第16話 山の導き

16-1 手がかりを求めて

 未咲は村の結界を越えて、大蛇と遭遇した山のふもとまで来ていた。ピリ、と肌を刺す緊張感に胸が締め付けられるようで、大げさな動作で深呼吸を繰り返す。よし、とわざと声を出して自身を奮い立たせ、大きな歩幅でずんずんと山の中へと入った。


 梅雨の季節ではあるが、幸い今日は清々しい青空が広がっていた。山中も薄暗くはあるけれど、木漏れ日がきらきらと照らし、澄んだ空気に包まれている。大蛇に襲われた記憶がなければ、気軽に散策して自然とたわむれたいくらいだ。恐怖の記憶というのは、見える景色や感じる空気、すべてを変貌させてしまう。悪いのは恐怖を与えたものであるというのに、やり切れない。


 それより、未咲がこの山に入ったのにはある目的があった。あの白狼が、夢で見た月夜見の記憶のように、未咲が呼べば駆けつけてくれるのか試すこと。そして、山に入る直前に見た老爺ろうじいを探すことである。

 未咲は立ち止まり、辺りを見回した。誰も居ないことを確認し、石のペンダントを取り出す。月夜見の――と、仮定する――力を使う時は石が光る。白狼を呼ぶ時も光る可能性があるので、様子をうかがえるように手のひらに乗せて視界に入るようにした。

 意味も無く咳払いをしてから、すぅ、と息を吸い込み、


真神まかみ


 と、白狼の名を呼んだ。

 しーん……と静まり返った山に、未咲はぶわわっと顔を真っ赤にした。頭上から聞こえてきた「ちゅんちゅん」という鳥の鳴き声に羞恥心があおられる。何だか笑われた気分だった。


「い、い、今のはなし!」


 誰も居ないというのに、未咲はぶんぶんと首を大きく振って誤魔化した。こほん、と再び咳払いをする。さっきのはきっと、真神に来てほしいという気持ちが足りなかったからだ。うん。来てほしいと思わなければ、真神だって応えようがないもの。うんうん、きっとそう。未咲は大きく息を吸い込む。


「真神ー!」

「ガゥッ」

「ひえ!?」


 どたん! と未咲は尻もちをついた。尻を打ちつけた痛みにもだえる未咲の頬を、いつの間にか傍に来ていた白狼、もとい真神の真っ白な毛がくすぐる。


「ま、真神?」


 戸惑いながら名を呼ぶと、真神は甘えるように顔を未咲の身体に撫でつけた。未咲は真神が応えてくれたことに安堵あんどして頬を緩ませる。

 ところで、二回目に呼んだ瞬間、真神は横から飛びついてきたけれど、もしや最初に呼んだ時にちゃんとこちらへやってきてくれていたのだろうか。だとしたら、さらに恥ずかしい。未咲は真神の柔らかな白毛に顔を埋め、ぷるぷると羞恥に震えた。幼い頃、魔法に憧れて必死に呪文を唱えていたのと同じくらいの恥ずかしさだ。しかもあの頃は外で堂々と呪文を叫んでいた。何それ恥ずかしい。


 未咲は荒ぶる心をしずめた後、真神をぽんぽんと軽く叩いて離れてもらい、立ち上がってもんぺについた土を払った。両手についた土もぱんぱんと手を叩いて払う。

 真神を呼んだ時、石は光らなかった。ということは、真神は月夜見の力でび出されている、というわけではないのかもしれない。未咲は真神が呼び出しに応じるのは召喚術の類いかと思っていたけれど、真神は自力で未咲や月夜見の声を拾って駆けつけてくれるのかもしれない。


 わたしが月夜見の力を使えるようになってきたから、真神は月夜見の気配を感じてわたしの場所がわかるようになった、とか? 未咲は真神をじっと見ながら考えた。

 いずれにせよ、呼べば応じてくれる真神の存在はとても心強い。未咲はもう一度真神を優しく撫でた。気持ち良さそうに目を細める真神が可愛らしい。


「あのね、今日は人を探したいんだけど、手伝ってくれるかな」


 真神が返事をするように吠え、地面に伏せる。背中に乗れ、ということらしい。やはり、真神は未咲の言葉を理解しているようだった。


「ありがとう」


 と、未咲はお礼を言って真神の背中にまたがった。よろしく、という意味を込めて背中をぽん、と叩くと、真神が再び吠えた。真神がゆっくりと立ち上がる。


「正直、何処に居るのか検討もつかないんだけど……この山を歩いて行ったのは確かだから、この辺りに家がないか探してみたいの。出来るかな? ――って、わあっ!?」


 未咲が真神の顔を覗き込もうと身を乗り出した瞬間、真神がぐんっ、と勢いよく走り出し、未咲は慌てて真神の背中にしがみついた。心臓がばくばくとうるさく騒いでいる。風の抵抗に慣れなくて、未咲はしばらく身体を低くしてぎゅっと目をつむっていた。真神の身体の動きが直に伝わってきて、真神が地面を蹴って身体を浮き上がらせる度に振り落とされやしないかと緊張してしまう。


 真神はぐんぐんと結構なスピードで駆けていく。以前に乗せてくれた時は、未咲や雅久に気を遣ってゆっくり歩いてくれたのに、その面影は何処へやら。真神の背中に乗って駆けるイメージはしていたけれど、想像以上に乗りこなすのは大変だ。乗馬の経験でもあれば違ったのだろうか、と、考えたところでどうしようもないことを未咲は思った。


 これも、月夜見の力を自在に使えるようになれば安定するのだろうか。未咲自身の力で乗りこなせるようになれば良いのだが、どちらが早いのだろうか。果たして。

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