第22話 雛夜

22-1 名前という呪

「少しは落ち着いた?」


 ずび、と未咲は鼻を鳴らして頷いた。

 未咲と女性は丸太の椅子に座って焚火を見つめていた。家の中を照らしていたペンダントは光を収め、今は未咲の首にかかっている。

 未咲が少し赤くなった目で女性を見ると、彼女は仕方ない、といった様子で口元に笑みを浮かべた。未咲が知っている寧々もまたこんな表情をしたな、と脳裏に寧々の姿を思い浮かべる。


「は、はい。すみません。突然泣き出してしまって」


 未咲は恥ずかしさに頬を赤く染めて頭を下げた。ちらり、と女性の様子を窺うと、彼女は快活な笑みを浮かべた。やっぱり、寧々だと思った。


「いいよ、別に」

「あの、でも、わたし、勝手に家に入ってしまって」

「ああ、まあ、驚いたけどね。何か事情がありそうだし、侵入者だとしてもこんなに間抜けな子ではないと思うわ」


 あはは、と未咲は乾いた笑みを浮かべた。泣いている間に警戒を緩めたらしい女性は砕けた口調になっている。どうやらこちらが素らしい。

 女性をじっと観察しながら、彼女が何者なのかを考える。双子かと思うくらい寧々と瓜二つだから、もしかすると寧々のご先祖様なのだろうかとも思ったけれど、そうすると、此処は直次郎や宗一郎の家などではなく――つまり、鬼由来の家系ではないということにもなる――寧々に繋がる家、ということになる。未咲のイメージでは、昔の人々は土地を大切にしているから、家を建て直すことになったとしても土地を移動することはなさそう……ではある、のだけれど。でも、こんなに似ていて寧々と何の繋がりもないとは考えづらい。


「あたしは雛夜ひなよ

「あ、わたしは未咲といいます」

「ふーん。良い名前ね」


 未咲は目を丸くして雛夜を見た。すると、雛夜は同じく目をまん丸にして未咲を見つめ返した。


「何? その反応」

「いや、あの、名前を褒めてもらったから……」


 未咲は言い淀んだ。自分の名前はあまり好きではない。


「……名前、好きじゃないんだ」


 雛夜が納得したように言った。未咲は心を読まれたようだと驚いた。雛夜は苦笑する。


「そんな顔してるよ。なんで褒められたんだろうって顔」

「わ、わかりやすいですかね、わたし」

「かなりね」


 きっぱり言われると何だか落ち込んでしまう。未咲は肩を落とした。


「どうして好きじゃないの?」

「え?」

「名前」


 雛夜は膝に肘をつけ、頬杖をついて未咲を見ている。その口元は緩く弧を描いていて、未咲は何となく話してしまいたい気分になった。


「わたしの名前、意味があまり良くなくて」

「どういう意味なの?」

「えっと……『未だ咲かない』って。何だか未来がないって言われてるみたいで嫌なんです。でも、それに負けるのも悔しくて、自分では何が何でも自分の未来を信じるんだって決めているんですけど」

「それで、自信がなさそうなんだ」


 ぽつりと呟かれた言葉に、未咲はどきりとした。


「それ、親に言われたの」

「あ、いえ、そんなことはないですけど。えっと、過去に友人がそういう意味なのか聞いてきて」


 雛夜が優しく目を細めた。


「そう。それであんた、自分にそういう呪をかけちゃったのね」

「“呪”……?」

「『未だ咲かないわたし』って、自分にそういう呪をかけてるのよ。馬鹿だね、あんた」


 雛夜の言葉があまりに衝撃的で、未咲は言葉を失った。雛夜は吐息まじりに笑った後、焚火に目をやった。揺らめく火に照らされる雛夜の横顔が、未咲にはとても儚く、そして美しく見えた。


「あんた、愛する人はいるの?」

「え!?」

「いるのね」


 雛夜は火を見つめたまま笑った。


「じゃあ、その愛しい人に、呪を書き換えてもらうといいわ」

「書き、換える」

「あんたはその名前の意味に固執しているみたいだけど、悪い呪はさっさと捨てると良い。愛しい人にもらえる呪なら、喜んで受け入れられるでしょ」


 未咲は少し間を空けて、それから照れ笑いを浮かべて頷いた。そうか、わたしの名前は「未だ咲かない」という悪い意味なのだと、親からわたしの未来を望まれなかったのだと思い込んでいたけれど、そうじゃないのだ。意味は、書き換えることが出来る。わたしが、「未だ咲かない」という意味にこだわってしまっているだけなのかもしれない。そして、未だに花を咲かせられないでいる。

 ならば。

 未咲は瞼を閉じて、雅久の姿を思い描いた。雅久に新たな意味をつけてもらえたなら、どんなに幸せなことだろうか。その時わたしは、どんな花を咲かせるのだろう。


「そうします」

「うん」

「ありがとうございます、雛夜さん」


 忍び込んだ家で最悪な出会い方をした女性と、こんな穏やかな時間を過ごすとは思わなかった。未咲は確かに胸に宿ったあたたかな光を感じた。雛夜という女性は、人を思いやる優しい心があって、この焚火のように夜をあたたかい色で照らすことが出来る人だ。未咲は瞬く間に雛夜が大好きになった。

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