27-2 ふたりの夜

 明日が三度目の朔の日である。未咲は闇に浮かぶ細長い月を仰ぎ、胸をざわつかせた。明日、月は赤く染まるのだろうか。

 鬼は雛夜の荒魂あらみたまだとわかった。けれど、それだけなのだ。わたしは鬼となった雛夜の魂を救う方法を知らない。和魂にぎみたまの雛夜――あるいは「雛夜の和魂」か――には「迎えに行って」と言われたが、果たして鬼は未咲を見て約束を思い出すのだろうか。そして、約束を思い出したことによって何が起こるのだろうか。鬼と会うだけで何とかなる、だなんて甘い考えは捨てた方が良いだろう。


「……襲われてるんだよね、わたし……」


 溜め息とともに吐き出された言葉は闇に吸い込まれていった。

 会うだけで何とかなるくらいなら、そもそも鬼はわたしを襲わなかったのではないだろうか。それとも、わたしが過去へと飛び雛夜と出会ったことによって、何か変化があるのだろうか。


「タイムパラドックスってやつ?」


 未咲の疑問に答える者は居ない。しーんと静まり返った山に、未咲はじわじわと恥ずかしさを覚えた。せめて真神を呼び寄せておけば良かったかもしれない。

 親指と人差し指で顎を揉みながらうんうん唸っていると、突如背後から何者かにガシッと肩を掴まれ「ひゃあっ!?」と悲鳴を上げた。


「す、すまない」


 未咲の悲鳴に驚いた雅久は、未咲の肩から手を外しながら申し訳なさそうに言った。未咲はばくばくとうるさい心臓の辺りを抑えながら振り返り、雅久の顔を認め安堵の息を吐く。


「びっくりした……」


 大きく深呼吸して跳ね続ける心臓を落ち着かせながら、どうしたの、と首を傾げて雅久を見ると、雅久はばつが悪そうに目を逸らし人差し指で頬を掻いた。


「また、何処かへ行ってしまうのかと思って。……消えてしまいそうに見えたんだ。だから、少し焦った」


 笑おうとしたのか、雅久の唇が歪に動いた。目には怯えの色が見て取れて、未咲は胸がずきりと痛んだ。


「ごめんね、不安にさせて」


 雅久は力なく首を振り、自嘲気味な笑みを浮かべる。


「いや……俺が、臆病なだけなんだ」


 未咲は胸が締め付けられる思いだった。何も、臆病なのは雅久だけではない。未咲だって、ずっと心の奥深くの方でくすぶっているものがある。きっと、わたしと雅久の不安は似ている。未咲はいっそ吐き出してしまおうと、今まで喉の奥に貼り付いていた言葉を唇から溢した。


「ひとりにしないで」


 雅久はハッと目を見開いた。


「ひとりに、ならないで」


 ひとりぼっちは、とても寂しい。未咲は十九年間生きてきた故郷より、雅久とともにこの世界で生きるのだと決めた。後悔はない。もうその答えを覆す気もない。けれど、時々怖くなる。十九年間の未咲を知る人はこの世界にはひとりもいないから。今までの未咲を証明してくれる人は存在しないから。


「一緒にいてね」


 もし、雅久を失ってしまったら。そんなことは考えたくないけれど、あり得ない話ではない。そして、雅久の呪いが解ける保証もない。呪いが解けた後どうなるかもわからない。心が重なっていても、心に応えてはくれない現実があるかもしれない。


「一緒にいるよ」


 雅久は未咲の不安を受け止め、柔く目を細めて答えた。見つめ合って、互いに微笑んだ。直後、ほわ、と未咲の胸の内があたたかくなる。それが雛夜のぬくもりだと、すぐにわかった。雛夜も一緒にいると言ってくれている。未咲は胸元に両手を添えて、ありがとう、と呟いた。


「ねえ、この簪なんだけど、雅久に一本持っていてほしいの」


 未咲は懐から簪を二本取り出し、片方を雅久に差し出した。


「簪……雛夜からもらったものか」


 雅久はその簪に視線を注ぎ、


「良いのか。俺が持っていても」


未咲へと目を戻し、眉尻を下げて訊ねた。


「雅久だから、持っていてほしいんだよ。雛夜さんも良いって言ってるみたい」


 未咲の言葉に応えるように、また胸があたたかくなる。未咲はにこりと笑った。雅久は頬を緩め、未咲の手から簪を受け取り、手の内の簪を親指で撫でた。


「ありがとう。月の簪か」

「うん」

「月は、太陽がなければ輝けないらしいな」

「え? あ、うん。そうみたい」


 未咲が戸惑いながら頷くと、雅久は簪を顔の前まで持ち上げ、飾り部分を額にこつりと当てた。祈るように下ろされた瞼が雅久の双眼を隠す。


「何があっても、俺は未咲の元に帰るよ」

「……雅久」

「必ず」


 簪を下げ、雅久は目を開けて微笑を浮かべた。未咲も笑みを返して誓った。何があろうとも、わたしは雅久の元へ帰ろう。わたしたちの居場所は、お互いの隣だ。

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