最終話 未来へ咲く花

32-1 月神となった少女

「礼ならば真神に言えよ。真神が儂を呼びに参ったのだからな」


 未咲や雅久と目線に合わせた高さで浮いたまま胡座を掻く大山祇神おおやまずみのかみはふんぞり返って言った。雅久は何処か誇らしげな真神を見て納得したように頷き、それから嬉しげに笑みを浮かべた。


「だからあの時、真神は俺たちと一緒には来なかったんだな」


 真神はふんと鼻を鳴らした。その様子に、未咲と雅久は顔を見合わせて笑う。


「ありがとう、真神」


 未咲と雅久は同時に言った。声が重なったことに再び笑い合ってから、未咲は何かに気付いたようにハッと顔色を変えた。


「あ、あの、村は大丈夫なんでしょうか。被害とか、やっぱり出たのかな……すごく今さらな心配かもしれませんが……」

「……その辺は詰めが甘かったな」


 大山祇神が表情を暗くする。未咲はショックを受け悲しげに瞳を揺らした。


「そんな」


 晴れやかな空気が一変して重苦しくなる。しかし、暫くその場を沈黙が支配していたと思うと、唐突に大山祇神がにやりと笑った。


「まあ、そこはほれ、儂が結界を張っていた故」

「え?」

「因縁には手を出せないがな、それ以外は手助けのうちにも入らん」

「か、神様だあー……」

「最初からそう言っておろうが」


 感極まったように瞳を潤ませて大山祇神を拝む未咲を見て、大山祇神はわざとらしく呆れた表情を作って息を吐いた。呆気に取られていた雅久が遅れて感謝を口にする。


「ありがとうございます、大山祇神様」

「よいよい。大抵の奴らは月夜見とイザナミの気に当てられてまともに動けなかったようだしな。儂の結界がなくとも、怪異による被害はそうは起きなかったじゃろう」

「……御神木は、なくなっちゃったんですね」


 未咲は御神木と取って代わった巨大な岩を見上げてぽつりと呟いた。


「黄泉の国へ繋がる入口となってしまったからのう。放っておけば、黄泉より亡者どもが生者を襲うかもしれん。本来ならば、それを防ぐのがイザナミなのだがな」

「……はい」


 未咲は沈んだ表情で頷いた。幼い頃から大好きだった御神木があの恐ろしい空間と繋がり人々を苦しめるものへ変貌してしまったと思うと胸が痛い。人々に忌避すべきものとして知られるくらいなら、こうして存在ごとなくしてしまった方がマシなのだろう。名残すらないのは、やはり悲しいものだけれど。


「ああ、おぬしたちが埋めた正芳まさよしの遺骨だがな、その場所はしっかり避けておいたぞ」

「ど、どうしてそんなことまで知って……いや、ありがとうございます」


 未咲は何となしに言ってのける大山祇神に問おうとしたものの、聞くだけ無駄かと思い直し首を振った。正芳の遺骨を御神木の根元に埋めたものだから、それが心配だったのは確かで、大山祇神の気遣いは素直にありがたいと思う。文子には後で事情を説明しなければ、と未咲は胸に刻んだ。


「あの、御神木がなくなったら、この村はまた怪異に襲われるようになってしまうんですか?」

「ふうむ。ま、他の土地よりは多くなろうな。この地が境界であることには変わりがない」


 未咲は口をつぐんで胸の前でぎゅっと拳を握った。


「そんなに気になるならば、おぬしが加護を授けよ」

「え?」


 思ってもみなかった言葉が耳に飛び込んで来て、未咲は目を丸くさせた。未咲の隣で雅久が困惑した表情で首を傾げる。


「どういうことですか? 未咲は確かに、霊力がありますが……」


 神ではないのですから、と雅久は続け、未咲はぎくりとして肩を強張らせた。大山祇神は未咲の顔を見てにやにやと口の端を持ち上げた。


「な、何ですか」

「いやなに、流石の儂も、此度の結末には驚いていてな」


 未咲はうっと言葉を詰まらせる。大山祇神は笑みを深めた。


「おぬし、まさか月神になって戻ってくるとは思わなかったぞ」

「え、えへ」

「は?」

『え、何それ』


 大山祇神の言葉に、未咲は誤魔化すように笑い、雅久は眉をひそめ、雛夜は不審げな声を返した。未咲は最後に聞いた女性の声にぴたりと動きを止める。次いで、目をぱちくりさせながら辺りを見回した。


「あ、あれ? 今聞こえた声って……」

「ああ、雛夜の声だ。未咲にも聞こえるのか。……って、そうじゃないだろう」


 雅久は未咲にも雛夜の声が聞こえたことに頷きつつ、話を逸らそうとしたようにも見える未咲に眉間の皺をさらに深めた。未咲は乾いた笑みを浮かべ人差し指で頬を掻く。


「ええと、それは、うん。皆に報告したいとは思ってるんだけど。雛夜さんについて、まずは聞きたいな。わたし、雅久と真神に乗って御神木に向かっている途中から記憶がないというか。いつの間にか不思議な空間にいて、起きたと思ったら月夜見が目の前にいて、なんやかんやあって……えっと」


 未咲はどう説明したものかと難しい顔をして頭を悩ませた。何とか言葉を選ぶも整然としない。

 雅久はこれ見よがしに大きく溜め息を吐き、それから呆れたように笑みを漏らした。


「仕方ないな」

「め、面目ないです」

「いや、俺も話したいことも、謝りたいことも、沢山あるんだ。とにかく未咲が生きていてくれて良かった。俺が思うのはそれだけだよ」

「雅久……」


 未咲は雅久の言葉に胸を打たれ涙ぐんで雅久の名を呼んだ。雅久は笑みを返した後、雛夜の存在を示すために自身の胸に手を当てて口を開く。


「鬼となっていた雛夜の荒魂あらみたまは、俺の中にいる。雛夜とともにいた霊たちも一緒だ」

「じゃあさっきの声は、本当に雛夜さんの……」


 雅久は頷く。未咲はそっと自身の胸に手を当て、その場所に顔を向けた。雛夜の和魂にぎみたまも未咲に宿っている。荒魂が雅久に宿っているということは、雛夜は今二人いるようなものなのだろうか。何とも不思議な状況だ、と未咲は妙な気持ちになった。いや、それよりも、まずは雛夜が鬼ではなくなり、雅久の元で魂を休められていることが嬉しい。それに、「雛夜とともにいた霊たちも一緒」だなんて。海のように深い優しさで満ちている雅久らしいと、未咲は嬉しく感じた。よかった、と小さく呟いた。

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