22-3 違和感の正体

「……さて、と。あんた、行くところあるの?」

「え? あ、いやあ……その、特には。えへへ」


 未咲はわざとらしく笑った。真神と一緒にいれば山の中でも一晩過ごすことくらい出来るのではないかと思ってはいるものの、今雛夜と離れることが得策とも思えない。雛夜の優しさにつけ込むようで申し訳ないが、行くあてもない可哀想な子を演じたら此処に置いてくれないだろうかと密かに考えた。


「仕方ないねえ……今夜は此処に泊まるといいよ。もう少し話もしてみたいしね」

「ありがとうございます! 雛夜さん!」

「……遠慮がないあたり、はじめからそれを狙ってたんじゃないかと思うけど?」

「うぐっ」


 悪戯に笑う雛夜に、未咲は言葉に詰まった。鳩尾みぞおちに一発拳を入れられた気分だ。いや、そんな経験はないけれど。


「こんな辺鄙へんぴな村に来るなんて、あんたも物好きね」

「そ、そうですか? 長閑で良いところだと思いますけど」

「月夜見様が加護をくださったから」


 そう言う雛夜の声に、妙に影を感じた。未咲は心配になって雛夜を見つめる。炎に照らされた瞳は潤んでいるようにも思えた。

 と、未咲は何か引っかかった。「月夜見様が加護をくださった」……何だろうか、この違和感。未咲は自身の記憶を辿る。引っかかる、ということは、必ず自分の記憶の中にそうさせている何かがある筈だ。


「あたしは少し用があるからもう一度外に出てくるよ。あんたは此処に居なよ」

「ありがとうございます。あ、そうだ。あの、外に白い犬、居ませんでした?」


 未咲は大きな狼とは言わずに訊ねた。雛夜は首を捻る。


「見なかったけどねえ……何。あんたが連れてきた犬なの?」

「ううん。ちょっと見かけたから、犬を飼ってるのかなって気になっただけです」

「ふうん」


 雛夜は特に気にした風もなく、ひらりと未咲に手を振って家の外へと出かけて行った。取り残された未咲はふー、と長く息を吐き身体を伸ばす。

 どうやら真神は何処かへ行ってしまったらしい。賢い子だから、きっと村人の気配を察知して姿を見られないように隠れたのかもしれない。今の未咲の状況を考えれば、それは賢明な判断だろうと未咲は思った。

 それにしても、と未咲はぱちぱちと燃える焚き火に木の枝を放りながら考える。

 先程引っかかりを覚えたのは、月夜見が加護をくれたという雛夜の言葉だ。目を瞑って懸命に記憶を辿っていくも、なかなか答えを見つけることが出来ない。


 この村が月夜見を信仰しているのは、正芳さんだって言っていたじゃない。今さら、何がおかしいの?

 そうだよ、この村は月夜見を信仰している。それは雛夜さんの話を聞いても明らか。何もおかしくない。うん、これでよし。


 そう自分に言い聞かせても、やはりもやもやとしたものが胸の内に残ってしまう。結局その違和感の正体を探すために思考は沈んだままで、未咲は意味もなく揺れる炎を見つめ、その場から動けない。


「……月夜見の信仰は、月夜見が御神木に加護を与えてから……」


 ぶつぶつと呟きながら、記憶の整理を試みる。それは未咲自身の記憶ではなく、夢で見た月夜見の記憶だった。月夜見の視点で進む映像を思い出しながら、同時に月夜見の思考もすべて掬い取ろうと集中する。すると、


「あ!」


あることを思い出して、未咲はつい勢いよく立ち上がった。何処を見るでもなく、木材で組まれわらが敷き詰められた天井を見つめて、茫然と呟いた。


「……最初は、山の神を信仰してた」


 そう。月夜見は加護を与えた幾年後、村の様子を見に、この地へと足を運んだ。そして、村人たちの神への信仰があつくなったことを確認し、だけれど、その信仰の対象が山の神であることを鼻で笑ったのだ。


「なのに、今は月夜見を信仰している」


 つまり、その後に村を守ってくれている神が月夜見であると知るタイミングがあった筈だ。そして、未咲が今いる村は、月夜見を知った後の村。ということは、時系列的には、未咲が見た月夜見の記憶の後なのだ。


「月夜見があの男の人と出会った後ってことだよね」


 あの時、月夜見は一目惚れした男を手に入れるために何か画策したようだった。それが、この村の信仰に関わっているのではないだろうか。


「加護を与えた見返りとして、あの人を要求した……とか?」


 あり得ない話ではない。それに、村としても、神の加護の見返りが男一人で済むのならば安いくらいだと考えるのではないだろうか。人身御供の風習があった件も踏まえると――生贄を要求したのは月夜見ではなく鬼神であるが――神だの生贄などと言ったものに疎くとも、対価としては軽いと考えてしまう。神にとって、人間とはちっぽけな存在であるのだから。


「……相当、惚れてたみたい」


 呟いて、何だか恥ずかしくなった。

 月夜見にとって加護を与えることは些細な出来事で、気まぐれにぽんぽん出来てしまうことなのかもしれないけれど、人間にとっては、それは奇跡だ。その奇跡の見返りとして、どんなものを求めても人間から文句は出ないだろうに――というか、神が偉大な存在すぎて、文句も何も、言葉を発することすら出来ないかもしれないが――惚れた男を寄越せ、と、それだけで済ませるのだ。それって、相当惚れていたのでは……とちっぽけな人間である未咲としては邪推してしまう。


 いや、まあ、推測でしかないのだけれど。


 と、未咲は酔いが回ったように熱っぽい息を吐く。愛には神も人間も関係ないのか……なんて、うん。少し恥ずかしいことを考えてしまった。一人で良かった。

 未咲はぶるぶると頭を振った。それからだらりと腰を曲げ、はああ、と息を吐き出して、


「それがわかったところで、どうしろって話だよね」


 そんなことより、「今この村に鬼は存在するのか」を確認した方が有意義なのではなかろうか。あとで雛夜に確認してみよう、と未咲は決めた。

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