30-2 皮肉

 未咲が目を醒ますと、本当に目を開けているのか疑いたくなるほどの闇に包まれていた。しかし、その感覚は目の前に女性が現れたことにより消え去った。息を呑むほどに美しい女性。彼女の名は、


「――月夜見」


 未咲はキッと月夜見を睨んだ。月夜見は感情をそぎ落とした顔で未咲を見つめる。


「そのまま眠っていれば良かったものを」


 そう言う月夜見の声には、やはり何の感情も宿っていない。それが余計に不気味に思えて、未咲は胸の前でぎゅっと手を握った。


「わたしの身体を返して」

「お前の身体?」


 月夜見は自身を睨む未咲を鼻で笑った。


「これは我の身体だ。我が血を分けた子孫を別世界へ送り込まなければ命を繋ぐことも出来なかった弱者が。我の力によって生かされた命だ。故に、それはすべて我のものだ」


 高圧的に言い放つ月夜見を、未咲は唖然として見つめた。滅茶苦茶な論理に言葉を失わずにはいられなかった。何それ、と低く吐き捨て、未咲は声に怒気を含めた。


「ふざけないで。わたしの身体はわたしのものだし、あなたになんかあげない」

「お前の意思など関係ない。……誰のおかげでここまで生き長らえたか、わからないようだな。我が力を貸してやらなければ、とっくに鬼神に殺されていただろうに」


 未咲は目を見開き、表情に困惑を浮かべた。月夜見の言葉に、未咲は思い当たることがあった。一つは、正芳と鬼について話した時。不穏な気配を感じた後、ほんの少しの間意識を失い、我に返った時に正芳が動揺して「今のは何だ」と訊ねてきた。もう一つは、朔の日に大蛇に襲われた時。雅久が大蛇の攻撃を受け倒れたのを目にした瞬間頭がカッと熱くなり、気がついた時には大蛇が死んでいた。何故大蛇が死んだのかわからないままだったけれど、まさか、今と同じように月夜見が未咲の身体を乗っ取って力を振るっていたということなのか。

 未咲の心を見透かしたように、月夜見はふっと嘲笑った。


「今頃気付いたか」


 何も返せずにいる未咲を尻目に、月夜見は続ける。


「我の魂を受け入れるにはあまりにも卑小ひしょうであったが故に、待つ他なかった。力の覚醒していない身体に入ったところで、我に対して分不相応な身体はすぐに壊れてしまうからな。許容範囲内で力を使い、覚醒を促すしかなかった」


 月夜見は至極面倒臭そうに言った。未咲は愕然として月夜見を見つめる。


「じゃあ、わたしは、力が覚醒したせいであなたに身体を奪われた……?」


 未咲が月夜見を問い詰めるために口にした言葉はあまりに弱々しく、独り言のように闇に溶けていった。懸命に月夜見の力を使いこなそうとしていた日々を思い出して心が凍りつく。力を使いこなすことが出来れば、自分の大切な人たちを守れると思ったから。だから、わたしは――。

 未咲は自身を両手で強く抱き締めた。身体が小刻みに震えていることを自覚し、急激に襲ってくる心細さに挫けてしまいそうになる。


 わたしがやってきたことは、傍若無人で冷酷な月夜見に身体を与えるためのものだったの?


 内心毒づきながら、未咲ははたと気付く。何故月夜見はわたしの身体を奪う必要があるのか、と。月夜見は自分の身体を持っていた筈だ。だって、月夜見は真神に乗って森を駆け巡り、コバルトブルーの池を泳ぎ、最愛の男と出会って――。そこまで考えて、吐き気を催した。記憶を辿るのを止め、月夜見を見据える。


「感謝こそされても、そのように睨まれるわれはないな」


 そんな未咲を嘲笑うように、月夜見はわざとらしく肩を竦めてみせた。未咲は頭に血が上るのを感じ、今にも掴みかかりそうになるのを必死に堪える。感情に任せて月夜見に食ってかかったところで、相手の思う壺、あるいは、月夜見は未咲を歯牙にもかけないだろう。


「どうして身体が必要なの」


 未咲が声を低く訊ねると、月夜見は鼻で笑った。話す必要はないと言われているようで、未咲はぎり、と歯を食いしばる。やがて月夜見は仕方ないとでも言いたげな表情で口を開いた。


「鬼神が我の身体を奪ったからだ」

「……え?」


 未咲は目を見開いた。鬼神が、ということはつまり、雛夜が復讐を果たしたのだろうか。しかし、月夜見は今未咲の目の前にいる。……いや、違う。目の前にいるのは、魂だけの月夜見だ。何故なら、ここは未咲の身体の中で、言うなれば、未咲の“精神世界”と言ったところだ。生身の身体を持っている者などいない。それを未咲は直感的に理解していた。

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