20-5 月夜見の足跡

「それはそうと、雅久は鬼の場所がわかるんだよね?」

「ああ……それは、何と言えば良いか」


 煮え切らない答えだ。未咲は首を傾げた。


「決まった道筋があるわけではないと言うのか……おそらく鬼の力なのだろうが、俺も道がわかるわけではないんだ。俺のところにやってくることもあれば、突然鬼の元にいざなわれることもある」


 未咲は難しい顔で唸った。雅久の言う通りであれば、雅久が一人で鬼の元へ行くことはおそらく可能だけれど、未咲も一緒となると難しいかもしれない。少なくとも、月が見えなくなる朔の日を迎えるまでは。

 そこまで考えて、未咲は一瞬息を止めた。今までは雅久が鬼を抑えていた。けれど、雅久がその役目を果たせなくなった今は? 鬼は、どういう状態なのだろうか。背中にひやりと冷たいものが走った。


「鬼って、自由に動けるの……?」

「それはないじゃろうな」


 大山祇神おおやまずみのかみが溜め息混じりに言った。


「今のところ、ではあるが。だが、鬼は必ずおぬしを殺しに来るであろう。――赤い月の晩に、な」

「赤い、月?」


 未咲は何かを思い出しそうになったが、もやがかかって何も掴めない。指をこめかみに当てて思い出そうとするも、靄は晴れそうになかった。


「赤い月の日が近づくにつれ、鬼の力は強まっていく。長年力を溜め続けていた鬼は、次の機会に自身を縛り付けるやしろを飛び出し、必ずおぬしを殺そうとする。その時までに、おぬしは鬼とどう戦うか決めねばならぬ」


 未咲はごくりと喉を鳴らした。


「その、赤い月の日って、いつ何ですか?」

「ふうむ。月のことは月夜見が一番知っておろう。寧ろ、おぬしはわからんのか」

「えっ」

「ま、鬼の様子からしても、日は近いであろうが」


 大山祇神は軽い調子で言った。事態の深刻さを感じさせない声に、未咲はつい大山祇神をむっと睨んでしまう。


「それまでは鬼は出てこられぬ。精々、朔の日にあの大蛇のような化身を寄越すくらいじゃろ」

「……十分、恐ろしいんですけど」

「俺が守る……と言っても、俺では安心出来ないか」


 雅久は大蛇と戦った時のことを思い出したのか、ぐっと眉を寄せて吐き捨てた。未咲は首を振る。


「そんなことないよ。ありがとう、雅久。でも、雅久が無理して怪我をするのは嫌だな」

「俺も、未咲には怖い思いも怪我もしてほしくない」

「あ、ありがとう」


 未咲は恥ずかしくなって頬を掻いた。大山祇神がうげ、と顔を歪めたのは見なかったことにしたい。


「あ……おばあちゃんの時は、どうだったんだろう」

「澄子の時は、鬼が祀られた社から出てくることはなかった」


 すかさず、雅久が答えた。


「多分、社から出てこられるほどの力はなかったんだろう」

「そもそも、どうしてお社から出てこられないのかな」

「今までの鬼の言葉からすると、おそらく、月夜見に封じ込められたのだと思うが……その後、村で神として祀られるようになった」

「うーん。でも、村に何かすることは出来たんだよね……? だから、人身御供が行われて、雅久が」


 未咲は途中で言葉を切った。唇を引き結んで、自分の無神経さを呪う。


「そ、それに、村で祀っていたのに、どうして今は誰もそれを知らないんだろう。そんな重要な社なら、今だってお参りしたり、管理する人がいたりしても良いのに。誰からもそんな話は聞いたことないよ」

「それは、俺がこうなってからその風習がなくなっただけだ。そして長い月日が流れれば、人はやがて忘れてしまう」


 雅久にはっきりと言われ、未咲は言葉とともに唾を飲み込んだ。結局、雅久を傷つけてしまう話題からは逃れられない。一人落ち込んでいると、ふと思い立った。


「……どうして、月夜見が居ないの……?」


 ほとんど口の中で呟いた。隣に座る雅久は未咲の言葉を聞き取れず、眉をひそめて未咲の横顔を見遣る。未咲はそれに気付かないまま、口元に手を当てて思考の海に沈んだ。


 何故月夜見が居ないのか。月夜見の足跡が見えない。月夜見は人間と恋に落ち、その人間と交わり、新たな命を産み落とした。その後、鬼となった誰かと何かしらあって、雅久の言うことが正しければ、鬼を封じ込めるに至ったわけだけれど。月夜見は一体、どうなったのだろうか。


 未咲が夢の中で見た月夜見は気まぐれな性質であったし、神とは奔放なものでもあるから――月夜見と大山祇神を見ての推察でしかないけれど――この村から去って、他の地を放浪していたところでおかしくはないのかもしれない。なのだけれども、何故か未咲は違和を感じた。

 この感覚は何なのだろう。未咲は内心首を傾げた。


「次の朔の日は、注意しておくが良い」


 それまで黙っていた大山祇神が口を開いた。未咲は我に返って大山祇神を見る。


「儂のカンでは、赤い月の日はそこよ」

「……もうすぐですね」

「うむ」

「それまでに、鬼のことを知らないと」


 未咲は声が震えそうになるのを堪えながら言った。ふと隣から熱い視線を感じて顔を向けてみれば、雅久が酷く心配そうに未咲を見つめていた。あ、と未咲は口を開き、咄嗟に話を変えようと頭を回転させた。

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