32-3 未来へ繋ぐ

『……ねえ。未咲と雅久は、宗一郎そういちろうって男のことを知ってるんだよね』


 ふと雛夜が訊ねる。未咲は戸惑いながらも頷いた。


「知ってますけど、どうして?」

『いや……何て言うか、懐かしい感じがしたって言うのかな。繋がりを感じたと言えば良いのか』

「えっと、宗一郎さんと会ったの……? 黄泉の国で?」


 未咲は眉根を寄せて小首を傾げた。雛夜の代わりに雅久が頷く。


「未咲を逃がした後、宗一郎たちがイザナミから助けてくれたんだ」

「宗一郎さん、たち?」

「ああ。……正芳も、お前の祖父母も。そして、かつてこの村に住んでいた人々が、助けてくれた」


 雅久は大切なものを手のひらで包み込むように愛おしんで言った。未咲は胸の奥から熱が広がっていくのを感じた。そっか、と返した声はほとんど吐息で、瞬く間に朝の空気に溶けていく。未咲もまた、彼らに助けられた。月夜見に身体を奪われた時、あたたかな誰かの影が、声が、未咲を呼び覚ましてくれた。今なら、彼らが助けてくれたのだとはっきりとわかる。


『それで、あの子を見た時にハッとなったというか。あの子が何者なのか気になっちゃってね』

「……雛夜さんと、宗一郎さんの繋がり」


 未咲はぽつりと呟いた。そういえば、宗一郎の父・直次郎なおじろうは「鬼の遺物を代々受け継いできた」と言った。だから未咲は、鬼の遺物を探そうとして、過去に迷い込み、雛夜と出会ったのだ。そう考えると、宗一郎は雛夜の子孫ということになりそうだけれど、雛夜の子供は幼くして亡くなっている。子孫という可能性はそこで消えるが、雛夜が何か繋がりを感じたというのであれば、もしかすると。


「雛夜さんって、兄弟いた?」

『え? ああ……そういうことか』


 雛夜は未咲の問いに答えないまま納得したように呟いた。その声が何処か嬉しげで、生前の思い出を描いているような懐かしさが滲んでいて、未咲は胸がじんわりとあたたかくなった。きっと、宗一郎は雛夜の血族だ。もしかすると、雛夜を亡くした兄弟……家族の誰かが、雛夜の形見を大切に受け継いできたのかもしれない。月夜見が殺し鬼となった女性となれば、村では忌避きひすべき存在であったろうに。他の村人の目を盗んででも、雛夜が生きた証を大切に守ってきたのだろうか。直次郎は忌々しそうに言っていたけれど、それでも捨てることはなかった。細くて頼りない縁を、途中で切ることなく、大切に繋いできたのだ。


『……馬鹿な奴らだね、本当に』


 繋いできた縁は、長い時を越えて人の心を癒すことがある。

 未咲の頭には、この大地に刻まれた時を想い朝露のような涙を流す雛夜の姿が思い浮かんだ。山々の向こうから昇る朝日に照らされて煌めく雫は、多くの人々の人生を見送ってきた大地に優しく染みこんでいく。そうして繋がっていくんだ。すべてが。様々な想いが。


 わたしはこれから、多くの想いを、愛すべき縁を、過ぎ去る人々が大切に繋いだものを、この目で見守っていく。


「わたしね、雅久が雛夜さんや雛夜さんと一緒にいた霊たちを救ったみたいに、色んな人たちが抱える悲しさとか、悔しさとか、痛みとか……そんな気持ちを癒やせたらって思うんだ」


 柔らかな風が未咲の髪をふわりとさらった。未咲は赤い月の晩の争いの爪跡が無惨に残る森を見回す。ひしゃげた木々、折れた草花、めくれ上がった地面。雨は血を流しても、刻まれた傷跡までは綺麗に流してくれない。


「生まれ変わって、またここで生きたいって、そう思ってもらえるように」


 未咲は祈るようにそっと瞼を下ろした。草木の香りを乗せた風が未咲の頬を撫でる。それが、今はこの世にいない大切な人たちが未咲を応援してくれているように思えて、自然と頬が緩んだ。目の前にいなくても、声が聞こえなくても、わたしたちは繋がっている。

 不意に、真神が鼻先で未咲の頬を小突いた。湿って冷たい感触に、未咲は思わず笑みを溢す。真神の頬を撫でて、未咲は辺りを見回してから深呼吸した。雅久に目線を移すと、雅久は柔らかく目を細め、その瞳を太陽の光で煌めかせる。


「俺も、未咲とともに」


 未咲は幸せを湛えて微笑んだ。胸元の月愛珠げつあいじゅを両手で包み込み、静かに目を瞑る。あたたかな月の光が、地面に染み渡り、草花を包み、木々を覆っていく。川縁かわべりに蛍が舞うように、小さな光の粒がふわりと踊り始めた。


「満開じゃのう」


 大山祇神おおやまずみの朗らかな声が空を目指す。雅久も、雅久に宿る雛夜たちも、真神も。全員が顔を上げた。

 月の光が太陽へと昇っていく。ふわり、ふわりと、桃色の花びらを連れて。


 ――未咲はね、とっても素敵な力を持っているのよ。


 未咲がこの世界にやってきてから、何度も聞いた祖母の声が祝福の鐘のように響いた。瞼の裏に、幸せそうに笑う祖父母が映る。祖父が祖母の肩を抱いて、微笑んで、まっすぐにわたしを見守っている。


 うん、そうだね。わたしの力は、とても素敵なものだったよ。


 幸せな記憶で彩った心で返して、未咲は瞼を上げた。風に草花が踊り、生き生きとした木々が、桃色の花を揺らしている。大好きな風景の真ん中で、愛しい人が笑っている。優しい神様も、頼もしい白狼も、愛しい人に宿る大切な友人も、笑っている。その周りを舞う光の粒は、記憶に刻まれている大切な人たちが寄り添ってくれているようだと思った。


 きっとこれが、わたしがずっと見たかった景色。


 未咲は両手の人差し指と親指の先をくっつけて、目の前に小さな窓を作る。祖母が読み聞かせてくれた絵本に書かれていたように、青く染まった指ではないけれど。


「見たいものは、見えたのか?」


 窓の向こうで、雅久が微笑んだ。未咲は涙を滲ませながら、笑顔で頷いた。


「うん。見えたよ」


 手に入れたものも、失ったものも、沢山ある。息が出来なくなるほどの幸せも、胸が引き裂かれるような悲しみも味わった。すべてを投げ出してしまいたいと願ったこともあったけれど、今は、その痛みさえ愛おしい。

 これからのことを思うと、不安にもなるけれど。それでも、ひとりぼっちじゃないのなら。


「ずっと傍にいてね。雅久」

「ああ、もちろんだ。未咲」


 あえかなる月夜に生まれた恋は、未来へと咲き続ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る