18-2 昔の記憶と名前
――……近寄らないで! 気持ち悪いっ。
そう言った母親の顔も、どんな声だったかも、未咲は思い出せそうにない。
けれど、母親が何度も放った言葉、そして未咲のことがあって母親さえも嫌悪し、汚い
当時の未咲は、両親に対してまだ希望を持っていた。何故嫌われてしまうのかわからなかったけれど、いい子にすればきっと愛してくれるのだと信じていた。結局、そうした未来は訪れなかったけれど。
そもそも、何故両親に嫌われてしまったのか。未咲はその理由を知らなかった。ぼんやりと覚えているのは、ある時未咲は母親に何かを見せて、その瞬間、母親の顔が強張り、気味の悪いものを見るように嫌悪を滲ませたことであった。その日以降、未咲は両親の笑顔を見なくなった。
どうして、だっけ。
未咲は記憶の海を漂いながら、その答えを探した。割れたガラスの破片のような記憶を繋ぎ合わせていく。
――ねえおかあさん、これ見て!
無邪気な声が未咲の脳内に響いた。未咲は何処から声がしたのか記憶を辿る。いくつもの記憶の断片をたぐり寄せ、ひとつひとつに耳を澄ませた。
――あのね、花が咲いたんだよ!
これだ。未咲は辿り着いた。手元の継ぎ接ぎだらけの記憶。欠けていた箇所にひとつの欠片を繋ぎ合わせると、未咲は光に包まれた。
――この花、おかあさんが好きな花だよね。
未咲の目の前に、映像が映し出された。まるで映画のスクリーンだ。セピア色の
けれど、普通の女の子とは決定的に異なる点があった。未咲は本来微笑ましい筈の光景を見て目を見開いた。
幼い少女の首から下がっている石のペンダント。彼女はその青みがかった石を手のひらに乗せて母親に見せている。石は淡く蒼い光を帯び、鮮やかな赤のアルストロメリアを咲かせている。ペンダントの石から花が咲いている様子は、とても奇妙であった。
いや、それよりも。
あの石は、今のわたしが持っている石と同じものだ。
――み、未咲、その石は何? どうして花が……。
――……おかあさん?
強張った表情の母親を、幼い未咲は不安そうに見つめている。
そうだ、あの出来事から、未咲と両親の関係はギクシャクとしたものになった。
未咲はかき集めた記憶を、胸の前でぎゅっと握り締めた。割れて尖った破片が、未咲の手のひらを傷つけた気がした。
結局、生まれてから祖父母に引き取られるまでの間に未咲が両親からもらったものは、「未咲」という名前と心の傷だけだった。だけれど未咲は、自身の名前さえも好きではない。最初は「みさき」という響きが未咲に合っている気がして違和感を覚えることはなかったし、「未咲」が自身を表す記号であるとしっかり認識していた。両親が離婚して祖父母と暮らすようになってからも、それは同様であった。
しかし、両親からの唯一の贈り物も、小学校で自身の名前の由来を調べてくるという授業があった時に、色を変えることとなる。
未咲は先生に、
「お父さんとお母さんがどういう意味を込めて名前をつけてくれたのか訊いてくること」と言われた時、
「ああわたしには関係のない話だ」と思った。
その頃にはもう、両親への期待はあまり残っていなかったし、彼らがどんな意味を込めて未咲の名前をつけたかなんて、興味もなかった。大好きなおばあちゃんとおじいちゃんが「未咲」と呼んでくれる。小学校で出来たお友だちも「未咲ちゃん」と呼んでくれる。そしてわたしはそれがわたしのことだと認識している。それだけでよかった。なのに、
――未咲ちゃんの名前って、「
曇りのない瞳で
未だ咲いていない。未だ咲くことが出来ない。
一体、両親はどんな気持ちで未咲に名前をつけてくれたのか、すごく気になった。産まれる前から
――未咲はね、とっても素敵な力を持っているのよ。
そう教えてくれたおばあちゃんは、どんな気持ちでわたしの名前を呼んだのだろう。いつまでも過去に
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