16-5 老爺の話
「なかなかに肝が据わっておるな」
ふいに老爺が口を開いた。未咲は湯飲みに伸ばした手を止めて、老爺に顔を向けた。
「それで、おぬしは何を知りたいと言ったか」
「あ、えっと、おじいさんがあの日、どうしてわたしを見ていたのかなって」
「ふむ。何故か、か」
老爺は親指と人差し指で顎を揉んだ。考える素振りを見せているが、それが本当にただの振りであることを、未咲は何となく察した。
「たまたまじゃ」
溜めたわりに出された答えは期待外れだった。未咲は肩を落とす。顔は無意識に下を向いて、未咲の前に置かれた湯飲みの中でゆらゆらと揺れる緑茶を見つめた。落ち込んでも仕方ないしなあ、と息を吐いて、湯飲みを手に取った。触れたところからじんわりと熱が伝わって、なんだかほっとする。
でも、あんなにわたしのことをじっと見ておいて「たまたま」って、そんなことある?
むむ、と未咲が眉を
「おぬしが儂を見つけたのには驚いたぞ」
「えっ」
未咲はバッと顔を上げた。老爺は口元を親指で拭い、舌で口の端をぺろりと舐めた。
「まさか追いかけてくるとはな」
「気づいてたんですか?」
「うむ」
「わたし、おじいさんにまったく追いつけなかったんですけど……」
「そうであろうな」
意味がわからない。未咲は困惑した表情で老爺を見ることしか出来なかった。もう一口お茶を啜り、熱い息を吐き出す。
「わたし、おじいさんがあの大蛇のところへ誘導したのかと思いました」
「ほほう」
「おじいさんが目の前から消えたと思ったら夜だったし、その後大蛇に襲われたし。でも、おじいさんがそんなことをするようにも思えなくて」
「何故そう思う」
「直感」
です、と自信なさげに付け足した。すると、老爺は目をカッと開いたかと思えば、
「はーっはっは!」
と、大口を開けて大笑いした。パンッパンッと膝を何度も叩く。
「直感か。うむ、確かに儂はわざわざお前を蛇に差し出すような真似はしとらん。……まあ、境界に入ればそのようなことは珍しくもないことよ。しかしまあ、月夜見の血筋とは言え、随分と簡単に境界に入りおって」
「境界! あの、境界って何ですか!?」
未咲は老爺のボヤキに食いついた。夢で見た月夜見の記憶でも、“境界”と隣合わせの村を見て憐れんでいた。しかし、夢では月夜見と同化していたものだから、その時は“境界”が当たり前の知識として染み付いていて、特に気にも留めなかった。疑問に思う余地がなかったのだ。けれど、夢から覚めた未咲には、“境界”とは何なのかが理解出来ない。
老爺は片目を瞑ってちらりと目だけで未咲を見た。
「境界を知らぬか」
「……はい。でも、月夜見が境界から村を守るために御神木に加護を与え結界としたことは知っています」
「そこまで知りながら境界自体を知らんとは、月夜見の夢でも見たか」
ぴたりと言い当てられ、未咲は
「……その通り、です。夢で、月夜見が御神木に加護をかけたことを知りました。それで、村の人たちも加護を授かったことを知って、御神木に
未咲の言葉に、老爺は口の端を持ち上げた。
「あの、おじいさんは御神木のことも知っているんですか? 何処にあるかも、ご存知なのでしょうか」
「ほう。面白いことを聞きおる」
「だって、この村のほとんどの人は御神木のことを知らないんです。正芳さんと雅久は知っているけど……あ、正芳さんは村長の方で、雅久は――」
雅久のことを説明しようとして、未咲は固まった。雅久のことは、何と言えば良いのだろう。未咲は唐突に暗闇の中に取り残されたような気分になった。雅久を表す言葉を探して、迷子になる。雅久が随分と遠くにぽつねんと立っている様子が思い浮かんで、未咲はぐっと奥歯を噛み雅久へと手を伸ばした。
「雅久は、わたしの大切な人です」
「ほほう」
老爺は訳知り顔でにやりと笑った。
「難儀じゃな」
「え?」
「まあ、励むと良い。さて、御神木についてか。そうじゃそうじゃ、正芳から聞いて知っておる」
あまりにも白々しい言い方をする老爺に、未咲は唖然としてしまった。隠すつもりがないのか、単に誤魔化すのが下手なのか。どちらなのかはわからないが、どちらにせよ、本当のことをここで話すつもりはない様子だった。それならそれで、こちらもその点については深く突っ込まないようにしよう、と未咲は笑みを作った。
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