16-6 境界

「境界は、人の世と、お前たちの言う怪異の世とが交わる領域じゃ」

「交わる……?」

「左様。大抵の人間は境界を認知出来ぬがな」

「え! じ、じゃあ、村の人たちが御神木を知らないのは、御神木が境界にあるからってことですか?」


 老爺は頷いた。未咲は湯呑みをぎゅっと握る。


「正芳さんと雅久は、御神木を知っていて、何度も訪れているようでした。それに、夢の中でも、村の人たちが気づいて――」

「大抵の人間は、と言ったじゃろう」


 老爺が未咲の言葉を遮って言った。未咲は出かかった言葉を呑み込み、老爺が続きを話すのを待った。

 老爺は呆れたような表情をして、未咲に酒瓶を差し出しぷらぷらと揺らす。


「せっかちな娘じゃなあ。ほれ、酒呑むか?」

「飲みません」


 未咲は微かに眉を寄せて、ぴしゃりと言い放った。思った以上に強く返してしまって、気を悪くさせただろうかと不安になる。

 未咲の不安とは裏腹に、老爺は不貞腐ふてくされた表情で、ちぇ、と言葉で舌打ちして、それから愉快そうに笑った。


「境界に入ることが出来る人間は限られている」

「それは、なんですか?」

「霊力を持っている人間じゃな」

「霊力……あまり想像がつかないけど」

「ま、大抵の人間よりもあらゆることに敏感であると考えれば良い。第六感が発達しているということじゃ」

「第六感かあ……」


 未咲は指を唇に当てた。確かに、よくわからないけれど感覚が鋭い人ってたまに居るなあ、と顔も知らないぼんやりとした影を思い浮かべる。自分がそうであるか、と言われると、わたしはあてはまらない気がするけれど、御神木の場所へ辿り着くことが出来ていた以上、そういうことなのだろう。そして、未咲の世界も含め、御神木を知らなかった村人たちは、第六感を持っていないということか。


「……ってことは、正芳さんも雅久も、第六感があるってことですか?」

「そうとは限らん。霊力がなくとも、一度認知すればもう一度行くことは容易い」


 どういうことだろう、と未咲が眉をしかめると、老爺は続けて口を開いた。


「知っている場所は目につきやすいものじゃ」

「あ」


 老爺が言わんとすることが理解出来て、未咲は自身の頭上に電球マークがぴこん、と浮かんだ感覚になった。確かに、一度気づいてしまうと、次からはやけに気になったり、何となく意識したりすることがある。人間、自分の意識下にないものは見て見ぬ振りですらなく、存在しないものとして視界に映さないものだ。見ているけれど、見ていない。認知していない、ということは、おそらくそういうことなのだろう。


 正芳は幼い頃父親に連れられて御神木を見に行ったそうだから、それ以来「その場所に御神木がある」と認識して御神木の場所へ辿りつけるようになったのだろう。

 しかし、雅久はどうなのだろうか。御神木は未咲の祖母が自分の世界へ戻った後に枯れたと聞くし、当時は正芳も五歳の頃で、雅久は影も形もない頃の話である。枯れた御神木の元へ正芳や誰かが雅久を連れて行った、というのもなくはないだろうが……。雅久はこの村を怪異から守っているのだし、未咲と同じく霊力がある人間だと考えた方が良さそうだ。


 それとも、「呪い」のせい?


 未咲はぎゅっと目を瞑った。雅久の境遇を思うと心が痛い。呪いを受けた上にこの村を怪異から守らなくちゃいけないって、どういうこと? それとも、怪異と戦った時に受けた呪いなの? 雅久にその役目を与えたのは誰? 呪いをかけたのは? 目の前の老爺なら、知っているだろうか。


「本人に訊くんじゃな」

「……え?」


 我に返った未咲が老爺を見ると、彼は酒瓶をあおった。


「知らない方が幸せかもしれんが」

「え、何、何のことを言って」

「本人に訊け」


 ぴしゃりと突き返され、未咲はうっと肩を縮こまらせた。


「……おじいさんって、人の心を読めるんですか?」

「おぬしがわかりやすいのよ」


 そんな馬鹿な。未咲はしかめっ面をした。もしかして、頭の中で考えたことを口に出してしまっていたのかな。そうでなければ、いくらわたしがわかりやすいと言っても、雅久のこと、それも彼がかけられた呪いや役目について考えていたって、わかるもの?


「さて、そろそろ帰れ」

「え! あの、まだ訊きたいことが」

「今日はこれまで。また此処まで辿りつけたら、おぬしの話を聞いてやろう。ほれ、帰れ」


 老爺はしっし、と片手で追い払う動作を未咲に見せた。未咲は仕方なしに湯のみのお茶を一気に飲み干すと、老爺に一礼してから立ち上がった。


「ありがとうございました」

「うむ」


 老爺が立ち上がる気配はない。未咲はもう一度頭を下げて屋敷を出た。

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