25-3 加護

「おぬしの力は、月夜見の力ではない」

「と、突然、何を」

「それはおぬし自身の力じゃ」


 これまでの前提を覆す内容に狼狽うろたえた未咲を、大山祇神おおやまずみのかみは荘厳な剣で両断した。未咲は呼吸も忘れ大山祇神に魅入る。


「おぬしは誰なのか。努努ゆめゆめ、忘れるでないぞ」

「――はい!」


 未咲は腹に力を込めて返事をした。大山祇神は口の端を持ち上げ深く頷いた。それから雅久へと向き直す。


「雅久」

「はい、大山祇神様」

「未咲を支えなさい。その身に宿る力に呑まれてしまわぬようにな。おぬしがこれまで見たもの聞いたものを信じよ。惑わされるなよ」

「――はい」


 雅久は大山祇神の言葉を噛み締めるように目を瞑り唇をきゅっと結んだ後、煌めく双眼をあらわにして頷いた。

 大山祇神は未咲と雅久の顔を見回し、やがて表情を和らげた。それは、子を想ってやまない親の顔のようだった。


「どれ、最後に儂から加護を贈ろう」


 と言って、右手を未咲に、左手を雅久に差し出した。

 未咲と雅久は顔を見合わせた後、身体を前にずらして大山祇神へと近づいた。それぞれ、差し出された手に自身の手を重ねる。


「儂は山、海を統べる神。この雄大な地において、おぬしらを仇なす者どもには鉄槌を下そうぞ」


 なんて物騒だろう、と未咲はくすっと笑みを漏らした。だけど、なんてあたたかいのだろうか。大山祇神の手からじんわりと伝わってくる熱は、未咲を芯から温めてくれる。


 まるで愛情というまゆに包まれているみたいだ。


 全身が優しい熱に覆われた時、未咲はそう思った。飄々ひょうひょうとして、掴みどころのない神様だけれど、村を囲む山々のようにおおらかで、時に厳しくて、いつまでも傍に居たくなるような慈悲深い神様。未咲はなんだかんだ、大山祇神が大好きになっていた。

 熱が胸の奥へと集束していく。触れた手から流れ込んでいく熱が引いて、何だかそれが酷く名残惜しいと思った。未咲はそっと目を伏せる。


「ありがとうございます、大山祇神様」


 微笑を浮かべた雅久が言った。いつもなら頭を下げるだろうに、嬉しくて仕方が無いような眼差しを大山祇神に送っている。

 きっと雅久にとって、大山祇神は家族であり、父親であったのだろうと未咲は感じた。血の繋がりがなくとも、神と人間であっても、確かな絆が見える。それが堪らなく嬉しい。孤独であった筈の雅久は、大山祇神のおかげで寂しさを少しでも和らげたに違いない。


 正芳さんも、家族のような存在だったのだろうな。


 未咲は瞼を下ろし、脳裏に正芳の姿を描いた。そして、正芳の隣で笑う文子の姿。未咲の二人目の祖父母だ。

 文子はどうしているだろう。未咲は唐突に文子に会いたくなった。いや、唐突な想いではない。本当はずっと、会いたかった。


 雛夜を迎えに行く前に、文子に会いに行っても良いだろうか。でも、わたしが会いに行って、文子は困らないだろうか。正芳を――直接手を下したわけでなくても――殺した人間じゃないかと、憎しみや悲しみ、そして未咲と過ごした思い出の狭間で揺れてしまうかもしれない。それは、文子にとって辛いことではないだろうか。このまま、会わない方が良いのかもしれない。でも、だけど、それでも。


「未咲、どうしたんだ」


 心配そうに眉を八の字にして雅久に訊ねられ、未咲は苦い笑みを浮かべた。


「うん、ちょっと……文子さんに会いたいなと思って」

「……正芳の嫁か」


 不意に耳に飛び込んできた雅久の“嫁”発言に、未咲はどきりした。意識しすぎだろうか。愛だの恋だのに関連した言葉を雅久の口から聞く度に内心穏やかでない。恋を覚えたての小学生や中学生じゃあるまいし。そう思いながら頬を搔いた。


「正芳さんが亡くなってから会ってないから。その、気になるというか」

「そうだな……未咲が気になるなら、会いに行こう。ただ、俺は隠れているよ」


 何故、と未咲は訊ねようとして、すぐに思い出した。文子は雅久の蛇の目を見て怯えていた。雅久はそれを覚えていて、文子の前に姿を現さない方が良いと気を遣ったのだ。

 確かに、文子が考えを改めておらず、雅久を「呪われた少年」だと考え恐れるのであれば、お互いのために会わない方が良いかもしれない。けれど、文子は悔やんでいた。謝りたいと言っていた。今もまだ文子の中でしこりのように後悔が残っているのであれば、寧ろ、会った方が良い。未咲はかすかに頷いた。


「雅久も一緒に会ってくれないかな」

「いや、俺は……」


 雅久は言い淀んだ。

 村で起こった事件の原因が自分にあると言っていたから、その罪悪感もあるに違いないと、未咲は思った。けれど、


「会いに行こう。絶対、大丈夫だから」


と、自分も文子にどう反応されるか心配していた癖に、何故か強い確信を持って断言した。

 雅久は瞳を揺らし、やがてぎこちなく首を縦に振った。


「最後の勝負になるじゃろうからな。心残りなことは取り払っておくのが良い」


 黙って聞いていた大山祇神が軽い調子で言った。言っている内容は重い話なのだが、大山祇神が言うと、取るに足らない些細ささいなことのように聞こえる。だからこそ、背中を押されるのだ。


「……ありがとうございます。正芳にも、挨拶したいと思ってたんだ」

「うん。行こう、雅久」


 未咲と雅久は頷き合った。お互いに不安そうな表情が見え隠れしていて、同じタイミングで苦笑した。

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