32-2 神として“在る”

『……未咲、久しぶりだね』

「雛夜さん」


 遠慮がちな雛夜の声を聞いて、未咲は鼻の奥がつんとした。溢れそうになった涙を拭って笑う。


「一緒に旅しましょうね」


 時を越えて出会った雛夜との約束を守れる。未咲にはそれが心の底から嬉しかった。雛夜もそう思ってくれているだろうと期待して彼女の返答を待つ。しかし、訪れたのは沈黙で、穏やかに大地を撫でていく風の音が未咲を気恥ずかしくさせた。


「え……え!? あの、楽しみにしてたのってわたしだけですか!?」


 ふっ。

 小さく吹き出す音が聞こえて、未咲は茫然と口を開けたまま雅久を見た。雅久は口元を抑え、ぷるぷると肩を震わせている。


「が、が、雅久ー!」

「いや、その、すまない。ふ……いや、か、可愛いなと」

「嬉しくないです」


 未咲はぶすっと唇を尖らせた。嘘、すっごく嬉しい。そう内心思いつつ。


『あー……何て言うか、敵わないなって思ってただけよ。あんたって心底バカよね』


 気まずそうに口を挟んできた雛夜の声には、隠しきれない喜びが滲んでいた。


「えっ」

『だってあたし、あんたのことを殺そうとしたし、雅久にも酷いことしたし……普通、そんなこと言える? 未咲も雅久も、本当にバカだわ』

「二回目……」

「俺もか」

「似たもの同士じゃのう」


 太陽の下に、いくつもの笑い声が響いた。一頻ひとしきり笑い合って、未咲はふと雅久の目を見つめた。鬼となった雛夜や霊たちは雅久に宿り、イザナミは雛夜たちから離れ黄泉の国へと戻った。雅久は鬼から解放されたのだ。けれど、雅久の蛇のような金色の瞳はそのままになっている。呪いは解けなかったのだろうか、と未咲は眉尻を下げた。

 雅久は未咲の様子に気付き、まなじりを下げる。


「これは雛夜や霊たちとの絆の証だよ」

「……でも、その」

「普通の人間とは違うままだけど、未咲と一緒に居て良いだろうか」


 未咲は目を見開き、それから小さく息を吐いてゆっくりと顔をほころばせた。


「もちろんだよ、雅久」

「ありがとう」


 雅久は嬉しげに頬を上気させて微笑んだ。


「……それに、わたしも大山祇神おおやまずみのかみ様と同じような存在になったみたいだし……」

「同じような、というか同じじゃろ」


 頬を掻きながら言う未咲に対し、大山祇神はきっぱりと言い放った。


「月夜見の後を継いだわけじゃからな」

「えへ」

「何とも頼りない神が生まれたもんじゃのう……」


 またも誤魔化すように笑う未咲を、大山祇神はじとりと見た。


「何となく想像はつくが」


 雅久は腕を組み、人差し指でとんとんと肘を叩く。


「月夜見から身体を奪い返すには、未咲は月夜見を下す他なかったということだろう。だが、それは世界が月夜見という月神を失うことと同じで、その穴を埋めるために未咲が後を継いだ。そういうことか」

「お、お察しの通りです」


 雅久の推察に、未咲は落ち着きなく指で髪をもてあそぶ。説明しなくてもわかってくれるのは大変ありがたいことなのだが、妙に胸がざわつく。雅久に心の内をすべて見透かされてしまいそうで、ほんの少しだけ怖くなってしまう。もちろん、月夜見やイザナミに感じたような恐れとはまた違うものなのだけれど。


『あんたみたいな神様なら全然良いわ。だって、転んだって悪いことなんか出来なさそうだし』

「する気はないけど、何か複雑な気分……」


 と言って微妙な顔を見せつつ、雛夜の言葉に未咲は安堵した。


「でも、月神になった実感がないというか……何をすれば良いのか全然わからなくて」


 未咲が眉尻を下げて不安がると、大山祇神は神妙な顔で頷いた。


「神とは、ただ“在る”だけで良いもの。儂のようにこうして姿を見せるのも今の世では珍しいことじゃ」

「在るだけ、ですか」

「存在するだけで意味があるということよ。おぬしは既に役目を果たしている。今後もおぬしの存在を繋いでいくことが仕事ということじゃな」

「……つまり『死ぬなよ』ってことですね」

「まあ、それでいい。難しく考えるとドツボにハマる女子おなごじゃしな」


 大山祇神は悪戯めいた笑みを浮かべた。未咲はむっと唇を尖らせて傍で大人しく座っている真神を撫でる。その通りだとは思うものの、図星を突かれて平然としていられるほど大人にはなれない。こんなことで「神様として在る」ことが出来るのかと不安にもなる。「存在しているだけで良い」とは言うけれど、果たして本当にそれだけで良いのだろうか。


「未咲、本当に難しく考えなくて良いんだ。俺は、未咲が未咲らしくあれば、それがこの世にとっても正解なのだと思える」

「そうかなあ……?」


 未咲は雅久の言葉に首を捻る。大山祇神は「まあ、生きていれば自ずと答えは見えてこよう」と、可笑しそうに笑った。

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