第11話 ex.孤児院の子どもたち
「孤児院の方々をお連れしました」
「ご苦労様です。奥までお通ししてください」
「かしこまりました」
神官の男が恭しく頭を下げ、執務室を出ていった。
ソファに深々と腰かける枢機卿レイニーは、こめかみをぐりぐりと指で押した。
聖女の死を知ってからロクに眠れていないのだ。無念にも処刑されてしまった彼女のことを思えば、呑気に眠ってなどいられない。
皇国や神官たちには何の通達もせず、王子たちは聖女を拘束し形だけの裁判で処刑を決めた。さらにはその日のうちに刑を強行したのだ。到底許されることではない。
それを、王位継承権を持つ第一王子がやったのだから笑いものだ。いや、決して笑えなどしないが。
他の貴族たちは誰も彼を止めなかったのだろうか。おそらく言いたくても言えなかったのだろう。国王が病に侵されてから、王位を継ぐのがほぼ確実になった王子に歯向かう者はいなくなった。王女は他国に嫁ぎ、第二王子はまだ幼い。
「静観していた時点で同罪ですけれどね」
レイニーは今まで発したことのない低い声が出たことに驚いた。
聖女亡き今、神官たちがパニックにならないよう気丈に振舞ってはいたが、彼女も限界だった。娘のように可愛がった相手を、くだらない私怨で殺されたのだ。今すぐ王宮に乗り込んで、関係者を殺して回りたい衝動に襲われる。『枢機卿』のギフトを持つレイニーには容易いことだ。
彼女の口角が嗜虐的に吊り上がった。
「いけないですね。今から彼女の家族と会うのですから、冷静にならなければ」
この国への処罰は、直に教皇が下すだろう。
国同士の力関係は皇国の方が圧倒的に強い。ギフテッド教は『ギフト』という実在する現象を信仰しているため、大陸で最も教徒が多い。
そのため皇国の影響力はその気になれば王国など一ひねりにできるほど大きい。皇国の中でも教皇に次ぐ地位を持つ聖女を手に掛けるなど、セイン王子は愚かという他なかった。
「お連れしました」
初老のシスターが恐る恐る入室したのを皮切りに、ぞろぞろと子どもたちが入ってくる。青年が一人と、男の子が一人、女の子が二人だ。
「きらきら……」
「窓すごい!」
「ばか、お前たち、静かにしてろ」
そわそわと辺りを見渡す小さい女の子二人を、精悍な顔つきの青年が諫めた。
すみません、と申し訳なさそうに謝るシスターに、レイニーは優しく微笑む。
「この子たちの面倒を見ている、シスターのエリサです。ギフテッド教会からはいつもご支援いただき、ありがとうございます」
「アレンです」
「ミナ!」「レナ!」「……ロイ」
アレンは緊張感のない子供たちの頭を抑えつけ、無理やり頭を下げさせた。
ぐへ、と苦しそうに呻くが、その様子は楽しそうだ。男の子は大人しい性格のようで、ぼーっとしている。
「枢機卿のレイニーです。そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ」
柔らかい口調とは裏旗に、内心は胃に穴が空きそうだった。
今から、聖女の死について伝えなければならないのだ。半ば強制的に孤児院から取り上げた少女の死は、レイニーの責任でもある。
「枢機卿!? そんな高い地位の方と、直接言葉を交わすなんて」
「聖女様がそれだけ大切なお方だということです。そして今日は、聖女様のことについてお話があって、皆様をお呼びしました」
本来であれば、枢機卿とは教皇の補佐をするような立場である。
王国は聖女がいたため、彼女の補佐としてレイニーは派遣されていた。
神妙に立ち上がったレイニーを見て、孤児院の面々に緊張が走る。
「聖女様は亡くなられました」
「は……?」
レイニーは喉にパンが詰まったような苦しさを抱えながら、一つ一つ順序立てて説明していく。子どもたちにも分かるように優しい言葉で噛み砕き、誤解のないよう真実だけを伝えた。
子どもたちはシスターに抱き着き、泣き始めてしまった。アレンは目を閉じてわなわなと震えている。
全てを聞き終えた瞬間、アレンがレイニーに詰め寄った。
「ふざけるな!」
今にも掴みかかりそうな剣幕のアレンは、悲壮な顔で言葉を紡ぐ。
「あいつは、セレナは処刑されるようなことは何もしてないだろ」
