第45話 礼をもって礼に応える(10)

 夜が更け、夜神が一時の安息をこの地に授けた頃、アサナミの社の前にみなもが現れた。全てを決めた表情で、アサナミの本殿に向かった。かつて、喜びの表情で駆け抜けていった参道を戻っていた。


 本殿に着くと、みなもの前にアサナミが現れた。白き衣に虹色の羽衣を纏い、長い髪を一つに束ねていた。みなもの髪よりも更に長く美しかった。水波野菜乃女神よりも更に大らかな雰囲気と威厳を漂わせ、その姿は枯れることなく潤い続ける水辺の華のように美しかった。アサナミより生まれし子が美しいのは、どの神々にも納得させるものがこの母にはあった。みなもは、その美しき母の前に跪いていた。


「水波野菜乃女神妹よ。あなたは何故にここにきたのですか」


 アサナミは優しく問いかけた。


「今日は、儂の御霊を母さに返したくて参りました」


 みなもはそう言うと、少し手を震わせながら、髪飾りを外し、群青色に美しく光る御霊と共にアサナミに差し出した。アサナミはそれを受け取ると、髪飾りを見ていた。


「この髪飾りは何か?」

「姉さが御霊と共に渡すようにと」


 みなもは顔を上げぬまま答えると、アサナミはしばらくその髪飾りを眺めて、静かに目を閉じていた。みなもは、ただアサナミの言葉を待っていた。


「あなたが御霊を返そうと思う理由を聞く前に、少し私の話を聞いてもらえますか」

「はい」


 アサナミの声にみなもは顔を上げて返事をした。アサナミはその姿を見ると優しく語りかけた。


「今でも、私は憶えています。あなたが五つの神の御霊の中から迷わずにこの青い御霊を選んだことを。あの時は、私も驚きました。多くの稚児は何度も考え、迷い、話を聞いたりしながら時間を掛けて選ぶのに、あなたは初めから決めていたと言う。そしてこの御霊を授かると、一目散に駆けだして姉となる水波野菜乃女神のもとに行きましたね。あの子は、驚いていました。『かの地に向かわずに、喜んで自分の胸に飛び込んできた妹がいたと。今までにないことだと』私に言ってきました。あの子もよほど嬉しかったのでしょう。事あるごとに、あなたのことを話してきました。多くの妹のことも見つめながらも、あなたを気に掛けてたようです。あの子は、私の妹であるユウナミを助けたくて流した涙から生まれました。生まれてすぐにあの子は、傷ついたユウナミを見限り去っていく人の姿を目にしました。訳の分からぬまま、傷ついたユウナミを介抱することに努めました。生まれてすぐに見た光景が人の弱さと醜さ、そして傷つき苦しむ神でした。似ていると思いませんか?あなたが、迎えられた地で、訳も分からず見た人が成す光景と」

「姉さと儂が似ている・・・・・・」


 みなもは、今まで考えたこともなかった事実に呆然としてアサナミ眺めた。その目を見ながらアサナミは言葉を続けた。


「少し思い出話が長くなってしまいました。さて、本題ですが、あなたが御霊を返そうとする理由は何か」

「儂は・・・・・・かの地での役目を終えました。儂も人の心から離れたため、御霊を返したく思いました」

「そうですか。御霊を返し、あなたはどうするつもりですか」

「はい。この世界から先に消えた他の妹たちと同じ世界に戻ります」

「それは、無理というものです」

「無理とは」

「あの子からも聞いているでしょう。この世界にあなたを繋ぎ止める心があります。あなたは、私に御霊を預けても消えることはありません。消えぬであれば、どうするつもりですか。御霊のない神がこの世界でなるのは『』です。ほうろう神として、この世界をさまようのですか。ほうろう神が行き着くところは、結局は人の御霊。今度は取り付き神となり、人に仇をなすつもりですか」


 アサナミは厳しい目でみなもを見た。みなもは、アサナミにすがるように頭を下げた。


「儂は、人に仇をなすことはしたくありません。願うのはただ消えたいこと。儂はただ・・・・・・消えたい」

「消えてどうするのですか」

「消えて、母さに預けている御霊の人のもとに行きたい」


 みなもは、アサナミに訴えるように言った。


「あなたが言うのは、あの時に私に預けた人の御霊のことか。神の御霊を預かる私に託した人の御霊。あなたが、いずれ迎えに来るからということで、私に預けたもの。だが、それが今なのですか。ならば、答えてあげましょう。この御霊は、あなたがいま側にくることを望んではいません。むしろ、悲しんでいます」


 みなもは、アサナミの言葉にただ戸惑っていた。


「水波野菜乃女神妹よ。あなたがいままでかの地で尽くしてきたことはよく知っております。だが、まだ人というものを理解していないようです。あの御霊は、あなたの巫女となった人の御霊。巫女として生きた故、若くして命が尽きたこと、あなたはそれを悔やんでいるのでしょう。その時以来、神謀りにも参上せぬようになった。そのことを承知しているから、我が子も他の神々に気を回し、あなたを庇ってきたのです。あなたが、消えたい理由。それは、人の命が尽きるのを見るのが辛いからではないのですか」


 みなもは、アサナミの足下に跪いたまま頭を下げていた。


「この御霊を持った人は、なぜあなたの巫女になったのですか。そのことを考えたことはないのですか。あなたが人と神を繋ぐものであること、そのことで救われる人がいること。自分もまたそれに救われたからこそ、あなたの巫女となったのではないですか。なのに、あなたがその救いを放棄して自分の側にこられても何も嬉しくはありません。この御霊は、こう叫んでいます。『いずれ、自らあなたの側に行くと』」

「自から・・・・・・」


 みなもはうなだれ呟いた。

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