30-4 イザナミの神話

「黄泉の国からその人を連れ戻して、わたしの身体で彼と一緒に生きていくってこと?」


 未咲は言いながら吐き気を感じた。そして、次いで浮かんできた疑問と、それに対し未咲自身が思いついた答えに総毛立った。


「人には寿命がある。その人を生き返らせても、時が来ればまた死んでしまう。そうしたら、また蘇らせるって言うの?」


 信じられない気持ちで未咲は月夜見に訊ねた。月夜見は蔑むように目を細めて未咲を見つめ鼻を鳴らした。


「そうであれば何だと言うのだ」


 未咲は慄然りつぜんとした。神と、人間であるわたしの考え方はまるで違うのだと突きつけられたようだった。軽い。命への考え方が軽すぎる。死んだら生き返らせれば良いなんて。一度死んでしまえば終わりだというのに、黄泉の国から何度でも連れ帰る、だなんて。


 そんなの、その人を何度も死なせるってことじゃないか。


 そして、生き返らせてもらう本人だって、何度死んでも月夜見が生き返らせてくれると思ったら、自分自身の命の扱い方がやはり軽くなるのではないだろうか。段々死への恐怖が薄れて、生きることも死ぬことも大したことではなくなって。日々の生活の尊さとか、感謝とか、一日一日を大切に生きようだとか、周りの人たちとの時間を大切にしようだとか、そんな考えもきっとなくなっていって。それって、「生きている」と言えるのだろうか。

 元の世界で「一度きりの人生だから大切に生きよう」と言っている人がいた時、何だかクサい人だと思っていたけれど。こうして月夜見と対峙して思う。一度きりと決まっているからこそ、大切に思えるものが、日々の生活が尊いと、わたしの大好きな人たちとの時間が愛おしいと思えるのだと。

 月夜見の気持ちも、わかる。愛しい人が亡くなって、生き返らせることが出来るのなら生き返らせたいと願う気持ち。大切な人との日々を「もう一度」と願うことは、きっと誰にでもある。未咲は脳裏に祖父母や正芳、宗一郎、雛夜の姿を思い浮かべた。


「人は死んだら、生き返らないよ」


 未咲は月夜見に言い聞かせるように言った。自分の口から飛び出した声が思いのほか幼子を相手にするような柔らかさと少しの厳しさを持ったものであったことに驚いて、未咲は口元に手を当てる。月夜見は柳眉りゅうびを顰めた。


「黄泉の国への扉は開いた。貴様が何を言おうとも無駄なことだ。既に――黄泉の国へと入ったのだからな」

「……え?」


 未咲は虚を突かれ狼狽うろたえた。今月夜見は何と言っただろうか。「黄泉の国へと入った」だって?

 月夜見は口の端をにやりと持ち上げた。


「イザナミが黄泉の国の扉を開いたからな」

「イザナミ……?」

「奴め、現世うつしよの鬼と結びつき我を殺す機会を虎視眈々と狙っていたのだ。それを利用し、こうして黄泉の国へと来られたのだが。互いに互いの存在を狙っていたのは同じというわけだ」


 月夜見が皮肉そうに笑う。しかし、未咲は途中から月夜見の言葉も表情も意識から外れて茫然としていた。


「鬼と、結びつく」


 ぽつりと唇から零れ落ちた言葉はほとんど吐息だった。未咲は雛夜が鬼となった時のことを思い出す。月夜見が雛夜の子供を殺し、雛夜が怨念に焼かれ鬼となった時、奈落の底から雛夜を誘う背筋の凍るような声を確かに聞いた。あの恐ろしい気配はイザナミだったのではないだろうか。

 未咲の身体に悪寒が走った。いくら神話に詳しくなくとも「イザナミ」くらいは知っている。未咲がいた世界と神話の内容が同じであれば――月夜見が「黄泉の国の扉を開いた」と言うくらいだから、きっと同じだ――イザナミはイザナギという男神と日本を造り、森羅万象の神々を産んだ女神だ。そして、イザナミはある神を産み落とした時に死んでしまった。その後、イザナギが黄泉の国からイザナミを連れ戻そうとするも失敗するのだ。


 未咲は目を伏せ、イザナミに関する情報を頭の奥底から掘り起こす。


 イザナギが黄泉の国へイザナミを迎えにいった時、イザナミの身体は腐敗が進み、そして生前の姿の面影はなく何匹もの蛇と融合したような醜い姿であった。イザナミは決してその姿を見ないよう夫にお願いするが、イザナギはイザナミが黄泉の国から戻るのを待ちきれずにイザナミの姿を見てしまう。そしてイザナギは妻の醜い姿に恐れおののき、イザナミは醜い姿を見られたことに憤りイザナギを殺そうとする。逃げるイザナギと、追うイザナミ。イザナギは黄泉の国から抜け出し、黄泉の国の入り口を大岩で塞いでしまう。イザナミはイザナギを怨み、「あなたの国の人間を毎日千人殺しましょう」と言い、イザナギは「それではこの国では人間が毎日千五百人生まれるようにしよう」と答えた。そしてそれが、人間の生と死のはじまりだった。


 それが未咲が知るイザナミの情報だ。未咲は思い出した神話の内容に顔が青ざめる。ただの神話として聞いた頃……そして、その神話はただの作り話だと思っていた頃は、特に何とも思わなかった。「人間の生と死に関する説明としては、昔の人たちも面白い話を思いつくものだ」というのが素直な感想だった。しかし、こうして実際に神がいる世界に来て、その神が目の前にいる今となっては。

 愛する人に醜い姿を見られたことは、そしてその姿を見て逃げ出した愛する人を見ることは、想像を絶する辛さではあろうと思う。未咲もイザナミと同じ立場であれば酷くショックを受けるだろう。けれど、それが原因で「毎日人間を千五百人殺す」だなんて。凄まじい怨念だ、と未咲は思う。愛憎というのはかくも恐ろしいものだ。

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