30-3 月夜見の目的

「何も知らぬまま眠るというのも憐れだな。面倒ではあるが致し方ない。話してやろう。どうせ、すべてを忘れてしまうだろうが」


 未咲の心臓がぎくりと嫌な音を立てた。先ほどまで、未咲はまるで母体の羊水を漂っているような絶対的な安心感に包まれ、自分が「未咲」であることも忘れて眠っていた。再びあの状態になってしまったら、もう二度とわたしは「未咲」に戻れないという予感があった。


「鬼神に我が身体を壊された後、我は魂だけの状態で子孫の元へと向かった。無論、代わりの身体を手に入れるためだ」


 月夜見は淡々と話す。


「しかし、我と適合する身体はそう簡単に見つからなかった。まあ、当然と言えば当然だが。……我は待つことにした。我が魂を入れても壊れない身体で生まれてくる者を」

「魂だけの状態で……?」


 未咲は眉をひそめて訊ねた。純粋に疑問であった。未咲は魂だけの状態とはつまり、幽体のことなのだと考えている。その状態で長い間ずっと待ち続けることが出来るのは不可能ではないか、と思うのだ。

 月夜見は未咲を馬鹿にしたように笑った。未咲は先ほどからずっと月夜見に心を読まれているような心地で、心臓が嫌な音を立てている。


「神は人間ではない。身体など、そもそも我らには不要。人の世と神の世では、そもそも概念が異なる。身体は人の世に現界するために必要なものなのだ」


 未咲は月夜見に注意を向けたまま、頭の奥の方で月夜見が言っている意味をかみ砕こうとした。神と人間では概念上の相違がある。つまり、神と人間はまったく異なる性質であって、同じ世界には共存出来ないということだろうか。神には神の世があり、人には人の世がある。そして互いの領域に踏み入れるには、その領域に適した身体にならなければ存在出来ない……?

 わかるような、気はする。そもそもの造りから違うということなのだろう。例えば、神に酸素は必要ないから神の世に酸素はないけれど、人が生きるためには酸素は必須で、故に人は神の世では生きられない……というような。

 けれど、何故月夜見は人間の身体が必要なのだろうか。未咲は訝しげに月夜見を見る。人の世で生きるのが好きだから? いいや、あの月夜見がそんな理由でここまでするものか。


「何故、人間の身体が必要なの」

「……」


 月夜見は唇を閉ざして、何を考えているのかわからない目で未咲を見つめる。未咲は思わずたじろいだ。


「貴様、我の記憶を覗いたくせにわからぬというのか」

「……え」


 未咲は言葉を失った。未咲が月夜見の夢を見たのはただ一度だ。真神の背に乗ってコバルトブルーの池に辿り着き、そしてそこで、雛夜の夫に出会い激しく胸を焦した――あの一度きり。ということは、月夜見が「記憶を覗いたくせに」ということは。


「もしかして、あの男のため……?」


 月夜見はただ沈黙した。相変わらずその目は何も映しておらず月夜見の考えていることを見透かすことなど未咲には出来そうにない。けれど、ほんの一瞬だけ、その目にかすかな憂いが滲んだ気がした。そのわずかな心の揺れは、月夜見が本当にあの男を愛しているのだと裏付けているようで、未咲の胸はざわついた。月夜見は既にこの世を去っている男のことを悼んでいるのだ。そして今、月夜見は男のために未咲の身体を奪おうとしている。

 未咲はぞくりと寒気がした。もしや、と思うことがあった。しかし、それはあまりに現実的ではない。ああでも、月夜見は神なのだ。人間の未咲にとっては非現実的であっても、月夜見にとっては現実的にあり得るのかもしれない。

 未咲は頭の奥底に眠っていた知識を掘り起こす。普段は使うことのない知識で、知らなくても困らないような話だ。日本神話、そして海外の神話にも似たようなものがある。黄泉の国、あるいは冥府から死んだ人間を取り戻す、そんな話が。


「まさか、生き返らせようとしているの」


 未咲が鋭く問うと、月夜見は口元に小さく笑みを浮かべた。正解、と答えるように。

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