12-2 帰還

「あのね、わたしじゃ雅久を村まで運べないから、正芳さんを呼んできたいんだけど……それまで雅久を守っててくれないかな」


 未咲がそう言うと、白狼はすっと身体を伏せて、何かをうながすような目で未咲を見た。未咲は目を丸くさせる。


「もしかして、乗れってこと?」


 返事をするように白狼が吠えた。未咲は眉尻を下げる。


「でも、雅久を抱えながらは……雅久を落としてしまうかもしれないし。やっぱりわたしが……って、え!?」


 ひょい、と白狼が雅久をくわえて未咲から取り上げた。未咲はぎょっとしている内に、白狼は自身の背中に雅久をぽいと投げて乗せた。どさっと雅久が白狼の背中の上に投げ出される。「ひええ……!」と未咲があわあわとしていると、白狼が早く乗れとばかりに未咲の着物の袖を咥えて引っ張った。


「いや、え、嘘お……」


 最早もはや何を言いたいのかもわからないまま、未咲はおそるおそる白狼に乗ろうとして、ふと地面に転がったままの刀に気づいた。刀身に、おそらく大蛇のものであろう血がついていて、未咲はごくりと唾を飲み込んだ。

 刀が独りでに動くことなんてない筈なのに――いや、この世界なら「ない」とは言い切れないが――未咲は抜き足差し足でそろりそろりと刀に近づく。微かに震える手で柄を握ると、心臓がどくりと大きく動いた。質量とは違う、また違った重みが未咲の肩にのしかかったような気がする。軽く持ち上げて、両手で持ち直す。想像以上に刀は重く、未咲は顔をしかめた。


 白狼が未咲に近寄った。未咲は雅久の腰から鞘を抜き取り、慎重に刀を鞘に納めた。ふう、と長めの息を吐く。酷く緊張した。

 さてどうやって運べば良いかと頭を悩ませていると、白狼がぱくりと鞘を咥えて未咲から奪い取った。どうやら運んでくれるらしく、未咲は微笑を浮かべて白狼の頭を撫でてやった。


 再び地面に伏せた白狼の背中に乗る。跨がることは出来ず、椅子に座るように、身体を横向きにして両足は白狼の脇腹につけた。乗り上がるために掴んだ毛は痛まなかっただろうかと心配しつつ、雅久が背中から落ちないようにと雅久の身体を自分の方へ引き寄せた。

 雅久が落ちるより先にわたしが落ちそう。未咲は怖々とした。

 白狼がゆっくりと立ち上がる。ぐらりと視界が揺れて、未咲の心臓が飛び上がった。しかし、思っていたよりも安定している。というより何か、不思議な力に守られているような感じがして、先ほど雅久と白狼を癒やしたような力が作用しているのかもしれない、と未咲は思った。この安定感であれば、白狼が走り出したとしても問題ないように思えた。怖いけども。


 白狼はのしのしと歩き出した。未咲と雅久に気を遣っているのか、のんびりとした様子だ。走り出す気配はない。不思議な力で守られている感じがすると言っても、突然走られたら冷静では居られなかっただろうと容易に想像出来るため、未咲は白狼の心に感謝した。何故わたしに力を貸してくれるのかはわからないけれど、よく出来た子だなあと思う。


 白狼の歩みに迷いはなかった。人間の未咲より何倍も白狼の歩幅が大きいこともあって、あっという間に村の入り口が見えてきた。未咲がこの山に入った時は、もっとずっと、長い間走り続けた気がしたけれど、白狼との出会いの場所まで導いてくれた白い道のように、未咲を大蛇の元まで誘導するための幻術でもかけてあったのだろうか。未咲はぐぐっと眉間に皺を寄せて考える。

 時折横から差し掛かる枝葉をかき分けながら進み、ふもとに辿り着いた。村の入り口前まで来て、未咲はほっと息を吐く。


「ごめんね。あなたが居ると、村の人たちが驚いちゃうだろうから……ここまで良いよ。ありがとう」


 未咲が白狼の背中をぽんぽんと叩くと、白狼は地面に伏せて、未咲と雅久が降りられるようにした。この子は本当にわたしの言葉を理解しているのだな、と未咲はしみじみと思う。

 未咲が先に降りて、さあ雅久を下ろそうと気合いを入れて振り返ると、白狼が身体を大きく揺らして雅久を振り落とした。


「え……ええ!?」


 先ほどまでの気遣いは一体何処へ! 未咲は内心叫んだ。

 白狼は咥えていた刀を雅久の隣に置く。すり、と未咲に身体を寄せてから、白狼は今し方歩いてきた山道を颯爽さっそうと駆けて行った。未咲は唖然とその様子を見送り、ハッと我に返ると放り出されたままの雅久の傍にしゃがみ込んだ。


「雅久……?」


 そっと雅久の肩に触れても、雅久は微かに眉を寄せているだけで、目覚める様子は見せない。傷は治ったはずなのに、と未咲の心臓は嫌な音を立てる。もしかして、大蛇に毒があって、毒を受けてしまったとか? いや、そうだとしても、おそらく傷を治した時に毒も消えている筈だ。顔色は良いし、呼吸も整っている。


「未咲! 雅久!」


 ばたばたとした足音と未咲たちを呼ぶ声に、未咲は顔を上げて村の入口へと目を向けた。

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