16-7 村を襲う怪異

 随分と時間が経ったのか、山の中には茜色の光が降りていた。未咲が老爺の屋敷に居た時間ずっと待ち続けていたのか、真神は未咲を下ろした場所から動いていなかった。その場で身体を伏せたまま待っていたようだった。茜色の光が真神の白毛を淡く染めて煌めく。


「真神、お待たせ。待っててくれてありがとう」


 そう言いながら真神に歩み寄っていくと、真神は立ち上がって未咲を迎えた。未咲は微笑んで真神の顎の下を撫でてやった。

 老爺の屋敷を振り返ると、そこには見つけた時と同じボロ小屋があった。もう何も驚くまい、と思いながらも、勝手に反応してしまう心臓が落ち着くのを肩で息をして待った。


「行こっか、真神」


 行きと同じく真神の背に乗って戻りの道を駆ける。行きよりも幾分涼しく感じる六月の風には、湿り気が含まれている。もしかしたら、夜にでも雨が降り始めるかもしれない。微かに香る雨の匂いを目一杯吸い込みながら、未咲は老爺とのやりとりを思い返した。


 今日の一番の収穫は、境界について知ることが出来たことだろう。御神木が何故村の人たちに知られていないのか不思議だったけれど、普通の人には認知出来ない領域なのであれば納得もするし、安心する。下手に御神木の存在を知って、御神木の元へ多くの村人を訪れるようになったら、怪異に襲われる危険性も出てくるだろう。御神木がそびえ立っている場所は境界域なのだから、人ならざるものも存在するのだ。


「あれ?」


 そこまで考えて、何かが閃きそうになった。今重要なことを思い出した気がするのに、記憶の断片はひゅんっと影に隠れてしまった。

 と、真神が突然速度を上げた。ぐん、と風圧が強くなって、未咲は真神の白毛をしっかりと掴んで身をかがめる。どうしたのかと、真神の様子をうかがうために首を伸ばそうとした時、焦げたような臭いが鼻を掠めた。何だろう、この臭い。段々、風が熱をはらんだものに変化していく。未咲は嫌な予感がして全身が粟立あわだった。

 真神が駆ける。心臓が身体の内側から叩き付けてくる。ねっとりとまとわり付いてくる恐怖に、未咲は涙をにじませた。唇から短く漏れる息が震えている。


「しっかりしろ、未咲」


 自身を叱咤しったし、ぐっと身体を起こした。身体を支える腕がぷるぷると震えている。俯けていた顔を正面に向けた時、飛び込んで来た光景に未咲は目をいた。


「む、村が……!」


 真神が村の前で足を止めた。未咲は顔面を蒼白にして、変わり果てた村の様子を愕然がくぜんと見つめた。

 ゴオオオオオッ。勢いよく燃え上がる炎が、黒い影を作っている。弾ける火の粉が宙を舞う。家や、庭に植えられた植物や、畑が燃え、緑豊かな村を炎が呑み込んでいく。


 早く水を持ってこい!

 中に取り残されているヤツは居ないか!?

 誰か助けてーっ!


 緊迫した声、悲痛な叫び声が、未咲の頭上でぼんやりと聞こえた。自分だけが別の世界に取り残されている。薄く透明な壁が、未咲を隔離かくりしているように思えた。


「やめるんだ、宗一郎!」


 ほとんど悲鳴のような声が耳をつんざく。未咲は瞬時に現実へと戻り、次いで聞こえた音を言葉として理解した時、心臓がぞわりとした。


「真神!」


 真神が駆け出し、村を囲む丸柵を飛び越えた。バチバチバチと炎が爆ぜる音が耳障りだ。真神と未咲を見て恐怖する村人たちの姿が見えたが、気にかけてやる余裕はなかった。

 炎の揺らめきを返す田んぼの畦道あぜみちを駆ける。赤い影が植えたばかりの苗を染めていた。風に煽られた火の粉が山林まで飛んでいこうとする。山に燃え移るのも時間の問題かもしれない。


 正芳と文子の家の前庭で、数名が揉み合っていた。炎を消し止めなければならないというのに、怒鳴り声と悲鳴ばかりが飛び交って、それに呼応するように炎の勢いが増す。

 揉み合いの中心にいる人物の姿が視認出来た瞬間、未咲は全身が凍り付いた。

 宗一郎が、複数の男性に取り押さえられている。一人は宗一郎を羽交い締めにし、もう二人は引き摺られるように地面に倒れながらも宗一郎の足にしがみついていた。その状態でも、宗一郎は彼らを引き剥がそうと藻掻いている。いくら宗一郎が体力も力もある若い男とは言え、男性三人で抑えるのがやっとという状況は異様に思えた。


「宗一郎さん!」


 宗一郎の動きがピタリと止まった。真神もまた足を止め、威嚇いかくするように唸り声を上げた。

 宗一郎がぎぎぎ、と酷くゆっくりとした動きで顔だけを未咲に向ける。まるで能面だった。宗一郎は感情のない顔で未咲と目を合わせ、にいぃ……と醜悪しゅうあくな笑みを浮かべた。うつろな目にはどす黒い闇が渦巻いている。普段の宗一郎からは想像出来ない表情に、未咲は戦慄せんりつした。宗一郎の口が動く。


「みつけた」


 その時、未咲は宗一郎の身体に黒いもやまとわり付いているのを見た。あれが宗一郎に取り憑いて彼を操っているのだと、未咲は直感した。そして唐突に、先ほど思い出しかけたことが何だったのかわかった。


 ――御神木は、澄子さんが自分の世界へ戻られた後に枯れてしまったのだ。そして、それまで起こっていた怪異はぴたりと鳴りを潜めた。


 正芳が言っていたことだ。御神木が枯れてから、怪異がなくなったと。故に、怪異は未咲の祖母を狙ったものではないかと。

 けれど、御神木は境界から怪異が村に入り込まないためのものではないのか。祖母がこの世界に居た頃は御神木は枯れていなかったのに、怪異が起こっていたのは何故か。そして、祖母が帰り御神木が枯れた後は……。


 鬼は、御神木の有無に関わらず、いつでも怪異をけしかけることが出来るのではないか?


 未咲は、それが知りたかったのだ。

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