15-3 足跡を辿る

「ということで、なんですが……正芳さんに聞きたいことがあるんです」

「うむ。何かね」

「――月夜見つくよみという神様を、ご存知ですね」


 正芳は息を呑んだ。その反応を見て、未咲はやはり正芳は月夜見を知っていたのだと確信した。未咲が初めて迎えた朔の日の夢を正芳に伝えた時、「つくよみ」という言葉を聞いた正芳は未咲に何も言わなかった。「どうにも怖くてな」と詳細は話せないのだと言い含め、鬼と祖母についてのみ、未咲に告げたのだ。月夜見について話せなかったのは、鬼の怨みを恐れたからなのだろうか。


「月夜見様のことを、何処で知ったのだ」

「……夢で」

「夢?」

「最初は、ピンと来なかったんです。聞いたことはある言葉だけど、何のことだったか思い出せなかった。わたしが、“つくよみ”は神様の名前だと確信したのは……」


 未咲はすっと息を吸い込んだ。


「今日見た夢が、月夜見の記憶だったからです」

「なんと」


 正芳が微かに震える声で返した。難しい表情をして、手のひらを顔に当ててうなった。正芳は薄く口を開き、しかし言葉は出ず、ぎゅっと目をつむって沈黙した。やがて重い溜め息を吐き、表情をそのままに顔を上げた。


「月夜見様は、昔この村で信仰していた月神だ」

「あの御神木には、月夜見の加護がかけられたんですね?」

「そう伝え聞いている。もっとも、随分昔の話ということだが。御神木は季節が変わっても花を咲かせ続け、村を見守っていたという」

「その御神木が枯れたのは、おばあちゃんが元の世界に戻ってから、でしたよね」


 未咲は膝の上でぎゅっと拳を握った。月夜見が加護をかけたという御神木。その御神木が枯れたとはつまり、月夜見の加護の消失を意味すると未咲は考えている。


「……そうだ。澄子さんが居なくなり、御神木も枯れたと聞いた」


 正芳は慎重に言葉を紡いだ。未咲は懸命に考えを巡らせる。


「わたしがここに来て、御神木がまた花を咲かせた」


 だとすれば、やはり、そうなのだろうか。未咲は胃の辺りがざわざわするのを感じた。答えが出掛かっているのに、それを口にするのは躊躇ためらわれた。


「儂は、未咲が月夜見様なのではないかと思ったよ」


 一瞬、未咲の息が止まった。


「未咲も、そう思っているのではないのかね」


 正芳は優しい声で尋ねた。未咲は声を出せずに、ただ黙ってこくりと頷いた。

 部屋の中に太陽の光を入れるようにと開けられた障子戸から、そよそよと涼しい風が入り込む。

 未咲はお茶をすすり、喉を潤してから意を決したように口を開いた。


「わたしは、わたし自身が月夜見なのだとは思えません。でも……そう、月夜見の、血筋、なんじゃないかって思うんです」


 正芳は目を見張り、そうか、と吐息で呟いた。


「確かに、それならば納得もいく。澄子さんが狙われていたように思えたのも、“あれ”が月夜見様を怨んでのことであれば……」


 すんなりと受け入れた正芳に、未咲は目を丸くした。神様の血筋などとは、未咲の世界では天皇家以外、到底受け入れられないことだ。正直なところ、馬鹿なことを言うのではないと一蹴されるのではないかと思っていた。

 未咲は戸惑いつつ、


「神様って、人と結婚出来るんでしょうか」


と、正芳に尋ねた。正芳は腕を組んで唸る。


「ううむ、不可能ではないだろうな。人が神にそうと望むのはおそれ多いことではあるが、反対に、神が望んだとすれば、人は応じるしかないだろう」


 未咲は月夜見の記憶の最後に見た美丈夫を思い出した。月夜見があの男性を視界に入れた時の、月夜見の感情の高ぶりが忘れられない。あの男がほしい、と月夜見は激しく胸を焦がしていた。夢から覚めた後も、まるで未咲も彼に恋をしたような――いいや、恋と呼ぶにはあまりにも激しい感情であった――そんな余韻が、未だに残っていた。


「それに、まさかとは思っていたが……儂の祖父から聞いた話では、月夜見様は人間の男を見初め契りを結んだとのことでな」

「えっ」

「半信半疑ではあったが、それが本当であれば、未咲は澄子さんが月夜見様の血筋だとしてもおかしくないだろう。ただ……」

「ただ?」

「澄子さんが未咲と同じくこことは異なる世界から来たのであれば、澄子さんが生まれる前に、澄子さんの母親か、それとももっと前の誰かが、こちらから未咲の世界へ渡ったということになる」


 未咲はあっ、と思わず声を上げた。

 そうだ。未咲がこの世界の月夜見の血筋であるならば、本来未咲はこの世界の生まれなのだ。それは当然、祖母にも同じことが言える。けれど祖母は、二十九の頃にこの世界を訪れ、そして元の世界へ祖父と戻り、未咲の母を産んだ。


「月夜見様が未咲の世界へ渡った可能性もあるだろうが……」

「多分、それはない気がします」


 やけにはっきりと言う未咲に、正芳は首をひねった。


「何故そう言えるのだ?」

「自信はないけど……わたしの世界にも月の神様は居るんです。月夜見が神様だって思ったのも、その神様と同じ名前だったからです。だから」

「月夜見様が二人になる、という状況が考えられない、ということだな」


 正芳が未咲の言葉の続きを引き継いだ。未咲は神妙な面持ちで頷く。それから口元に手を当てて考え込み、ぽつりと呟いた。


「鬼から逃げたのかな」


 それが一番あり得うる話だと思った。未咲と祖母が異世界へ渡っている以上、月夜見の力にはそういった力もあるのだと考えるのが妥当だ。未咲にはまだ、その力の使い方がわからないのだけれど。

 気になるのは、鬼と月夜見の関係である。鬼が月夜見を怨んでいることは確かであろうが、子孫ともども怨み続けるというのは並大抵のことではない。……と、少なくとも未咲は思う。

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