第23話 そして鬼は生まれる

23-1 太陽と花

 泣き疲れて眠り、雛夜と二人で目を覚ました朝。未咲はまだ元の世界――いや、“元の時代”と言えば良いのだろうか――に戻ってはいなかった。

 寝ぼけまなこでいる未咲に、雛夜は先が二叉に別れたかんざしを渡した。未咲は驚いてパッと目が覚めた。躊躇ためらいがちに簪を受け取って手のひらに乗せたそれをまじまじと見つめる。先の飾り部分には少々歪な三日月が掘られている。


「それ、あんたにあげる」

「ど、どうして?」

「んー……何となくかな。ま、話を聞いてくれたお礼だと思って」


 雛夜が照れ笑いを浮かべた。それから慈しみを浮かべた目を細めて、そっとお腹を撫でる。


「その髪挿かみさし、この子の父親が作ってくれたの」

「……え!? そ、そんな大事なもの、いただけませんっ」


 未咲はぎょっと目を剥いて簪を雛夜に差し出した。雛夜はひらひらと手を振る。


「いいの。二つあるし。あたしが持ってるのは、太陽が彫られてる方」

「いや、でも」

「いいから黙って受け取っておきなさい。髪挿しには魔除けの役割もあるし、お守りよ」


 未咲は雛夜に向かって伸ばしていた手を自身の胸へと引き戻し、再び手元の簪――この時代では「髪挿し」と呼ぶらしい――を見つめる。ふう、と息を吐き、覚悟を決めて雛夜に顔を向けると、


「あ、やっぱり止めた」

「――へ!?」


ひょい、と雛夜が未咲の手から簪を取った。未咲は唖然として雛夜を見る。雛夜はからからと笑った。


「あんたにはこっちをあげるわ」


 ぽん、と先ほどとは違う簪が未咲の手のひらに置かれた。飾り部分には太陽が彫られている。未咲は目をぱちくりとさせた。


「ええと、どうして……?」

「あんた、太陽っぽいもん」


 未咲は息を忘れた。太陽っぽい? わたしが? と次々と疑問符が浮かぶ。月が刻まれた簪を見れば、「わたしは月夜見の子孫だし」とか「寧々さんにとっては月自体が忌むべきものになっているかもしれないし」とか、自身の手の上に月の簪が置かれたことに納得感があったけれど。「太陽っぽい」と言われると、心の何処かが引っかかってしっくりと来ない。


「そう、ですかね?」


 未咲は苦笑しながら首を傾げた。


「うん。花みたいだわ。太陽の下で輝いている花って感じ」


 からっと笑う雛夜を見て、未咲はそのセリフをそっくりそのまま雛夜に返したくなった。

 太陽の下で輝いている花。それは、つまり。雛夜は未咲のことを「咲けない花」とは思っていないということだ。未咲は日だまりのような優しさにゆっくりと瞬きした。


 燦々さんさんと降り注ぐ太陽の光を浴びて煌めき、柔らかな風に揺れる一輪の花。その周りには同じように咲く花がきっと沢山ある。未咲の頭の風景画には、清々しい青空と、その下に広がる草原と、そこに咲き誇る色とりどりの花々が描かれた。耳を染ませば鳥の声や羽ばたきの音が聞こえてくるようだ。


 ならば、未咲は太陽ではなく花だ。きっと雛夜が太陽で、未咲は雛夜に照らされた花。

 そのイメージは、何かが足りていなかった魂を埋めるように、すとんと未咲の中に収まった。


「ね、それ持ってて」

「……うん。ありがとう」


 未咲は壊れものを扱うように簪を両手でそっと包み込んだ。後生大事にしよう、と未咲は決めた。それからくすっと笑う。

 愛しい人に名前の意味を書き換えてもらえと言ったくせに、雛夜さんが変えちゃったじゃない。

 でも、雅久にも聞いてもらいたいな。わたしの名前の話。雅久はその後、わたしにどんな意味をくれるのだろう。名前につきまとっていたほの暗い感情が晴れていくようだった。


「幸せになるのよ、未咲」


 慈愛に満ちた声で、雛夜が言った。未咲はすっと目を雛夜に向けて、ただ彼女を見つめた。

 今わたしの目の前で微笑んでいる雛夜が、後に鬼となるのだろうか。脳裏にぼんやりと浮かんだ考えを振り払うことが出来ない。雛夜が未咲の幸せを願うように、未咲もまた雛夜の幸せを願いたいのに。


「雛夜さん、も」


 未咲はぎこちなく返して、ぎこちなく笑った。どうしても、雛夜と鬼とが結びつかない。

 例え雛夜が後に鬼となる人間なのだとしても、昨夜未咲と語り合った時のように、時には泣いても良いから、笑って、月夜見への怨みに囚われるのではなく、雛夜自身の人生を歩んでほしいと思った。

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