19-3 告白

「この不老不死の呪いは、鬼に与えられたものだ。俺のこの蛇のような目は、呪いをかけられた時にこうなった」


 未咲と雅久は寄り添って座っていた。未咲は右手を雅久の左手に優しく重ねて、落ち着きを取り戻した雅久の声に耳を傾けた。


「どうして、鬼は雅久にそんな呪いを」

「偶然、鬼に気に入られたんだろう。本来なら、俺は殺される筈だった」

「え……!?」

「元は生贄だったんだ。鬼に捧げられる、な」

「い、生贄って」


 未咲は絶句した。昔の日本には「人身御供」という神の怒りを鎮めるために人間を捧げる風習があったと聞いたことがある。けれど、人間を供物にするだなんて、未咲からすればあまりに非現実的なもので、心の何処かでフィクションだと思っていた。


「……本当は」


 雅久は言いよどんだ。


「本当は、鬼が指名した生贄は、俺ではなかった」

「身代わりにされたって、こと?」

「……そうだな」


 雅久が間を空けて頷き、未咲は愕然がくぜんとして彼を見つめた。鬼が村に対して生贄を要求していたのも衝撃的だが、その生贄の身代わりとして雅久が鬼へ捧げられたこともショックだった。


「元々鬼が村に要求したのは……月夜見の、子孫だった」


 未咲はびくりと肩を震わせた。一瞬真っ白になった頭に、ある可能性が浮かんでは消えていく。けれど、未咲が頭を悩ませる必要などなかった。雅久が、すべてを知っているからだ。

 雅久は未咲に目も向けないまま話を続ける。


「それが、お前の祖母……澄子だ」

「が、雅久、それ、は」


 未咲は手で口を覆った。不規則に吐き出される息が手のひらに当たる。


「おばあちゃんの代わりに、雅久が、生贄に」


 目の前が真っ暗になりそうだった。祖母の代わりに生贄にされて、鬼に執着され、鬼の怨みを抑えるための役目を背負わされた、だなんて。未咲は雅久を酷い目に遭わせた祖母の孫だ。怨まれてもおかしくない立場だというのに、雅久はいつでも――当初は未咲が鬼に殺されることを望んでいたとしても――助けてくれた。……いや、それ以前に、雅久は成長してこの世界に戻ってきた祖母をも、救っているのだ。

 どんな想いだったのだろう。未咲は雅久にしかわからない気持ちを想像した。


 祖母の身代わりとして生贄にされた時。

 成長した祖母が雅久の前に現われた時。

 祖母が雅久を救おうとした時。

 そんな祖母を、別の世界に送り出した時。

 祖母と同じように、未咲が雅久の前に現われた時。

 未咲が雅久にすがり付いた時。

 そして、未咲が雅久に、好きだと想いを伝えた時。


 無知とは、鉛のように重い罪だ。未咲はそう感じた。雅久の事情を知っていたなら、未咲は自分の気持ちを伝えることは出来なかっただろう。わたしの恋情が雅久の心をずたずたに引き裂いたのではないかと思うと、自分の存在を消したくなる。

 未咲は痛みに耐えるように奥歯を噛んだ。


「未咲」


 雅久は未咲の右手が重なっている左手の向きを変え、未咲の指に自身の指を絡めて手を握った。


「何度でも言うが、未咲のせいじゃない。澄子のせいでもない」

「でも……」

「最初は怨んだ。何故俺がこんな目に遭うのか、理不尽だと憤りを覚えた。運良く生き残ったが、友人が老いて死んでいく様子を見て、俺だけが取り残されて、このまま生きていくことが恐ろしくなった。こんな思いをするくらいなら、死にたいと思ったよ。

 だけど、俺がいなくなれば、鬼は村にわざわいをもたらす。そういう契りなんだ。破れば、鬼は再び生贄を求め……最悪の場合、村を滅ぼしてしまう」


 未咲は正芳が「雅久は村を守っている」と言っていた意味を、ようやく理解した。そして、雅久が必死に守ってきたものを、未咲がこの世界に現われたことによって台無しにしてしまったのだと思った。


