第15話 少女は決意を

15-1 雅久の望み

「雅久には会えたようだな」


 朝食の席で、正芳が気遣うような笑みを浮かべて言った。未咲は曖昧に微笑み、何も語ることはしなかった。

 雅久に告白してフラれてしまったことは、誰にも話すつもりがなかった。そもそも、想いを告げる気だってなかったのだし、あれは、そう、事故であって。

 未咲は泣き出しそうになるのをぐっとこらえた。


 それよりも、雅久が何も教えてくれなかったことの方がショックだ(いや、フラれたことも、同じくらいショックだった)。会って話した時間は短いかもしれないけれど、信頼関係が築けているのではないかと、心を許してもらっているのではないかと思い上がっていた。


 わたしには想像力が足りない。未咲はそう感じた。

 雅久の抱えているものは、きっと想像する以上に重いなまりのようなものなのかもしれない。単純に、蛇の目がどうとか、呪いがどうとか、それだけでも十分だけれど、もっと違う、わたしに見えていない何かがあるのではないか。


 正芳には、それらもすべて、話しているのだろうか。だとしたら、正芳が雅久と築いてきた絆が、とても羨ましい。

 未咲は溜め息を吐いて、脳裏にあの日の光景を思い浮かべた。


◆ ◆ ◆ ◆


 一頻ひとしきり涙を流した未咲は、羞恥心に襲われながら指で涙を拭った。小降りになっていた雨はいつしか止んでいた。


「ご、ごめんね、雅久」

「いや」


 雅久は短く返して黙り込んだ。未咲は居心地が悪く身じろぎする。そわそわとして落ち着かない。ちらりと雅久に目をやると、雅久は瞳に静かな光をたたえて未咲を見ていた。雨に濡れて艶めいた灰色の髪と長い睫毛が影を落とした美しい双眼が、なまめかしく感じる。未咲はどきりとして、さっと視線を落とした。


「未咲」


 雅久に名を呼ばれ、未咲はぎこちなく顔を上げた。何を言われるのだろうとどぎまぎしていると、雅久がふっと自嘲気味に笑って、未咲は目を見開いた。


「俺には、お前の心はもらえないよ」


 未咲の心に白刃が突き刺さったようだった。


「呪われた人間だと、そう言われても良い。事実だから、否定しようがない。甘んじて受けるよ。だが……」


 少しの間を空けて、雅久は続ける。


「そんな人間を好きになるのだけは、やめてくれ」

「なに、それ」


 未咲はほとんど吐息で聞き返した。


「俺と関わり過ぎれば、不幸になるから。これ以上は、もう」


 雅久はぎゅっと固く目をつむった。再びまぶたをあげる様子が、未咲には酷くゆっくりと見えた。無理矢理作った笑顔が、痛々しい。


「俺と関わるな。お前を苦しめたくはない」

「なら、どうして雅久はわたしと会ってくれたの? いつも助けてくれるのはどうして?」

「それは……」


 雅久が悔いるような表情をした。未咲の胸は酷く痛み、同時にどうしようもない怒りも感じた。


「やめてよ」


 止まった筈の涙がじわりとにじみ、またぽろぽろと零れ落ちた。


「わたしと会っていた時間が、間違いだったみたいな顔しないで!」

「未咲……」

「わたしの気持ちに応えなくてもいいよ。でも、これまで雅久と話したことも、会っていた時間も、助けてもらったことも、全部、わたしの宝物なの。この先何があってもそれは変わらない。これからどんなに時間が経ったとしても、色褪いろあせない大切なものなんだよ。だから、だから、他でもないあなたが、それを奪おうとしないでよ」


 嗚咽おえつまじりに、未咲は話した。話しながら、思った。ああ、これでまた、雅久を傷つけたのではないか。独りがりな気持ちを押しつけて、雅久の気持ちを考えもせずに。もうすぐ成人なのに、中身はちっとも大人じゃない。いつまでも子どものままで、年を重ねるにつれて大人になっていくと思ったのに、思い描く大人の姿はどんどん遠ざかってしまう。

 冷静にならないと。未咲は必死にそう言い聞かせた。わたしは雅久が好き。だけど、それ以上に、わたしを助けてくれた雅久を助けたい。自分に出来ることを、何でもしてあげたいと思っている。それは想いが叶わないからって捨ててしまうような気持ちではない筈だ。


「あのね、雅久。わたし、雅久の力になりたいの。わたしに何か、出来ること、ないかな」


 途切れ途切れに、そう尋ねた。この流れでこんなことを言うなんて、ずるいだろうか。すがっているみたいで、格好悪い。だけれど、この機会を逃したら、雅久はもうわたしの前に現われないのではないか。未咲はそんな予感がしていた。

 けれどそんな未咲をたしなめるように、雅久はゆるく首を振った後、苦い笑みを浮かべた。


「すまない、未咲」


 雅久は手を伸ばして未咲の頬に触れようとして、やはり途中で止めてその手を下ろした。


「俺の望みは、未咲が無事に元の世界へ戻って、平和に暮らすことだけだ」


 未咲の胸の奥の、柔らかなところが鋭利な刃物で切り裂かれたような気がした。

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