第12話 覚醒の朝

12-1 蛇の目

 未咲が意識を取り戻した時、山は薄明かりで照らされていた。朝の涼しい空気がすっと未咲の身体に染み込んでいき、頭が冴えていく。

 根元から折れた木や踏み潰されてぐしゃぐしゃになった草叢くさむら、血を流して倒れている大蛇、真っ白な毛が土で汚れ、所々血で赤く染っている白狼、そして、


「雅久!」


 仰向けに倒れている雅久の姿を認め、未咲は瞬時に立ち上がり駆け寄った。雅久から数メートル離れたところに割れた狐面が転がっている。

 未咲は雅久の傍に膝をついた。雅久の素顔がさらされたのは初めてだ。こんな形で狐面に隠れた顔を見ることになるなんて、想像もしていなかった。嬉しくない。嬉しいなんて気持ちは、微塵みじんもない。

 目を閉じていても美麗であることがわかるその顔は、苦痛に歪められていた。大粒の汗が滲み、額は血で濡れている。大蛇や白狼の血の匂いもむわりと鼻腔を刺激し、未咲はうっと顔をしかめた。それからすぐ泣きそうな表情に変わる。


「どうしよう……」


 何をどうすれば良いのかわからない。未咲頭の中は真っ白だった。ただ狼狽うろたえ両手をさ迷わせていると、


「ガウッ」


 未咲を叱咤しったするように白狼が吠えた。未咲はハッとし、情けない顔で白狼を見る。すると、「う……」と微かに雅久の唸り声が聞こえた。


「雅久!」


 雅久が顔を歪めたままゆっくりと目を開いた。その双眼を見た未咲は、息を呑んだ。

 紫水晶がきらめく左目と、金色の、あの、大蛇のような右目。瞳孔が縦長で、白目はなく瞳孔以外が金色に染まっている。

 未咲が茫然ぼうぜんとしていると、苦しそうに荒く呼吸を繰り返していた雅久は突如とつじょガッと目を見開き、勢い良く身体を起こした。目眩を起こしたのか、うつむいて左手で顔を覆う。その時、未咲は雅久の左腕を覆う灰色の着物が赤黒く染まっていることに気づいた。


「が、雅久、怪我が」

「見るなッ!」


 バシッ。

 未咲が伸ばした手は、雅久の手によって打ち払われた。未咲が小さく悲鳴を上げると、雅久は目を見開いて未咲を見た。未咲を拒絶したのは雅久なのに、酷く傷付いた表情だった。まるで、捨てられた子どもみたいだ。未咲はじんじんと痛む手に触れながら思った。


「見るな……」


 雅久は弱々しい声で言って、俯いた。直後、ふらりと力が抜けて再び地面に倒れそうになり、未咲は咄嗟とっさに雅久の身体を受け止めた。雅久の血が未咲の着物に付着したが、どうでも良かった。


「雅久……」


 未咲の頬を、涙が滑り落ちていく。雅久が隠したかったのはこの右目のことだったのか、と未咲は理解した。かたくなに狐面を取らない理由は、これなのだろうか。村の外れに一人で居る理由も。馬鹿。馬鹿な雅久。その目を見て、わたしが雅久を拒絶すると思ったのかな。そんなこと、絶対ないのに。きっと、馬鹿なわたしは、あなたの人と違うところを知ったって、驚くだろうけれど、大好きな人の秘密を知ることが出来ただなんて、喜んじゃうんだよ。


「大丈夫だよ」


 拒絶なんてしなくて良い。自ら孤独を選ぼうなんてしなくて良い。本当は寂しい癖に、一人になろうとしないで。


 ――未咲はね、とっても素敵な力を持っているのよ。


 祖母の声が響く。


 ――未咲、信じる道を生きなさい。


 ねえ、おばあちゃん。本当に、わたしに力があるのなら、この人を癒やすことが出来る力が良いな。身体も、心も、守ってあげられるような、そんな素敵な力が良いよ。この人を傷つけるものから、すべて。幸せな未来を、歩めるように。


 未咲の胸元でペンダントの石が青白い光を帯びたと思うと、雅久や、傍で二人の様子をうかがっていた白狼、そして未咲も、青白い光に包まれていく。未咲は驚いて目を丸くした。雅久の傷が癒えていき、蒼白だった顔に赤みがさす。苦しそうだった呼吸も、規則正しい穏やかなものに戻った。

 白狼が未咲に寄り添い、未咲の頬をぺろりと舐めた。白狼の傷も治っているようだった。未咲は頬を緩ませ、ほっと胸を撫で下ろす。その拍子に、一粒の涙が零れ落ちた。


 やがて光が収まり、冷静さを取り戻しつつある未咲は、息絶えた大蛇に視線をやった。全身は黒く、無数の鱗は太陽の光を反射してギラリと輝いている。白狼に噛まれた跡や雅久の刀が切り裂いたのであろう傷跡と未だ流れ出る赤黒い血が生々しい。既に死んでいるというのに、その巨大な体躯を見ると今にも襲いかかってくるのではないかと疑ってしまう。あの大蛇と、雅久と白狼は戦ったのだ。ごくり、と唾を飲み込み、未咲は白狼を見遣る。


「助けてくれて、ありがとう。ごめんね、お礼を言うのが遅くなっちゃって。怪我、治ってよかった」


 白狼は目を細めてじゃれるように鼻先を未咲の頬に擦り寄せた。

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