29-9 未咲の力

『それでね、心の強さ相応にあの子自身の力も強いの。簪に、あたしのことを長い間守ってくれるほど力を込められるくらいには』

「雛夜に未咲を思い出させることが出来たのも、この簪のおかげだった。……この簪を使えば大丈夫だと思えたんだ。不思議なことだが、今思えば、未咲の力が宿っていたからなんだろう」

『うん。未咲の力には、未来を信じさせてくれるものがある。すごくあたたかくて、優しい未来。……でも』


 雛夜は声を低くした。


『あたし、月夜見の加護を受けた御神木を見にいったことがあるんだけど、何て言えば良いのか……何だか気味が悪かった。胃が重くなって、吐きたくても吐けないような気分の悪さって言うのかな……慈悲とか優しさなんて感じなかった。あれが村を守ってくれる神様の力だなんて、信じられなかった。でも、未咲は違う。未咲の力はとてもあたたかくて優しい。すっと心も体も軽くなるの。つまり、あの力は、ちゃんと未咲の力ってこと。……何が言いたいかって言うと』


 雛夜は言葉を切って黙った。どう言えば良いのか考えているようで、雅久は何も言わずに雛夜が話し出すのを待った。


『あの子……自分が持っている力は『月夜見の力』だって思ってない?』


 雅久は雛夜の言葉に呆気に取られ、次いで眉根を寄せる。


「それは、当たり前のことじゃないのか。未咲は月夜見の子孫で、未咲の力は月夜見から受け継いだ力だろう?」

『そうじゃなくて』


 雛夜はもどかしそうに唸る。


『月夜見の血を受け継いだからこその力だとして、月夜見の未咲の力はまったくの別物だわ。未咲の力は未咲だけのものなの。生まれた時から備わっている、未咲の素質。それを未咲が開花させたの。月夜見が自分の力をぽんっと渡して未咲がそれをもらったわけじゃない』


 何となくわかるような、わからないような。雅久は難しい表情をしたまま雛夜に先を促した。


『だから、未咲の力は未咲のものなのに、未咲は『月夜見から借りた力』みたいに思っていないかって話』


 雅久はハッと目を見開いた。頭の奥で大山祇神おおやまずみのかみの声が反響する。


 ――おぬしの力は、月夜見の力ではない。おぬし自身の力じゃ。


 まさか、大山祇神は未咲の心を見透かして忠告していたのだろうか。あの時の未咲は心を決めたように凜とした返事をしていたが、じわじわと追い詰めるように迫ってくる月夜見の気配には敵わなかったのか。雅久は顔を歪めて前髪を掻く。雛夜は雅久の反応から確信を得たと話を続ける。


『だとしたら、月夜見みたいな強力な神が未咲を乗っ取るのは簡単だと思う。ただでさえ月夜見への畏怖があるのに……『月夜見から借りた力』なんて考えているなら、例え本人が意識していなかったとしても返そうとするに決まってる』


 確かに、借り物ならば返すのが道理だ。そして未咲はその道理に反するようなことはしないだろう。雅久は深く溜め息を吐いた。


「雛夜。そうだとして、月夜見から未咲を取り返すにはどうすれば良いと思う」

『……月夜見が未咲を乗っ取った後、未咲がどんな状態になっているかを考えたら……』


 雛夜は独り言のようにぶつぶつと言った。今の雛夜に鬼神であった時の荒々しさは感じられない。


『月夜見にとって未咲の身体と力以外は邪魔なだけ……だとすると、月夜見が真っ先にするのは……多分、未咲を封じ込めること』

「封じ込める?」

『うん、未咲が抵抗しないように。未咲に意識があれば、未咲は抵抗する筈。だから――未咲が未咲自身を忘れるようにするかもしれない』

「――」


 雅久は絶句した。『未咲が未咲自身を忘れる』なんて、それは、未咲は自分が『未咲』であることを忘れて月夜見と同化し、この世から消えてなくなるということではないか。


『月夜見はもう、そうしている可能性が高い。だから、あたしたちがしなくちゃいけないのは――』

「月夜見の中にいる未咲に、自分のことを思い出させる」


 雅久は言うが早いか真神に飛び乗った。真神もまた、待っていたとばかりに雅久が背中に乗った瞬間に駆け出す。


『……大丈夫。未咲は一人じゃない』


 雛夜は慰めとも感じられない調子で言った。『もう一人のあたしもついているし』と続ける。


「雛夜の和魂にぎみたまのことか」

『うん。……不思議。あたしは雛夜の荒魂あらみたまなのに、あんたの中にいると、荒れた魂が鎮まっていく。多分、こいつらも同じだわ』


 こいつら、とは雛夜とともに鬼神となった悪霊たちのことだ。雅久は忙しなく過ぎていく景色を見据えながら雛夜の話に耳を傾ける。


『あんたの霊力が心地良いからなのかな』

「俺の?」

『そ。……ありがとね』


 雛夜の柔らかい声に雅久は頷くことも否定もせず、急ごう、とだけ呟き、真神の背中に強くしがみついた。

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