17-2 取り憑かれた男
大丈夫だ。未咲は強い子だ。
未咲は目を閉じて正芳の言葉を
そっと、あたたかなものが未咲の右手に触れた気がして目を開いた。すると、正芳を支える未咲の右手に、淡く輝く半透明の誰かの右手が重なっていた。
――未咲、自分を信じて。きっと出来るわ。
ああ、優しい、おばあちゃんの声だ。
と、左手にもまた、誰かの左手が重なった。おばあちゃんの手よりも大きくて骨張っているその手に、未咲は見覚えがあった。
これは、おじいちゃんの手だ。おばあちゃんと違って何も言わないなんて、
着物の内側に入れていた石のペンダントが蒼白い光を放ち、宙へと浮かび上がる。未咲はその光に、静かに、強く祈った。
石から水が湧き出て、ビー玉ほどの大きさをした水玉が一つ生まれたと思うと、次から次へと水玉が出来、空へと舞い上がっていく。未咲は無数の水玉を追って空を見上げた。ぱちん、と何処かから弾ける音がしたと思うと、村中に光を帯びた雨が降り注いだ。
それはあまりに優しい雨であった。その不思議な雨は
正芳の様子を見ると、見る者の心までもを切り裂く痛々しい刀傷が消え去っていた。未咲は心の底から安堵し、またもや泣きそうになった。
「よか……」
よかった、と言いかけて、未咲は異変に気付いた。正芳の顔色が戻らない。呼吸をする時に動く筈の胸が動いている様子がない。おそるおそる、小刻みに震える手を正芳の鼻下に近づけた。
息をしていない。
「正芳さん……?」
頭のてっぺんから冷水を浴びたようだった。ううん、わたしの勘違いかもしれない。と、脈を確かめようと正芳の首筋に手を動かそうとした、その時。
近づいてくる人の気配を感じて、未咲は蒼白い顔をぎこちなく上げた。
ゆらり、ゆらり。
だらりと両腕を垂らして、大きくよろけながら、瞳に
宗一郎がにんまりと悪魔のような笑みを浮かべる。
正芳の血がついた刀を天高く振り上げた。
そのすべてが、未咲には酷くゆっくりに見えた。
「ぐああああっ!!」
振り下ろされた刀が未咲に届く前に、白い疾風が宗一郎を襲った。宗一郎の空を裂く絶叫が村に響く。未咲の元へ駆けつけた真神が宗一郎に飛びかかったのだ。牙を剥き出しにした真神が宗一郎を押し倒し、その鋭い牙を突き立てようとする。
「や、やめて真神ッ!」
それはほぼ悲鳴だった。言葉として機能するか定かではない声が真神の耳に届き、真神は宗一郎の首に噛み付こうと開いた口を閉ざし低く
ごふっ。
宗一郎の口から赤い液体が吐き出された。未咲は既に冷えきっている指先がさらに冷たくなった気がした。
「真神、そこからどけて!」
未咲は正芳をぎゅっと抱き締め、耐えるように顔を歪めた後、正芳をそっと地面に横たわらせ宗一郎の元へ駆け寄った。
宗一郎は身体を
黒い靄は未咲の顔の前まで昇り視界を奪った。目の前で渦巻く靄を動くことも出来ずに見つめていると、三つの赤い光が逆三角形の角を取るように滲み三日月を描いた。糸のように細い目と、先程宗一郎が浮かべた笑みと同じくにんまりと弧を描いた口。いつかホラー映画で見た、不気味に笑う仮面だ。未咲は背骨を電撃が突き抜けていく感覚がした。
こいつを何とかしないと!
そう思った瞬間、靄の顔に宗一郎の顔が重なった。未咲が息を呑む間に宗一郎が未咲を押し倒す。勢い良く頭と背中を打ち付け、未咲は一瞬意識が飛びかけた。ガッと宗一郎の両手が未咲の首を絞める。
「う、ぐ……!」
気道が塞がれ、息が出来ず苦しい。どうにか逃れようと身体を
「ぎゃああああ!!」
宗一郎が獣のような叫び声を上げ、未咲の首から手を離した。未咲はゲホゲホと大きく咳き込んだ。ぐわんぐわんと視界が揺れる。あまりの苦しさに涙が溢れた。
未咲が滲む視界に捉えたのは、真神が宗一郎の右腕に牙を突き立てた姿であった。真神の美しい白毛に飛び散る赤、宗一郎の腕から溢れる血液が酷くおぞましいものに見えた。
真神が宗一郎を持ち上げ、地面へと叩き付ける。解放された未咲は首に左手を当てながら身体を起こした。
「やめろ! やめてくれ! 宗一郎が死んじまうッ!」
叫んだのは、誰だったか。
よろめきながら起き上がった宗一郎の手には、運悪く傍に転がっていた刀が握られていた。ぎょろり、と声が聞こえた方向へ目を向ける。
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