30-7 継承

「貴様……よくも、この月夜見を……ッ!」


 未咲は荒い息を吐き出しながら、茫然と目の前の女神を見つめた。ごつごつとした地面に膝をつき、鬼のような形相をしている月夜見の身体には蛆虫うじむしたかり、顔を覆った右手からちらりと覗く肌はただれているように見えた。

 月夜見の魂は彼女自身の身体に戻ったのだ、と未咲は恐ろしさに肩を震わせながら理解した。今、わたしは人の――月夜見は神であるが――死後の姿を見ている。自分の未来の姿を見せられているような気がして、鳥肌が止まらない。そう、月夜見の姿が恐ろしいのではない。唐突に自分の死が目前に迫った気がして恐ろしいのだ。

 未咲は自分が氷のように冷たい地面にへたり込んでいることに気づき、上手く力の入らない足で懸命に立ち上がった。覚束ないけれど、自分の意思で身体が動くことが確認できて安堵した。自分の身体から月夜見の魂を追い出すことができたのだ。


「この、小娘風情が!」


 月夜見の周りにどこからともなく水柱が現れ、勢いよく未咲に襲いかかる。未咲は咄嗟に身を守るために両手を前に出す。その瞬間、鋭い光が辺りを照らし、未咲の目前に迫っていた水柱は霧のように雲散した。未咲は目を見開いて自身の両手を見つめた。淡く光を帯びた手と、太陽の簪。表情を引き締め、ぎゅっと強く手を握る。わたしの力は、奪われていない。未咲は素早く月夜見へと視線を戻した。その時、


「あ……っ!」


悲鳴を上げる間もなく、余裕をなくした月夜見に押し倒され地面に背中を叩き付けた。ごつごつと隆起した固い地面は容赦なく未咲の背中を痛めつける。未咲は痛みに顔を歪め奥歯を噛んだ。身体を起こそうすると、すかさず月夜見が未咲の細い首に手をかけた。未咲の心臓がどくりと嫌な音を立てる。


「楽に死ねると思うな。貴様も貴様の愛する人間どもも、すべて殺してくれる」


 えた臭いが鼻腔を突き刺す。未咲は喉の強い圧迫感に歯を食い縛りながら月夜見を薄目で睨み、震える手で月夜見の肩に簪を突き刺した。じゅ、と肉が焼ける音がしたと思うと、月夜見は痛みに悶え未咲の首から手を離した。未咲は咳き込みながら、月夜見の隙を突いて身体を起こし、月夜見の身体を突き飛ばす。右手の簪を握り直すと、ふわり、と柔らかな熱が未咲の手を覆った。未咲が目線だけ右手に向けると、その手に光の粒子で描かれたような半透明の女性の手が重なっていた。


「雛夜さん」


 小さく呟くと、未咲、と大切な友人の声が未咲の脳内に響いた。未咲は決意を込めて苦しむ月夜見を見据える。


「わたしは死なない。大切な人たちも、全員守ってみせる」


 未咲の凜とした声に、月夜見はカッと目を見開き笑みを浮かべた。


「貴様、我を滅するつもりか? 愚かなことだ。神を殺す……それも、この月夜見を! どうやら何もわかっていないらしいな! この世界の夜、そして生命を司る月神を殺すことが、何を意味するか!」

「……わかっていないのは、あなたの方だよ」


 未咲は冷静に返した。瞼を下ろし胸の前で簪を祈るように握り締め、そして、ゆっくりと目を開ける。


「忘れたの? わたしは、あなたの子孫なんだよ。あなたの魂を入れても壊れないくらい、確かな月神の力を持った、月夜見の子孫なの」


 月夜見は大きく目を見開き、言葉を失った。数秒の間を空けたと思うと、くつくつと笑い出す。


「まさか、貴様が……? 出来るわけがない。神の血を引くとは言え、人間として生きてきた貴様が、神として永久とこしえの時を耐えられるとでも思うか」

「わからない。でも、耐えるの。それが、わたしの選んだ道だから。自分で選んだ道なら、苦しくても、悲しくても、つらくても……後悔なんてしない!」


 未咲は太陽の簪を手に月夜見へと駆け出した。胸の月愛珠と太陽の簪が光り輝く。


「あんたなんか、ここでずっと男と仲良くしてろーッ!!」


 未咲は力の限り叫び、雛夜とともに簪を月夜見の胸へと振り下ろした。

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