第10話 逃げます!

 まずい、見つかった!


「あは、はは」


 彼らを目にした瞬間、乾いた笑いに変わった。すぐさま振り返り、一目散に逃げ出した。

 神託を使う余裕もないけど、相手は間違いなく高位の魔物だ。冒険者の間では、人の言葉を話す魔物とは絶対に戦ってはいけない、なんて教えがあるくらいに。


 しかもこの二人は『不死の魔王』ファンゲイルの配下だ。殺されたくないし、捕まるのもダメ。かといって今の私では絶対に勝てない。


「ほう、逃げるか」

(逃げます!)


 メズが面白そうに呟いた。

 顔面は馬、上半身は筋骨隆々な裸体を晒していて、腰には何かの動物の皮を巻き付けている。手には携えた槍を、器用にくるりと回して構えた。


「逃げた、じゃと? ゴーストにそんな知恵があるのはおかしいだろう」


「なに、魔物なのだから上位存在を見れば逃げるだろう。それより、この辺りのスケルトンが壊滅していることの方が気になるがな」


「どっちにしても、捕まえてみれば分かることじゃ!」


 ゴズは顔が牛であること以外ほとんど同じ風貌だ。手には人間くらいなら簡単に両断できそうなほど巨大な斧を持ち、鼻息を荒げている。


「あははは」


 焦って笑い声が漏れるせいで、高笑いしながら逃げている変な姿になっている。しかし、私の方は必死だ。


 背後から二人の大男がすごいスピードで迫ってくる。見た目に反して速い。

 進化したことで移動速度が上がったとはいえ、私はまだ人間が早歩きするくらいのスピードしか出ないのだ。


「ふん、面白いゴーストだ。普通のゴーストとは少し違うようだな?」


「ファンゲイル様への手土産にしてやろうぞ!」


 それぞれ槍と斧に魔力を纏わせて追ってくるゴズメズは、見逃す気はなさそうだった。

 何かのスキルだろう。魔法生命体であるゴーストの私でも、あの武器で攻撃を受けたらダメージを受ける。


(洞窟の中に入れば逃げられる!)


 直線移動では相手に分があっても、私は浮遊できるし壁をすり抜けられる。木々があっても関係ない。直線で進む私に対して、ゴズメズは木を避けてジグザグに走る必要がある。

 入り組んだ場所では私の方が圧倒的に有利だ。完全に逃げきれるであろう洞窟まであと少し。


 本当は地中に潜れれば良かったんだけど、すり抜けられるのは反対側に空間がある場合だけなのだ。どういう仕組みか分からないけど、壁に潜ったと思った次の瞬間には反対側から出ている。意識すればゆっくり出ることも可能だけど、中に滞留することはできなかった。


「はぁあああ、ダークスイング!」


(ひゃっ)


 闇属性の魔力を纏った斧が、私の上スレスレを通り過ぎていった。

 ちょっと、捕まえるとか言いつつ完全に殺す気じゃん!


 必殺の威力を持った攻撃を、躱すというには不格好に掻い潜った私を、今度はメズが攻め立てる。


「ダークスパイク」


 熱血じいさんのゴズに比べ、メズは冷酷無比。

 穂先に宿る闇魔力が、私を刺し殺さんと迸った。彼の精密な槍捌きは、数歩先を行く私に確実に迫った。


「あはっ」

(さすがに無理! 聖結界!)


 聖女が使える魔法は回復、聖域、結界の三種類が主だ。

 結界は、物質も魔法も通さない不可視の壁を創り出すことができる。効果やサイズは調整が効くのだが、今回咄嗟に張ったのはシンプルな薄い障壁だ。槍の軌道上に、私を守る結界が出現する。


 パリン。

 鏡が割れたような音が響いて、メズの槍が結界に突き刺さった。鋭い穂先と闇の魔力を受け止めた結界は、一瞬の抵抗を見せたが呆気なく砕け散った。


 だが、一瞬あれば十分だった。


「なんだと?」


 メズが疑問の声を上げたが、振り向いている時間はない。

 槍を回避した私は、洞窟の中に辿り着いた。壁の中に飛び込んで、ヒトダマが生産されていた小部屋に出た。どんどん奥に進んで、入口から離れていく。


「こんちくしょう! どこに行ったのじゃ!」


「逃げられた、か。それにしても最後の突き、完全に捉えたと思ったのだがな」


 洞窟内に彼らの声が反響した。苛立つ様子のゴズは、走り回ってしらみつぶしに部屋を確認している。

 こちらからしたら相手の場所は丸わかりな上、廊下に出なくても部屋から部屋へと直接移動できる私を捕まえるのは不可能だ。できれば遠くに逃げたと思ってもらいたいので、見つからないように注意して様子を伺う。


「メズが突きを外すとは珍しいのう」


「お前は大振りだからいつも外すがな。ダークスパイクは外したわけではない。最後の感覚――あれは結界だ」


「結界じゃと? ゴーストがそんなものを使えるわけがないじゃろうが」


「……先日のことといい、我らの想像を超える何かが起きているようだ」


 やっぱり結界を張ったことはバレるよね。

 メズの腕には私に到達する直前に結界を貫いた感覚が、しっかりと伝わっていたはずだ。そして『ケラケラ』という無害なスキルしか持たないはずのゴーストが、結界を張った。


 初めからゴーストではなくヒトダマから進化した個体であっても、いくつかの攻撃手段を持つのみだ。


 メズにとって、私はかなり異質な存在だと認識しただろう。


「この件はファンゲイル様にご報告しなければ」


「ちっ、じゃあヒトダマを回収してくるぞ!」


「ああ。しかし結界を使うゴーストか……我らが王の覇道を邪魔する者でなければいいのだが」


「邪魔するなら消す。それだけじゃろうが」


 邪魔する気満々です!


 二人は前回と同じようにヒトダマを回収していく。こっそり覗くと、部屋の中央に置いた陶器製のかめの蓋を開くと、部屋中のヒトダマが吸い込まれていった。

 なにあれ、すごい。


「戻るぞ。ファンゲイル様に対応を確認せねば。不安要素はなるべく取り除かねばならぬ時期だからな」


 ゴズメズはヒトダマを回収し終えると、縄で縛って背負って洞窟を出ていった。その様子を見て、私は閃いた。


(ついていけば魔王の本拠地に行けるじゃん!)


 危険かもしれないけど、状況を確認するのは急務だ。

 正直、王都がどっち方向にあるのかも分からないからね。進化も大事だけど、情報も集めないと。

 いざとなったら善良なゴーストのフリをします。ケラケラ笑ってればいいんでしょ?

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