第10話 女郎花の文




「はぁ。疲れるわ…」


 月影宮についてゆっくりと考えを巡らせたかったのだが、妹姫たちといると息つく暇もない。


「ーーまぁ、姫様。溜め息なんてついたら幸せが逃げてしまいますよ」


 勝気な妹二人との会話に疲れ、自室の脇息にもたれかかっていると、磯貝が部屋へ入ってきた。



「あの二人は本当に私の妹なのかしら…。性格が違いすぎるわ」


「まぁまぁ。お気持ちは分かりますが、我が家の姫君方を纏めるのも女主人であるあなた様のお役目ですよ」


 磯貝の言葉に再び溜め息を落とす。



「女主人なんて辞めてしまいたいわ。まだお嫁にも行ってないのにやしきを纏めるなんて、私には荷が重いもの」


「ならば、どなたかとご結婚なさいませ」


「う…」


 毎度ながらそう愚痴を溢す美朧に磯貝がぴしゃりと言い返す。

 なんだか、二人の妹を嗜めたさっきの美朧みたいだ。



「そりゃあ私だって、いいお相手がいたら…」


「そんなことを仰っているから結婚できないのです。選り好みせず、内大臣様にお返事をお書きになってはいかがですか。

 先日の月の宴の後、また文が届いていたではありませんか」


「内大臣様は嫌よ…。あちこちの姫君に通ってらっしゃる噂があるし、それに誠信お兄様のいいなりになったみたいで癪だわ」


 伊周は今をときめく関白家の嫡男にして、若き内大臣。都一優良な結婚相手と言って間違いないだろう。


 しかしそれ故に、美朧には到底太刀打ちできない名のある姫君たちと浮き名を流してきた色男でもあるのだ。



「殿方が多くの姫君のもとへ通われるのは当たり前のことです。それに、家長の誠信様が姫様のご結婚を決められるのも当然のことでございます」


 美朧の言葉に、呆れたようにそう返す磯貝。


「そうだけれど…。」


 言い返す言葉が思いつかず、言葉が尻すぼみになる。



「とにかく内大臣様にお返事をお書きくださいませ」


「わかったわ」


 美朧は磯貝の言葉に力無く頷いた。



「――姫様!」


 筆を持ち伊周に宛てた和歌を考えていると、女房の鈴代が部屋へ駆け込んできた。


「なんとはしたない。もう少し落ち着いてからお部屋へ入ってきなさい」


 慌てる鈴代をそう嗜める磯貝。


「申し訳ございません。ただあまりにも驚くことがございまして、姫様に急ぎお伝えせねばと!」



「鈴代、とにかく座りなさい」


 美朧は興奮冷めやらぬという様子で簀子すのこに立つ鈴代にそう声をかけた。




「――それで、何があったの」


 未だ落ち着かず肩を揺らす鈴代にそう問いかける。


「先程あるお方が姫様宛に文を持ってこられたのです」


「あるお方…?」


「はい!そのお方は、自分は月影宮つきかげのみや様のご使者だと仰いましたわ」



「月影宮様…」


 月の宴で出会った美しい人を思い浮かべる。


“あなたに手伝って欲しいことがあるのです。”

 そういえばそんなことを言ってた。



「それで文は?」


「こちらです!」


 鈴代が差し出した文には、美朧があまり馴染みのない黄色い花が添えられていた。



「これは、女郎花?」


 扇からその花を外し、文を開く。


“月読の 光に来ませ あしひきの 山も経隔りて 遠からなくに”



 確か、この和歌は湯原王ゆはらのおおきみが詠んだ一首だ。

 殿方であるのに姫のふりをして宴席で戯れて詠んだという。


 意味は、“月の光を頼りに逢いに来てください。山が経隔てるような遠い道ではないのですから”と、恋人を誘う恋歌。


 美朧にこんな歌を送って何がしたいのだろう。



――それに、この黄色い花…恐らく女郎花。


 秋の七草に数えられる花だが、この和歌とは関係なさそうだ。季節も少し外れている。



「姫様、どんな内容でしたの?」


「これ、鈴代。無粋なことを言うでない」


 気になってしかたがないという様子の鈴代と、毅然としつつもやはり気になる様子の磯貝。


「それが、意味がわからないの…」


 そんな二人に和歌の内容を見せて、眉を寄せる。


「なんと失礼な!姫様に対して、そちらから来いと?いくら宮様とて無礼が過ぎますぞ。」


「磯貝、落ち着いて。」


 和歌を見た途端怒りだした磯貝を慌てて止める。


「月影宮様のことだから、意味なくそんな無風流なことはなさらないはずだわ」


「しかし…」


 磯貝は眉を顰め、難しい顔をしている。



「姫様、“月読の光が照らす”とありますでしょう?もしかしたら月影宮様自らお迎えに上がるという意味ではないでしょうか。」


 難しい顔を続ける磯貝を他所に、美朧にそう耳打ちする鈴代。


 月読とは、三貴神の一人(一柱)である夜の神。月の化身とも言われる。


 つまりこの和歌でいう“月読”とは月影宮様を表すのではないかということだ。



「月影宮様がお迎えに?」


 “月読”といえば、頭に浮かぶのは幼き日に出会った美少年だ。


――まさか、ね。



「そしてこれはあくまで私の予想ですが、お花の意味は、“『女郎花おみなえし重ね』で参られよ”ということでは?」


 女郎花重ねとは、十二単の唐衣の下、五衣に女郎花の黄や萌黄を重ねることだ。


「そうとも考えられるけれど…」


 自信満々にそう述べる鈴代の言葉に、何となく腑に落ちず、言葉を濁す。


 そもそもこれは、鈴代や磯貝が期待するような恋文ではないのだ。美朧は月の宴で月影宮様に見初められたのではない。ただ、手伝いを頼まれただけなのだ。


 そうなるとこの和歌は、近日迎えに来るから手伝いをしてくれという意味なのだろう。きっとそれ以上の意味はない。



「姫様?」


 急に筆をとり返事を書き始めた美朧に首を傾げる鈴代。


「姫様、こんな無礼な殿方にお返事を書く必要はありませんわ」


 そう言う磯貝に一度筆を止める。



「大丈夫よ、磯貝。お断りの文を出すだけよ」


 そして再び筆を走らせる。




「月読の光は きよく照らせれど まどへる心 思ひあへなくに」


 “ 月の光は清らかに照らすけれど、私の心は迷い曇っています。”


 あの時はつい手伝うと言ってしまったが、いざとなると悩んでしまうのはしかたがない。



「姫様…でもこれでは、“その戯れに乗りましょう”という意味になってしまうのでは?」


 嫌に鋭い鈴代に静かに、と人差し指を口元に当てる。



「あの方はそれを分かっていて、敢えてこの歌を私に送られたのよ。しかたがないわ」


 この返歌は、先程の女役の湯原王の歌へ、男役として返し詠まれたもの。このやりとりは、彼らの宴席でのお遊びだ。


 先程の誘いに真面目に“はい”と答えようが、この返歌のように“いいえ”と答えようが、どちらも“手伝いますよ” “戯れに乗りますよ”という意味になってしまう。


 つまり、もともと断る選択肢はないということだ。



「全く。優しいふりをして、とんだ腹黒だわ」


 美朧はそう呟きながらも、男女逆転の和歌が可笑しくて、少し口元が緩んでしまった。


「鈴代、磯貝には内緒よ」


 美朧は、未だ一人でぶつぶつとお小言を言っている磯貝を横目に、そっと鈴代にそう耳打ちしたのだった。


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烏羽玉の世に浮かぶ月 天沢薫 @ririli

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