26-2 謝罪

「村のことはわたしが何とかします。何と言っても、わたしは村長の妻だもの。あの人が守りたかったものを、わたしも守ってみせるわ」


 そう言い切った文子の、何と頼もしいことだろうか。未咲は今まで正芳がどのようにして村の秩序を守ってきたのかわからないし、どうすれば焼け焦げた村を再興すれば良いかもわからない。けれど、文子の顔を見ていると、きっとこの村は大丈夫だと思える。


「だから未咲ちゃんは、未咲ちゃんがやりたいことをしなさい。……後悔だけはしないようにね」

「はい……っ」

「あらあら、こんなに泣いちゃって。泣き虫ねえ、未咲ちゃんは」


 文子の愛情が込められた声に、未咲はふふっと笑った。この村で生活してから大きな感情が幾度も未咲を揺さぶって、その度に未咲は涙を流している。元の世界では、こんなにも心を揺り動かされることは少なかったというのに。

 と、文子が雅久の方を向いた。雅久はかすかに身体を揺らし、それから口を引き結んで文子の目を見返す。


「あの時は、ごめんなさい」


 文子が頭を下げた。雅久は文子のつむじを見下ろし息を呑んだ。それから細く息を吐いて首を振る。


「気にしないで下さい」

「いいえ」


 文子は頭を上げ、悲しげに微笑んだ。


「わたしはあなたに酷いことをしました。あなたのことも、あの人から聞いたわ。古くからの大切な友人だって」

「……正芳が」

「ええ。あなたの話をする時、とても優しい目をしていたの。本当に大切なのね。それなのに、わたしはあなたを傷つけました。許してほしいとは言わない。けれども、ずっと謝りたいと思っていたの」


 文子は再度、ごめんなさい、と口にした。


「許すも何も……俺は」


 雅久は途中で言葉を止め、不意に未咲へと視線をやった。未咲は雅久に見られている気配を感じて、少々不安げな面持ちを雅久に向けた。数秒だったろうか。雅久は未咲の少し赤くなった目を見て笑みを漏らすと、


「傷つきました。でも、今は何も気にしていません」


と、晴れやかな顔で文子に言った。文子は目を丸くすると、皺の刻まれた顔でくしゃりと嬉しそうに笑った。愛してならない孫を見るような、温かな感情が詰め込まれた目だった。


「未咲ちゃんは、あなたにとって大切な女の子なのね」

「はい」

「え、え? 何の話?」


 一人戸惑う未咲と、笑い合う雅久と文子。よくわからないけれど、大切な二人が笑ってくれるならまあいいか、と未咲もまた二人に釣られて顔をほころばせた。

 暫く言葉もないまま、三人の笑う声だけが夜に響いていた。

 ふと、未咲は文子が大事そうに抱えている布袋が目について口を開く。


「あの、文子さんが持っているその袋って何ですか?」

「あ、そうそう。未咲ちゃんに会えたら頼もうと思っていたの」

「何をですか?」


 未咲が首を傾げると、文子は布袋を撫でた。


「正芳さんの思い出の場所をご存知なら、案内してもらえないかしら」


 未咲は雅久に目配せをした後、文子の様子を窺いながら、


「もしかして、その袋の中身……」


と、無意識に声を潜めて訊ねた。文子の唇が小さく弧を描く。


「遺骨なの。せっかくなら、思い出の場所に埋めてあげたいのよ」


 遺骨。未咲は内心で反芻はんすうする。乗り越えた筈の正芳の死が、急に眼前に迫ってきたようで一瞬心臓がぎゅっと掴まれた心地がした。しかし、未咲はすぐさま息を吐きながら目を閉じ、心を落ち着ける。再び瞼を持ち上げた時には、胃が緊張しているものの、平静に戻っていた。

 思い出の場所。そう聞いて頭に浮かんだ場所は、未咲も雅久も同じ場所に違いない。


「心当たりがあるんですけど、今日はもう遅いから、明日の朝にしませんか?」

「そう……そうね。そうさせてもらおうかしら」


 文子は少々考えた後、微笑んで頷いた。


「わたしったら未咲ちゃんに会えるかもと思って、何の考えもなしに主人の遺骨を持ち出してしまったの。少し考えてみれば、そうだわ。夜だから危ないわよね」

「朝になったら、迎えに来ます」


 未咲は文子に待ち合わせ場所を伝え、村人に姿を見られる前に出発したいということで、文子には申し訳ないが明け方に落ち合うようにした。文子は嫌な顔を微塵も見せずに二つ返事した。


「あの……正芳の遺骨に、触れても良いでしょうか。もちろん、袋越しです」


 雅久が迷った様子を見せながら文子に訊ねた。文子は優しさをふんだんにまぶした柔い目線で返す。雅久は不器用に笑みを浮かべ、正芳の遺骨が入っている布袋に指先で触れた。そっと瞼を下ろした雅久の姿は、祈りを捧げているように見えた。


「ありがとう」


 静かに、寂しい優しさをこめた声が響いた。未咲は胸の前で両手を重ねる。軽く折り曲げた指で、雅久と正芳のあたたかな思い出を受け止められた気がした。

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