29-7 鬼と月夜見の戦い

『イザナミは月夜見を殺したいみたいだった』


 そう言うのは雅久に宿った雛夜だ。雛夜の姿こそ見えないが、雅久の脳内には彼女の声が響く。そして、雛夜の言葉を肯定するような気配を、雅久は身体の奥から感じた。


「互いに互いの存在を探していたようでもあったな」


 雅久は月夜見とイザナミの様子を思い返す。互いに「この時を待ち侘びていた」と言わんばかりに喜んでいた。と言っても、それは友との再会を喜ぶものでも、親子の再会を喜んでいるそれでもなかった。


「……イザナミが月夜見を殺す理由がわからないな」


 雅久は難しい顔をして指で顎を揉む。雅久に寄り添っている真神が気遣わしげに雅久の二の腕を鼻で撫でた。雅久は小さく笑みを漏らして真神の首元を撫でてやる。真神の白い身体はところどころ土と血で汚れているが、致命傷は負っていない様子だ。

 山を川へと変えた篠突く雨は止み、辺りは気味の悪いほど静寂に包まれている。雅久は赤い月を仰いだ。


「それに、月夜見はイザナミに殺意こそあるようだったが、それだけではないような感じがしたな。確実に、とは言えないが」


 ふう、と息を吐き、顔を元の位置へ戻す。今すぐ未咲を連れ戻しに行きたいが、情報の整理をして少しでも自分たちに勝算が出るよう考えなければならない。雅久ははやる気持ちを必死に抑えた。


『今、未咲は月夜見に乗っ取られているっていう話だったね』

「ああ、そうだ。未咲の身体を月夜見が操っている」


 雅久は憎々しげに吐き捨てた。


『つまり、月夜見は自分の身体はないってことになるよね』

「……ああ。そういうことになるな」


 雅久は目を丸めた後、眉間に皺を刻んだ。確かに、月夜見が未咲の身体を乗っ取っているということは、月夜見が自身の身体を持ち合わせていないのと同義だ。つまり、月夜見は身体がないから未咲の身体に魂を入れるしかなかった。となると、月夜見は今どういう状況なのだろうか。


『あたしたちとイザナミは、一度月夜見を殺したことがある』

「……何だって?」

『だけど、逃げられた』

「ちょっと待て。それはどういうことだ」


 雅久は額に手を当てて眉間の溝を深くする。


「月夜見を殺したことがある……?」

『そう。あんたがまだ生まれていない頃だとは思うけど……どの時代かだなんて、もう憶えてないわ。流れた時間が長すぎてね』


 雛夜は自嘲気味に言った。


『順を追って話すと……まず、あんたに飲ませた“をち水”を月夜見から奪ったの』

「“をち水”……『若返りの水』と伝わっているものか。先ほども言っていたな」

『“をち水”を飲んだ者は不老を手に入れる。そして、不死とまではいかなくても、普通の人間よりかは丈夫になるの。月夜見だけが持っている霊薬。月夜見はそれを……あいつに飲ませようとしていた』


 あいつ、と雅久は唇だけを動かした。低く吐かれたその言葉は、おそらく雛夜の元夫のことであろうことはすぐにわかった。


『永遠に一緒に生きようとしたのね。馬鹿みたい。人間と神が結ばれても、時間の流れが違うから、どうしてもすぐに別れが来る。月夜見はその摂理から逃れようとしたんだ』


 雅久は苦しげに目を伏せた。月夜見の気持ちが理解出来てしまう。自分もきっと、未咲を永遠に生かす方法を持っていたならば。そう考えずにはいられない。


『あたしは目論みを潰してやった。人の幸せを一瞬で奪っておいて、あいつらが永遠の愛と幸せを得るなんて悪夢でしょう?』


 雅久は肯定も否定もすることが出来ず、口を噤んで話の続きを待った。


『だから、真っ先にあいつの“をち水”を奪った。これで、あいつは時間の流れには逆らえなくなった。……本当は、殺したかったというのが本音だけどね。流石に月夜見が守っている中で、それは無理だった。――でも、好機は訪れた』

「好機?」

『あの男がじいさんになった頃かな……ちょうど、今日のように夜が月を喰らう日が訪れた』

「月夜見の力が弱まったのか」


 雅久は言いながら頷いた。


『そういうこと。あたしたちからすれば、またとない好機だった。イザナミだって、黄泉の国から現世うつしよに力を振るおうとしても、どうしても弱まってしまうからね。万全の月夜見には敵うわけがない』

「待て。イザナミは現世の雛夜、そして雛夜に憑いた霊たちと融合して鬼となったんだろう?」


 雅久は困惑気味に訊ねた。姿こそ見えないものの、雛夜が首肯する気配がした。


『けど、イザナミが黄泉の国から現世に出てきたってわけじゃない。あくまでも、あたしと繋がった、とでも言えば良いのかな……そう、魂にくさびを打たれた感じ、というか』


 雛夜は数秒の間を空ける。


『あくまでも、鬼として身体の主導権を握っていたのはあたし。月夜見を殺したいという願いは一致していたから、月夜見の隙を突いて殺せるほどには、イザナミとあたしたちの力が合わさって強くなった』


 雅久はくしゃりと前髪を掻き上げた。


「何故殺された筈の月夜見が未咲を乗っ取ることが出来るんだ?」

『さっき、逃げられたって言ったでしょ。……月夜見の男をね、殺してやったのよ。年齢を重ねた男の動きは鈍っていたから、邪魔な月夜見さえ何とかなれば簡単だったわ。そして、男を殺した時、月夜見に隙が出来た』

「……」

『あたしたちは確かに月夜見に致命傷を与えた。でも、月夜見は魂だけで逃げ出したの』


 雅久は思わず、は、と言葉にならない声を出した。魂だけで逃げ出した、とはつまり、身体と魂を切り離し、魂だけで生き長らえることが出来たということか。人間には到底出来ることではない。月夜見が神だからこそ出来ることなのだろう。

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