21-4 優しい女性

「あ、あの」


 未咲はばくばくと鳴っている胸に右手を当てながら、決して怪しい者ではないと弁解しようと口を開いた。しかし、すぐさま「怪しい者ではありません」と言う人物は十中八九怪しいではないか、とはたと気づきその場で固まってしまう。未咲を見据えていた女性はますます怪訝そうに眉をひそめた。


「その石は一体……」

「あああ怪しい者ではありません!」


 結構な、間。

 女性と未咲の声が重なり、二人ともピシリと固まってしまった。

 重苦しい空気が流れ、気まずさに未咲が身じろぎした時、女性がはあ、と溜め息をひとつ落として中途半端に降りていた階段を降りきった。

 女性が未咲へと歩み寄った時、未咲は石の光に照らされて明らかになった女性の全貌を認め驚愕した。


「ね、寧々さん……?」

「え?」


 女性が戸惑いを表情に浮かべて、不審げに眉を寄せる。未咲は狼狽うろたえて、あ、やら、う、やら言葉にならない声を上げた。

 未咲を睨む女性は、服装こそ見慣れないものであるが、寧々そのものだった。そういえば、声も一緒かもしれない。

 彼女は、白い衣を首から被り、腰の辺りを赤い紐で結んでいて、その上には赤い布を羽織っていた。下は上衣と同じ布が足首の辺りまで伸びている。腰に巻いてスカートのようにしているのだろうか。首には青緑色の小さな石が連なった首飾りがかかり、首飾りのトップには同じ色の勾玉がぶらさがっていた。やはり、と言うべきか。未咲が生きる時代より遠い昔の日本の服装に見える。


「あなたはここで何をしているの」


 再度、女性が目力を強めて未咲を見据える。未咲はうう、と唸った。というか、外で待っている筈の真神は? 特に女性の悲鳴とか聞こえなかったけれど、真神は何処かへ行ってしまったのだろうか。待っててって言ったのに!


「ち、ちょっと探し物を」


 待って、それってすごく怪しくない!?

 未咲は自分の発言にツッコんだ。見ず知らずの人の家に忍び込んで探し物って、怪しい以外の何者でもない。いや、何の用であれ勝手に人様の家に侵入した時点で怪しすぎるのだけれども。

 未咲が思った通りに女性も考えたのか、呆れたように顔を歪めて額に手を当てた。未咲は何だかとてつもなく申し訳ない気持ちになる。


「何を探しているのですか」

「えーっと……それが、わたしにもわからないというか、何というか」


 酷く曖昧な答えしか出来なかった。女性の眉間にますます皺が刻まれて、未咲は言葉を詰まらせた。けれど、探し物は「鬼の遺物」であって、その遺物とやらが何なのかもわからない状態である。自分のことなのにわからないというのは、なんと心許なくてもどかしいことだろうか。


「誰かに頼まれたのでしょうか」

「頼まれたわけではないんですけど……その、今のわたしに役立つものが此処にあると聞いたんですけど、それが何かわからなくて」


 未咲はしどろもどろに答えた。女性は腕を組み、指をとんとん、と上下させて肘の辺りを何度も叩く。苛立っているのだろう。未咲は心臓が痛くなった。


「この家に?」

「は、はい」

「何があるのでしょうか」

「……わかりません」

「あなたは人の家に勝手に入ることには何とも思わなかったのですか」

「い、いや、その、罪悪感がいっぱいというか、そのう」


 女性に問い詰められて、未咲は逃げ出したい気持ちになった。今すぐ女性の横を駆け抜けて家を飛び出し、真神の背中に乗って逃亡したい。悪いのは自分なのだけれども、言い訳も何も出来ない、そして目的すらまともに話せない状況では、すべてをなかったことにして帰ってしまいたかった。

 そして女性が寧々と瓜二つなのも、精神的な辛さが増す原因になった。雅久とともに真神に乗って村から離れた時――逃げた、の方が正しいのだろうか――に見た寧々の表情が忘れられない。まるで村での出来事を、寧々に責め立てられているようだった。


「ご自分の罪は理解されていると」


 そう言われた瞬間、ぽろりと涙が溢れた。女性がぎょっとする気配を感じながら、未咲は慌てて指で目元を拭う。けれど、一度流れ始めた涙は止まらず、次々に溢れ拭いきれずに頬を伝い始めた。初対面の怪しい人間に突然泣かれては、女性も良い迷惑だろう。そう思って涙を止めようとしても、全然収まってはくれない。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 未咲は子どもみたいに泣きじゃくった。多分、もう限界だったのだと思う。散々泣いた筈なのに、悲しみや怒りが入り交じった複雑な感情は未だに整理がついておらず、その中で次々と明らかになっていく真実に身も心も追いつけなくて。それでも、時間も、鬼も、未咲を待ってはくれない。そこまで甘い世界ではない。世界はいつだって小さな存在である人間を待たないのだ。自分がどうにかしないといけないとわかっているけれど、もうすべてを投げ出して海を漂うように生きたいだなんて思ってしまう。そんなこと、わたしには赦されないというのに。

 はあ、と溜め息が聞こえた。未咲は肩を大きく震わせる。


「水でも飲みますか」

「……え」

「そこに座って」


 有無を言わせない声色で女性が言った。未咲は困惑して縋るような目線を彼女に送ってしまった。それに気付いた女性が軽く息を吐いて苦笑する。


「このままじゃ話も出来ませんから。さ、座って」


 近づいて肩に触れた女性の手から伝わるあたたかさが、やはり寧々と同じようだと思えた。

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