「今回のことは、俺のせいだ」

「ち、違うよ。だって、鬼はわたしを、月夜見を怨んで」

「違う。未咲だけが狙いなら、鬼は未咲だけを襲う。村は被害を受けない筈、だった。俺が鬼の傍にいれば……」


 雅久は未咲の手を握る指の力を強めた。


「俺が、お前を……未咲を、愛してしまったから」


 未咲は息を呑んだ。


「だから、俺のせいなんだ。誰も悪くない。俺が、未咲の傍に居たいと願ってしまったんだ」

「雅久、それって、悪いことなのかな……?」


 雅久は押し黙った。未咲は泣きそうに顔を歪めて言葉を続ける。


「人を好きになることに、良いも悪いも、あるのかな」

「……わからない。だが少なくとも、俺は……俺が誰かを愛せばこうなると知っていて、なのに、抑えられなかった。それはきっと、俺の罪なんだと思う」


 まるで懺悔をするように、雅久は静かな声で告げた。

 どうして雅久が、こんなに苦しまなければならないのだろう。未咲は唇を噛んだ。


「正芳も、本当ならあんな終わり方をするようなヤツではなかった筈だ」

「……正芳さんと雅久の関係って」

「多分、友人、だったんだと、思う」


 雅久はぎこちなく言った。いや、ぎこちないというより、躊躇ためらっているようだった。


「あいつ、会いに来るなと言っているのに、何度も会いに来るんだ」


 かすかに苦い笑みを浮かべた雅久の目には、きっと出会った頃の正芳の姿が映っているのだろう。未咲はぎゅっと心臓を掴まれた気分になった。


「出会った時は俺よりも小さな子どもだった。なのに、やっぱり、正芳も俺より先に逝ってしまうんだな」


 きっと今、雅久は自分を責めている。自分のせいで正芳が死んでしまったのだと悔やんでいる。

 未咲と雅久が出会ったことによって今回の悲しい事件が起こったのなら、二人が出会ったことは罪なのだろうか。未咲には答えが出せそうにない。けれど、間違いだと思いたくはなかった。二人の間に芽生えたものが悪なのだと、少なくともわたしだけは思いたくない。未咲は自身を落ち着けるために大きく息を吸って吐き出した。


「ねえ」


 未咲の声が、二人の間に流れる空気を震わせた。


「雅久は、どうしたい?」

「……俺は」

「鬼のこととか、関係なくだよ。雅久がこれからどうしたいか知りたいの」


 未咲は身体を雅久に向けて左手を伸ばし雅久の前髪を横に避けた。前髪に隠れていた蛇の目がきらりと煌めく。


「雅久の心を、教えてほしい」


 雅久は未咲から目を逸らし、視線を彷徨さまよわせた。風が雅久の前髪をさらって、瞳に影を落とした。


「俺、は……」


 言っても良いのか、雅久は迷っている様子だった。未咲はただ、雅久の唇が動くのを待った。


「もう、疲れたんだ」


 おそるおそる、雅久は話し始めた。未咲は雅久の言葉にギクリとしたが、雅久の言葉をひとつも聞き逃さないように耳を澄ませた。


「俺は、きっと未咲が想像する以上に、生きてきた。生きるのは、つらくて、悲しくて、寂しいよ。……でも、今さら死ぬのも、怖いんだ。生きるのに疲れてしまったのに、いざ死ぬことが出来るようになったら、怖くて堪らなくなるんだろう。

 生きて、死んでいくのが、命ある生き物だ。でも、俺はきっと、どちらでもないんだ。だとしたら俺は、一体何なんだろうな。そうやって、いつも考えてきた」


 未咲は涙を堪えた。雅久は今にも泣きそうな未咲を見て、柔らかく目を細めた。月の光のように淡く、けれど、確かな熱を帯びた光が灯っている。


「臆病なんだ。生きることも、死ぬことも、どちらも怖い。なのに、俺は……未咲と、一緒に居たい。未咲と、ただ、普通に生きて、死にたいんだ。そう望んでしまった。すまない。……すまない、未咲」


 未咲は考える前に、雅久の唇に自身の唇を重ねていた。一瞬距離がなくなった雅久の顔からそっと顔を離すと、雅久は目を見開いて茫然としている。おかしくなって、未咲は笑みを溢した。

 雅久の目に涙が滲み、やがて頬を伝い落ちた。ぽろぽろと次々に流れる涙を見て、未咲は大げさににやっと笑ってやった。


「泣き虫雅久」

「……馬鹿」


 雅久は泣き笑いを浮かべて、こつん、と未咲の額に自身の額を当てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る