第24話 愛を連れていこう

24-1 怨みの行方

 未咲はへたりと地面に座り込んで放心していた。虚空を見つめる目からはらはらと涙が溢れ、止めどなく頬を伝っていく。


 雛夜が、鬼となった。

 雛夜の話を聞いて、何となくそんな予感はしていた。月夜見への憎しみで怨霊となった人間。雛夜の憎しみを直に感じて、十分その可能性があると思ったから。


 けれど、こんなのあんまりだ。


 鬼を殺してやると一瞬でも息巻いた自分を殺してしまいたい。大山祇神が「鬼を知れ」と言わなければ、きっとわたしは鬼となった雛夜の人生を考えることもなく、ただ仇を討つために必死になっただろう。雅久を呪いから解放するために、鬼を殺そうと躍起やっきになっただろう。そんなのは、かつて月夜見が雛夜に行った仕打ちと何も変わらない。憎き仇である鬼を殺し、鬼となった雛夜の心をも知ろうとしないことで殺し、わたしは雛夜を二度殺すところだったのだ。

 知らない方が幸せだったのかもしれない。けれど知ってしまったら、知らなかったことを悔やむ他、術がなかった。


「雛夜さん」


 目を閉じ、瞼の裏に浮かぶ雛夜に呼びかける。ぼんやりと浮かんだ雛夜は未咲と語り合った時の笑顔だが、未咲が雛夜の視点で雛夜の記憶を覗いた時は、きっと、苦悶の表情をしていたに違いなかった。屈辱や愛憎に塗れていたであろう雛夜の顔を、未咲は想像出来なかった。そして、想像したくもなかった。雛夜の笑顔を自ら塗りつぶすなんて愚行を犯したくはない。


 わたしは、わたしがどうしていいかわからない。

 鬼が雛夜であるとわかった今、わたしは鬼をどうすべきなのか。


 雅久を永劫の時から解放したい。そのためには呪いを解かなければならない。呪いを解くには、鬼を葬らなければならないだろう。それ以外に呪いを解く術があるとしても、雅久が解放された時、鬼は村へと牙を剥く。雅久は自分だけが助かって村が犠牲になることを赦さないだろうし、未咲としても、世話になった村に再び悲劇が訪れるなんてことは考えたくもない。それに、これ以上、雛夜を苦しめたくない。


 雛夜はきっと、今も苦しんでいる。身を焼き尽くそうとする怨念に藻掻もがき苦しみながら、その怨念を晴らすために人を襲い、さらなる悪意に魂を染めている。それしか自分を慰める術を持たない、悲しい鬼。月夜見とかつて愛した男を怨み続ける雛夜の魂は、どれだけ疲弊していることだろうか。


 未咲は人を怨み続けることが出来るほど、身も心も強くない。怨むとは、体力を使うものだ。それも長い間怨み続けるには、相当の執念がなければ無理だろう。おそらく、わたしはわたしの心を守るために、その怨み自体を忘れようと努力する。涙が涸れるまで泣いて、その後は見ない振りをして、時々自分を慰めて、時には家族や友人に慰めてもらって。そうして、傷を抱えながらも未来へと歩いて行く。

 それすらも出来ずに、過去に囚われたまま相手を怨むなんて。考えるだけでもぞっとする。魂を削ってまで相手を怨むことは出来ない。赦すわけではない。けれど、自分のために「耐え忍ぶ」という手段を取るだろう。……愛する人を奪われたことはないから、一概に「出来ない」と言い切ることははばかれるのだけれど。


 ふと、右手が何かを握り締めていることに気付いた。手のひらを広げると、雛夜からもらった簪があった。太陽の模様が彫られている。

 雛夜さんと話したのは、夢じゃない。

 直次郎が言っていた「鬼の遺物」とは、もしかしてこの簪なのではないだろうか。そして、どうしてかはわからないけれど、未咲は「鬼の遺物」を、鬼がいた時代に飛ばされ鬼から直接受け取った。正しくは、鬼となった雛夜から。


 ――花みたいだわ。太陽の下で輝いている花って感じ。


 雛夜の声が頭の後ろの方で響いた。

 わたしの名前の意味を、いとも簡単に変えてくれた優しくて慈愛に満ちた女性だった。そんな雛夜を、あんな酷い目に遭わせた月夜見と男が憎い。村での事件後、鬼に向いていた憎しみがすべて月夜見と男に向けられる。それも、一旦は落ち着いた黒い炎が再び火の粉を散らし始め、燃え上がってくるのだ。心臓が熱い。己の先祖である月夜見と男を憎めと誰かが言っている。


 未咲は自身を抱き締めた。沸き立つ怒りで身体が震えてしまいそうだ。いや、既に震えている。雛夜が鬼ならば、その怨みは至極正当なもので、村が襲われようと、月夜見の子孫である自分が恐ろしい目に遭わされようと、致し方ないと思って――


「違う!」


 鋭い声で己をいさめた。今の未咲の考えを正しく表してくれる言葉が見つからない。だけど、「仕方がない」なんて言えない。それだけはわかる。雛夜の怨みはもっともだからと、どんなことでも受け入れる……それは、違うのだ。

 雛夜をこれ以上苦しませたくない。鬼と化した雛夜を、怨念という業火に焼かれ続ける雛夜を、解放したい。亡くなってからも苦しみ続けるだなんて、これは、本当に雛夜が望んだことなのだろうか。月夜見の子孫を根絶やしにして、それで雛夜の怨みは終わるのだろうか。

 ぐっと唇を噛んだ。ふーっ、ふーっと荒い息を吐き出し、腹の底で煮え立つ怒りを静めようと努めた。

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