第26話 優しい人

26-1 後悔は

 細い月が浮かぶ夜のこと。

 未咲と雅久は、正芳と文子の家の前に来ていた。火事の跡がありありと残っている家を見て、二人は何も言うことが出来ずに、ただその有様を眺めていた。復興が進んでいる様子の村ではあるが、正芳と文子の家は手つかずのようだった。


「文子さんは、もう此処には住まないのかな」


 焼けた家を眺めながら、未咲はぽつりと言った。


「もう一度家を建てたとして、此処に居るのはつらいのだろうな」

「……うん」


 寂しい気持ちが胸に溢れ、未咲はやるせなくなった。そして、この寂しさをいつまで感じることが出来るのだろうと、心配にもなった。やがて時が経ち、記憶が薄れ、正芳がこの世から去った寂しさや悲しさは未咲の内側から消えてしまうのだろうか。その時、正芳と過ごした日々の記憶はどんな色になっているのだろう。ちゃんと思い出すことが出来るのか、正芳がいた証として未咲には何が残るのか、無性に不安になる。


「このまま残したいという想いも、あるのかもしれない」

「どういうこと?」

「痛みは、一番心に残るから」


 未咲の身体を悲しみが貫いた。じくじくと痛む胸は、ああ、そうだ、正芳を想う心だ。この痛みこそ、正芳を愛し、正芳とともに生きた証だと言うのか。ああ、確かに、その通りだとも。未咲は拳を握り、手のひらに爪を立てた。


「だが、推測でしかない。今俺は主観でものを言っているだけだから」


 雅久も痛みで記憶したのだろうか。覚えておきたいことを、忘れないように。それとも痛みが残るものだけを、覚えているのだろうか。未咲は何を言っていいかわからず、押し黙った。

 その時、遠くから未咲を呼ぶ声が聞こえた気がして、未咲は辺りを見回した。


「未咲ちゃんっ」


 文子の声だ。背後から届いた声に、未咲と雅久は振り返る。文子が布袋を抱えて、必死の形相で立っていた。


「ふ、文子さん」

「ああ、よかった。本当に来ていたのね」


 未咲と雅久の方へ歩きながら安堵の息を吐いて言う文子に、未咲はわずかに眉根を寄せて小首を傾げた。「本当に」とはどういう意味だろうか。未咲は今夜雅久と此処に訪れることを、文子に伝えてはいない。そもそも文子が何処に身を寄せているのかもわからないのだから、知らせようもないのだ。だから、「文子に会おう」と決めて大山祇神おおやまずみのかみの屋敷を出た後で、自分の計画性のなさに未咲は辟易へきえきとしたわけだけれど。

 文子は未咲の疑問を感じ取って、遠慮がちに微笑を浮かべた。


「もしかしたら、未咲ちゃんが此処に来るかもしれないって思ったの。直感、というのかしらね。不思議だわ。会えるのではないかと思って来たけれど、本当に会えるだなんて」

「……文子さんは、わたしを怨んでいないんですか」


 未咲が訊ねると、文子は目を丸くして、それから軽く息を吐き微笑んだ。


「どうしてそう思うの?」


 未咲は口をつぐんだ。勝手に気まずく思い、目を伏せる。


「未咲ちゃんは、自分を責めているのでしょうけれど。それは違うわ」

「文子さん……」

「あの人はわかっていたのだもの。未咲ちゃんが鬼に狙われるんじゃないかって。火事が起こる前の日……予感がしていたのかしらね。わたしにそんな話をしたのよ。今まで鬼の話なんて、一度も聞いたことがなかったのに」


 文子は抱えているでこぼことした布袋を撫でた。


「村長としては、村を守るために未咲ちゃんを追い出すべきだったのかもしれない」


 未咲は隣に立つ雅久がぴくりと反応したのが気配でわかった。そっと雅久の手を握ると、雅久は小さく息を吐いた。


「でも、そうはしなかった」

「……はい」

「村がこんなことになって、村長としての責任を負った人間としては判断を誤ったのではないかと、あの世でまた悩んでいるかもしれない」


 文子は一瞬間を空けて、首を振った。


「難しい問題よね。何が“正解”か、決めることは出来ない。人はいつだって、自分がやるべきことと、心の間で揺れてしまう。わたしも、その判断が“正しい”ものだったかなんて、今もわからない。でもね」


 微笑む文子の目に月の光が反射してきらりと光った。


「わたしたちはあなたを迎え入れたことを、一度たりとも後悔したことはないのよ」


 ぎゅう、と未咲は雅久の手を握り締めた。ぽろぽろと涙が溢れて、何も見えなくなる。


「泣いてばかりだな、未咲」


 雅久の優しい声が未咲の耳を撫でた。未咲は手の甲で涙を拭いながら何度も頷いた。

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