17-3 奪われしもの
宗一郎の目が捉えたのは、一人の老爺であった。ああ、先ほど宗一郎を羽交い締めにしていた男性だ。未咲は彼に見覚えがあった。一度か二度ほど会って、それも短い挨拶しか交わしたことはなかったけれど、目の奥に優しい光を
宗一郎の身体が父親に向いた。未咲は心臓の裏側を撫でられた気がした。このままでは、宗一郎は自分の父親を殺してしまう予感だった。
「だめ!」
気がついた時には、未咲は起き上がって駆け出していた。真神の
「あ……」
血走った目と、目が合った。脳内に警報が鳴り響く。
「ま、まか――」
咄嗟に真神を呼ぼうとして、未咲は固まった。
今真神を呼んだら、宗一郎は死ぬのではないか。
そんな考えが頭を
――未咲、我が力を望め。
背後から、誰かが
「ガッ……!」
どさり、と宗一郎が倒れ、未咲は現実に引き戻された。倒れた宗一郎を、目だけで見下ろす。生気のない宗一郎の横顔。光のない目が、虚空を見つめている。口から流れ出た血が地面を濡らす様子がわずかに見えた。じわじわと、宗一郎の穴が空いた腕や、脇腹の切傷から溢れる血が、宗一郎の着物を染めていく。
「宗一郎ー!」
宗一郎の父親が血相を変えて宗一郎に駆け寄り、膝をついて彼を抱き上げた。その姿を放心したまま見つめていると、ぐいと腕を引っ張られた。未咲は顔を振り向かせる。
「が、く」
村の消火作業を手伝っていたのだろうか。雅久は
「いや、あなた! お願い、目を覚まして!」
絹を裂くような悲鳴に、未咲はびくりと肩を震わせた。文子の声だ。正芳の息を確認出来なかったことを瞬時に思い出し、雅久の手を振り払って転がるように正芳の傍へと駆けた。
「正芳さん!」
文子が正芳の身体を揺さぶっても、正芳はぴくりとも反応しない。未咲が正芳の左手首に震える指を当ててみても、指先に脈動が伝わることはなかった。力なく正芳の手首から離した手をだらりと降ろす。文子の正芳を呼ぶ声が遠い。身体から魂だけが抜け出して、遠くに飛んでいったみたいだった。
「死んだのか」
感情のない声が頭上から降ってきて、未咲はカッとなって振り返り雅久を見上げた。しかし、怒り任せに吐き捨てようとした言葉は、雅久の顔を見てすぐに形を失った。
「正芳は、死んだのか」
雅久の紫水晶と
雅久に手を伸ばそうとした時、雅久の背後に近寄ってくる人影が見えた。
「……何故、宗一郎を殺した……!」
宗一郎の父親であった。着物にべっとりと血がついている。それが宗一郎のものであると、未咲にはすぐにわかった。雅久が未咲に背を向ける。
「あのままでは、その人も、未咲も、どちらも死んでいました」
雅久の冷静な声が、その場に響いた。いつの間にか集まっていた他の村人たちが、遠巻きに未咲たちの様子を
雅久は父親の後ろで仰向けに倒れている宗一郎に視線をやって、そっと目を伏せた。
「宗一郎は、変なヤツに身体を乗っ取られたんだ。そうでなければ、あんなことをするはずがない……あの子が、俺の子が、そんなことするわけがない」
ギッ、と怒りに燃えた目で雅久を睨んだ。
「お前のせいじゃないのか」
村人たちがざわめいた。
「お前の、お前のその目……蛇のような目……! 昔から、山には恐ろしい怪物が住んでいるんだ……それを、お前が、この村に連れてきたんだろう!」
「違います!」
黙っていられず、未咲は立ち上がって雅久の前に飛び出した。
「ならば何故ここにいる! お前は村の者ではない!
ほとんどヒステリックのように頭を抱えて叫んだ。違う、と未咲がもう一度言おうとした時、宗一郎の父親はギラリと未咲を睨み付けた。
「ああ、そうか……お前もそいつの仲間か」
「え……?」
「様子がおかしくなった宗一郎はお前を探していた……お前を探して火を放ち刀を振り回し……そうか、そうだ。お前が、お前のせいで、宗一郎が、宗一郎は」
宗一郎の父親は焦点の合わない目をしてぶつぶつと呟き、再び般若の形相で未咲を睨んだ。
「お前のせいで、宗一郎が死んだんだ……!」
それは未咲に向けられた明確な殺意だった。吊り上げられた鋭い目と怒りに染まる表情は、未咲の知る宗一郎の父親とはかけ離れている。未咲は心臓を一突きされたようだった。
「正芳もそうだ! お前がこの村に来てからこの村は様子がおかしかった! お前が……正芳と宗一郎を殺したんだッ!」
ガツン、と頭を強打した心地だった。激しく心臓が痛み、呼吸が上手く出来ない。わたしが、殺した? 正芳さんと、宗一郎さんを?
「お前たちも殺してやる! 宗一郎を返せ!」
「ち、が……わた、わたし」
「――真神ッ!」
未咲が力なく首を振ろうとした時、雅久は未咲の言葉を遮るように真神を呼び寄せた。未咲を強く引き寄せ、素早く駆けつけた真神の背に乗せた後、その後ろに雅久も乗り上げる。動揺して何も出来ずにいる未咲を雅久は背後から抱きかかえた。
「すまない、未咲」
雅久が小声で呟くやいなや、真神が駆け出した。村の結界を越え、御神木が
未咲はあの場を離れる前にちらりと見た村人たちの様子を思い出した。寧々と目が合った気がしたけれど、寧々が気まずそうに目を逸らしたのを、未咲は確かに見ていた。
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