25-2 未咲の意味

「未咲はすごいな」

「……え?」


 雅久の感嘆の声が耳に届いて、未咲は少々間を空けて聞き返した。雅久を見ると、雅久は未咲とは対照的に柔らかい表情をして未咲を見つめている。何故そんな表情で見てくるのか理解出来ず、未咲はただ戸惑いを浮かべた。


「未咲は、鬼になってしまった雛夜の心に希望を残してきたんだ。数百年、いや、もしかすると千年以上……そのくらい長い時間が経っても消えない希望を、残したんだ」


 千年。

 たった二文字の言葉に、未咲はとてつもない衝撃を受けた。ぐらぐらと視界が揺れる。雅久の顔を見ている筈なのに、未咲だけ世界から切り離された気分になった。

 雅久は未咲の様子を見て、優しげな笑みを溢した。


「未咲、一つの事実だけに固執するな」

「え、それは、どういう」

「今、“数百年”や“千年以上”という言葉だけを受け取っただろう。そうして、未咲を待ち続けていた雛夜の心を考えるあまり落ち込んでしまった」

「……あ、当たってます……」


 未咲はぐうの音も出なかった。未咲と雅久の様子を眺めていた大山祇神おおやまずみのかみが、可笑しそうに笑う。


「まこと、わかりやすいのう」

「悪いことばかりに目が行きがちなんだ。それで、見落としてしまう」


 大山祇神と雅久にたたみかけられ、未咲はがっくりと肩を落とした。


「ええと、わたし、何を見落としたのかな?」


 未咲は自分で思っているよりも小さな声で訊ねた。気がしぼんでしまったのが、しっかりと声に反映されてしまっている。表情にも出ているに違いない。わかりやすいと言われる所以ゆえんだ。


「わからないのか?」

「……残念ながら。“数百年”とか“千年以上”とか……あまりにも衝撃的で、他のことを覚えていないというか何て言うか」


 未咲は悪いことがバレた子どものようにもごもごと話した。「未咲はすごいな」と言われたのだからきっと褒められたのだろうけれど、自分には想像し難い時間の単位を突きつけられて動揺し、褒められた部分を拾いきれずに落としてしまった。


「未咲は確かに、鬼となった雛夜に希望を残してきた。だから、雛夜はこの簪を未咲に託したんだろう。お前が衝撃を受けた果てない時間を待ってまで」

「――」


 未咲は言葉を失った。雅久が簪を未咲へと差し出し、未咲は躊躇ためらいながら受け取った。過去で雛夜からもらった太陽の簪と、今の時代に戻ってきた後で雛夜に託された月の簪。そして雛夜は言った。


 ――やっと、会えた。


 それは一重に、未咲と交わした約束を果たすためではないのか。「一緒に旅をしよう」という約束。雛夜と雛夜の子ども、そして未咲で、見たことのない世界を見に行こうと。


 ――もう一人のあたしも、ずっと、あんたを待ってる。


 “もう一人のあたし”とは、雛夜の荒魂あらみたまだという鬼のことだ。鬼もまた、未咲との約束を覚えていて未咲のことを待ち続けているというのだろうか。


「繋がってるんだ、すべて」


 雅久が感慨深い顔色で言った。未咲は雅久の伏せた目に吸い込まれる感覚に陥った。長い睫毛が、震える。


「人を愛して、憎んでしまったからこそ、こうして縁が繋がった。……それが幸運なのか、不幸なのか、俺にはわからないけど。俺が鬼となった雛夜と出会ったことも、澄子が何度も世界を渡ったことも、未咲が俺たちの世界に来てくれたことも、ここで未咲が出会った人たちも……きっと、すべて、意味がある」


 雅久は未咲の目を真っ直ぐに見つめて、微笑んだ。涙の膜が張った色の違う双眼が柔らかく、きらりと光った。

 雅久は鬼の生贄になったことを「鬼となった雛夜と出会ったこと」と言った。過去の意味を書き換えるのは容易ではない筈なのに、雅久は未咲から雛夜の話を聞いて鬼に対する認識を改めた。これまでの鬼との関わりの中で、鬼の悲しみや苦しみに触れて思うところもあったのだろう。そして、雛夜を知り、結論を出した。未咲は雅久の強さを、心から尊敬する。


「生きていて、よかった」


 未咲はその言葉が聞けただけで、死んでもいいと思った。


 ――未咲はね、とっても素敵な力を持っているのよ。

 ――花みたいだわ。太陽の下で輝いている花って感じ。


「未咲は、俺たちの未来を照らしてくれる花だ」


 泣きたくなるほど優しい風が、未咲の頬を撫でていった。

 わたしは花だ。太陽に照らされて、風に揺れる花。「未だ咲けない」のは、今までに咲くタイミングがなかったからだ。わたしはきっと、今までは蕾のままだったかもしれないけれど、周囲の人たちの優しさに育てられて、嬉しいことも悲しいことも経験して、沢山の感情がわたしの内側に生まれて、そうして今、咲いている。いつの間にか、とっくに、わたしは咲いていたんだ。


 未咲の視界に入っている大山祇神がしたり顔で頷いている。どうして大山祇神が得意げなのだ、と未咲はくすりと笑った。


 “未来を照らす花”


 それが、わたしが出会って、言葉を交わして、感情を分け合った人たちが贈ってくれた、わたしの意味。


「して、その花はこれからどうするつもりか」


 わたしがやることは、ただ一つだ。

 未咲は胸の前で二本の簪を握り締めた。


「雛夜さんを、迎えに行きます」

「怨念にまみれ、既に雛夜ではなくなっているかもしれん」

「いいえ。例えそうだとしても、その人も雛夜さんだから」

「そうか。……その決意、しかと見届けようぞ」


 大山祇神は未咲を見据えて言った。炯炯けいけいと煌めく神秘的な目は、やはり神を思わせた。こんなにも力強い神が、わたしと雅久を見守ってくれている。


「儂は介入出来ぬ。此度の因縁は、特にな」


 すまんな、と呟かれ、未咲は首を振った。


「ありがとうございます。十分なほど、力になっていただきました」

「……未咲」


 大山祇神が真剣な表情で名前を呼ぶので、未咲は姿勢を正した。これからわたしは最後の戦いに行くのだと、気が引き締まる思いがした。

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