13-3 どうしようもなく、お慕いしています

 目を閉じると、白い闇がそこにある。

 しとしと。

 背中に当たる御神木と、手にもったすげ笠の冷えた感触。

 濡れて冷え切った両足。

 しとしと。

 すぐ近くで聞こえるような、遠くで聞こえるような、雨の音。


 吹けば消えてしまいそうな、わたしの存在。きっと、ここで消えていなくなったとしても誰も気づかないのだろうな、なんて思ってしまう。やっぱり雨の日は、寂しい。


 ざっ、ざっ。しとしと。


 雨音に、別の音が混ざった。未咲はゆるりと目を開く。顔を上げると、待ち望んでいた人の姿があった。考える前に、駆け出していた。手に持っていたすげ笠はするりと地面に落ちた。

 未咲は雅久の胸に飛び込んだ。雅久は未咲を受け止めて、躊躇ためらいがちに、ゆっくりと抱き締める。雨が止めどなく二人を濡らしても、そのままぬくもりを分け合うように抱き締め合っていた。


「……お前は、馬鹿だ」


 未咲の耳元で、雅久は呟いた。馬鹿でも良いよ、と未咲は心の中で告げた。今声を出したら、悲しくないのに泣いてしまいそうだったから。

 ぽつ、ぽつ。雨は段々弱まってきた。

 雅久が未咲の両肩を掴んで、そっと離した。雅久は狐面をつけておらず、素顔をさらしていた。紫水晶と、金色の蛇のような目。未咲にはその双眼が宝石のように見える。


「雅久」


 未咲はぐっと涙をこらえて、それから微笑んで、その名をいつくしむように呼んだ。雅久は苦しげな表情をして、けれど顔を隠す素振りは見せず、未咲の目を見つめた。


「何故俺なんかを、ずっと、待っているんだ……馬鹿」


 雅久は痛みに耐えているかのような声で、絞り出すように言った。雅久の胸の内に秘めたままの痛みや悲しみ、すべての感情が未咲にも伝わってくるみたいで、胸が張り裂けそうだった。雅久がこれまで、どんな人生を送ってきたのかはわからない。何故「呪い」を受けているのか、それが本当に「呪い」なのかすらもわからないというのに。


「好きだよ」


 それは言うつもりのない言葉だった。雅久があまりにも苦しそうで、痛そうで、寂しそうで。そんな彼を見ていたら、無意識のうちに未咲の唇から想いが零れ落ちた。

 元の世界に帰ることが出来る保証もないけれど、帰らないという保証もないのに。酷く無責任な想いだ。なのに、止められなかった。


「好きなの」


 堪えていた涙が溢れた。まるで駄々をこねる子どもみたいだと、未咲は思った。視界がぼやけて、海の底に一人沈んでいくようだった。ああ、きっと雅久を困らせている。傷ついた雅久を守りたいと、支えたいと思って此処に来た筈なのに、なぐさめてほしいって、想いに応えてほしいんだって、わたしはわめいているんだ。

 雅久が未咲の頬に手を伸ばした。しかし、未咲に触れる前にその手をぎゅっと握り、何かを耐えるように腕を下ろした。


「ありがとう」


 泣きたいような、嬉しいような、色んな感情が入り交じって、見ている方も切なくて苦しくなるような笑みだった。それ以上、雅久は何も話さず、ただ黙って、泣いている未咲の傍に居続けた。

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