「その通りです」
「なんで殺されたんだ! あんたたちが守るんじゃなかったのか?」
「返す言葉もありません」
「なんであんたは、そんなに平気そうなんだ」
ふと顔をあげると、アレンの頬には涙が一筋流れていた。
「まだ十五歳だったんだぞ……?」
アレンは聖女がただのセレナだったころ、同じ孤児院で育った。年が同じだったので何をするにも一緒で、将来は結婚しようなんて冗談も言い合った。実は今でも本気にしていることは、誰にも秘密だ。
セレナに聖女のギフトがあると判明した時、本当は王宮になど行って欲しくなかったのだ。
『私が王宮で、アレンが孤児院でみんなを守るの。いつか戻ってくるから、その時けっこんしよう?』
九歳の身で精一杯出した決意を、アレンは尊重した。多くの子どもたちが成長に合わせて孤児院を出るのに対し、アレンはシスターを支え続けた。
「平気では、ありません」
聖女とアレンの関係は、レイニーも知っている。事あるごとに聖女が話してくれたからだ。
孤児院のことを話す聖女は本当に楽しそうで、微笑ましいと同時に羨ましかったのを覚えている。
レイニーは立場上、他の神官のようにふさぎ込むことはできなかった。涙を流すタイミングすらなく、感情を心の中に押し込めていたのだ。
しかしアレンの表情を見て、これまで我慢していた涙が堰を切ったように流れだした。
一度流れ出した涙はすぐには止まらない。
法衣が汚れるのも厭わず、目元を拭う。アレンはその様子を見て、数歩下がって頭を下げた。
「……すみませんでした」
「いえ、取り乱しました」
聖女の死を喜ぶ人間は、ここにはいない。
さらに何度か言葉を交わし、その共通認識を互いに持つ。涙が枯れるまで泣きはらしたあと、略式で死者を弔う祝詞を捧げ冷静さを取り戻したころ、本題を切り出した。
「ギフテッド皇国は、聖女様のご家族である皆様の亡命を受け入れることといたします」
「亡命? なんでだ?」
平民の身ではあまり使わない丁寧な言葉は、アレンには少々難しい。レイニーはそれを咎めることはせず、話を続ける。
「この国は聖女様の結界によって魔物の侵攻を防いでいました。結界がなくなった今、再度魔物が現れれば長くは持ちません」
「魔物が来るのは確定なのか?」
「分かりません。魔物の行動は読めない部分も多いですから……。しかし以前の侵攻が再開すれば、今いる神官だけでは抑えられないのです。盟約を破った王国を助ける義理もありませんから、皇国は完全に手を引くことにしたのです」
「この国を見捨てるということか」
「はい」
もし王国に残れば、いつか来るかもしれない魔物の大群に怯えながら過ごすことになる。
聖女の愛した家族たちをそんなところに置いていくわけにはいかなかった。聖女を守り切れなかったレイニーにとって、彼らを守ることが使命だと感じている。あるいは、贖罪とでも言うべきか。
「断る。あ、いや、遠慮します」
「……理由を聞いてもよろしいですか?」
「あいつが命を懸けて守った国を、捨てる気はない。ここは俺たちの故郷なんだ。それに街にはお世話になった人たちもたくさんいる。全員で行くのが無理なら、俺は最後まで残るよ」
レイニーはアレンの言葉に、聖女の面影を見た。
聖女のギフトを得た時点で皇国に行くという選択肢もあった。だが今のアレンと同じように、故郷を守るために、と王国に残ることを望んだのだと聞く。
レイニーが視線を向けると、シスターも深く頷いた。子どもたちは意味が分かっていないのか、ぽかんとしている。
「聖女様が最後まで大切にしていたあなた方を、危険に晒したくないのです」
「ありがとうございます。でも、俺たちもセレナの意思を守りたい」
「……よくお考えください。私たちはいつでも歓迎いたします」
アレンの決意は固いようだった。
彼だって本当は人目も憚らず泣き叫びたいに違いない。でも、彼は信念を選んだ。
「とりあえず、その王子ってやつのとこまで案内してくれ。俺が殺す」
「聖女様はそんなこと望みませんよ。争いが嫌いなお方でしたから」
「……そうだよな」
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