑いをして元の作業に戻っていった。


 アレンは顔を真っ赤にして怒鳴りそうになるけど、慌てて口をつぐむ。

 カールたちだって悪気があるわけじゃない。アレンの話は荒唐無稽だし、かといって死んだセレナが危機を伝えに来た、なんて言った日にはいよいよ頭がおかしくなったと思われる。


 代わりに真剣な顔でカールを見つめた。


「五十体の魔物が攻めてきてるんだ。このままじゃ街が大変なことになる」


 その数を聞いて、一瞬詰め所が静寂に包まれた。冗談で言っているような雰囲気ではない。だが、あまりに現実味の無い話を素直に信じることはできない。


 そもそも、ここ数年は聖女の結界によって街道付近に魔物が出現することは一切なかった。セレナが聖女になる前の時代を経験した者も多いが、それでも他の神官たちの尽力によって街に被害はなかったのだ。


 だからアレンの言葉を信じる者は誰もいない――一人を除いて。


「本当なんだね?」


「一緒に戦って欲しい」


 カールは腕を組んで目を閉じた。兵士たちがそれをじっと見つめる。

 この詰め所にいる兵士はカールの部下たちだ。才能と自信にあふれる若き隊長がどういう決定を下すか、固唾を飲んで見守る。


「正直、にわかには信じがたいね。結界がなくなったかどうかも確認が取れていないし、冒険者や神官の人が定期的に間引いているから、それほどの魔物が一度に攻めてくるというのも考えづらい」


 兵士たちがほっと胸を撫でおろした。

 アレンは咄嗟に言い返そうとしたが、カールの手のひらに静止される。


「だが、真面目で誠実な弟の言葉だ。ここで突っぱねたら、僕は兄失格だね」


「それじゃあ!」


「といっても、事実確認は必要だ。キックス! 何人か連れて周囲の索敵を。アイクは冒険者ギルドに協力を要請してきて。他のものは戦闘準備」


 カールはアレンに背を向けて、てきぱきと指示を出し始めた。

 それまで不満そうな顔をしていた兵士たちも、いざ命令が下ると迅速に行動を始めた。日々の訓練によって統率された動きは美しさすらある。


「魔物は街道にいるんだ」


「なぜそんな……いや、聞いたか? キックス!」


「分かりやした! すぐに見てきやす」


 キックスと呼ばれた兵士は詰め所を出て、索敵に向かった。セレナの説明はジェスチャーと指の動きのみで要領を得なかったが、街道沿いに魔物の大群がいることは間違いない。


「確認が取れるまでどうしますか? 冒険者ギルドへの要請はその後の方がいいですよね」


 別の兵士がカールに指示を仰ぐ。


「いや、陽が沈んでからでは遅い。キックスが戻る前に僕らも出撃する」


 全員が詰め所を離れるわけにはいかない。アレンが目を白黒させている間に編成が終わり、待機する者を除いて二十二名の兵士が街道に向かうことになった。


「アレンは――」


「行く」


「分かった。剣はあるね?」


 こくりと頷いて、タイガンから託された剣に手を添える。

 未曾有の戦いが始まろうとしていた。

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