12-3 呪いと拒絶

 酷く慌てた様子の正芳が駆けてくる。その後ろには文子も居た。文子もまた、未咲と雅久を見つけてくしゃりと顔を歪め、こちらへ向かってくる。


「正芳さん、文子さん」


 未咲のピンと張っていた緊張の糸が切れたようだった。もう大丈夫だという安心感が胸に溢れて、ぽろぽろと涙が流れる。

 正芳と文子の目元にはくまが出来ている。基本早寝早起きが習慣づいているこの村では久しく見たことがなかったけれど、きっと夜になっても帰ってこない未咲を心配してのことなのだろうと、未咲は思った。申し訳ない気持ちと、心配してくれたことが嬉しいという気持ちが入り混じり、泣き笑いを浮かべた。


「探しに行けず、すまなかった」


 悔いるように言う正芳に、未咲は首を振った。


「外に出たら、正芳さんが危なかったかもしれない。正芳さんたちが無事で、よかったです」

「未咲……」

「村は、大丈夫だったんですよね」


 未咲が訊くと、正芳は神妙な表情で頷いた。


「今のところは何の報告も受けていないし、騒ぎも起きていない」

「良かった」


 未咲は安堵の息を吐いた。あの大蛇のような怪異が村を襲っていたらと思うと、ぞっとする。何事もなかったのなら、本当に良かったと思う。


「ああ、こんなにボロボロになって……」


 文子は痛ましそうに未咲や雅久を見た。怪我は治っているものの、未咲の髪はぼさぼさで、着物は乱れ土で汚れているし、所々破けている箇所もある。雅久に至っては血がこびりついたままだ。


「早く手当を」

「あ、あの……えっと、信じられないかもしれないんですが、怪我は治ってて」


 未咲は涙を拭いながら遠慮がちに申し出ると、正芳と文子は顔を見合せた後、悲痛な表情で未咲を見た。


「そんな筈ないわ。隠さなくていいの」

「いえ、本当に治ったんです! あ、ほら!」


 ぺちんっ、と小気味好い音がした。未咲が雅久の額を叩いた音である。雅久の顔が不快そうに歪む。未咲は叩いた手についた雅久の血を見てぎょっとした。


「うわっ、血!」


 馬鹿である。


「……未咲、本当に大丈夫なのだな?」


 一人てんやわんやしている未咲に、正芳は依然いぜん心配そうに尋ねた。未咲は大きく頷く。


「怖かったし、危なかったけど、雅久が助けてくれたんです。あ、の、本当にごめんなさい。わたし、朔の日なのに、外に出て。でも、その、本当にいつの間にか夜で、えっと」


 未咲はしどろもどろに説明した。大蛇に襲われ、白狼に助けられたことや、その後雅久も駆けつけてくれて、白狼と雅久で大蛇を殺したこと。正芳と文子は顔面を蒼白にさせた。


「その後は、えっと」


 傷を癒した力についてどう説明すべきか未咲がまごついていると、雅久が「う……」と唸るように小さく声を上げた。雅久の目が静かに開かれると、誰かの息を呑む音がした。


「雅久、気がついた? 具合はどう……?」

「……未咲……」


 ぼんやりとした様子で雅久が未咲の名を呼んだ。未咲が雅久の顔を覗き込むと、雅久と視線がかち合う。


「無事か」


 ささやくように、雅久が訊いた。引っ込んだ筈の涙がまたにじんできて、未咲はぎゅっと唇を引き結んだ。


「うん、雅久が助けてくれたから。ありがとう」


 未咲が笑うと、雅久が目を細めた。


「怪我は、大丈夫かな。目に見えるところは治ってるみたいなんだけど……」


 雅久はハッとしたように目を見張り、身体を起こした。自身の身体を見回したり、大蛇に傷をつけられた額に手を当てて確かめる。


「傷がない」


 そうか、と雅久が何処か暗い面持ちで呟いた。未咲は胸がざわりとして、雅久に手を伸ばしかけた。その時、


「呪い……」


 震える声で、落とされた波紋。

 それはおそらく、無意識だったのだろう。未咲がバッと振り返った時、文子はやってしまったと言わんばかりの表情で口元を押さえていた。


「文子!」


 正芳がいさめるように妻の名を強く呼んだ。

「何てことを言うんだ。雅久はこの村のためにずっと――」

「正芳」


 正芳を呼んだのは雅久だった。未咲は何処か違和感を覚えながら、雅久を見遣る。雅久は傍にあった刀を持ってその場に立ち上がり、表情に感情を乗せず、ただ真っ直ぐに正芳を見ていた。


「よせ。呪われているのは事実だから」


 未咲はその衝撃に目を見開いた。呪われているって、雅久が? その蛇のような目は、呪いの証とでもいうの?


「……気味の悪いものを見せて、悪かった」

「雅久」


 ぱしっ。未咲が伸ばした手は、またも雅久によって払われた。


「構うな」


 未咲の顔も見ないまま、雅久は冷たい声で言った。未咲はびくりと肩を震わせる。ずきずきと、払われた手よりも胸が痛んだ。

 雅久が村から離れ、山の方へと歩いて行く。未咲は慌てて雅久の背中に声をかけた。


「雅久、待って! 治ったとはいえ、酷い怪我してたんだよ? だから、もう少し休んで――」

「俺に構うなと言っただろう」


 雅久は振り向くことも足を止めることもせずに答えた。その背中がすべてを拒絶しているようで、未咲はまぶたが熱くなった。涙をこらえるためにぐっと奥歯を噛んで、


「わたし、待ってるね。御神木の下で。雅久のこと、待ってるから」


 精一杯の笑顔を作って、そう言った。雅久が答えることは、なかったけれど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る