11-4 あな悲し、人の愛よ

「……嫌」


 未咲の心に、怒りにも似た熱い想いが沸き立った。それは激流のように身体中を駆け巡り、未咲の瞳に炎を宿す。ぐっと歯を食いしばり、目の前のドス黒い闇を睨み付ける。

 大体、どうしてわたしがこんな理不尽な目に遭うの? おかしいじゃない。訳も分からないまま異世界に連れてこられて、怪異に襲われて、鬼の狙いはわたしかもって? 雅久のことだって何一つわかってない。まだ知りたいことも話したいことも、一緒に見たい景色だって沢山あるんだから。


「ふざけ、ないでよ」


 負けてやるものか。まだ何も終わってない。何もかも諦めたような顔して、格好つけるな。――わたしはまだ、生きてるんだ。


「マカミ――!」


 何故その言葉を叫んだのか、未咲にはわからなかった。否、自身が叫んだと意識さえしていない。たける心が、魂が呼び起こした言葉だった。

 呼応するように、胸元の石が冷気を帯びた青白い光を放った。辺りを覆っていた闇が払われ、「ギャアッ」と目をくらませた大蛇がその身をくねらせる。刹那、一陣の白い風が大蛇の首に喰らいついた。大蛇の咆哮ほうこうがビリビリと響き山を震わせる。


「あ!」


 猛然もうぜんとした唸り声を上げて大蛇に喰らいつくのは、あの白い狼であった。大蛇は身体をひねり、長い尻尾で白狼を振り払おうとビタンッビタンッと地面に叩きつける。

 未咲は大蛇と白狼はくろうの激しい攻防戦にその場を動けずにいた。巻き起こる砂塵さじんから腕で目を守り、隙を見て薄目で様子をうかがうことしか出来ない。どうにかこの場を離れられないか考えていたその時、


「きゃあ!」


 暴れ馬のごとく荒れ狂う大蛇が振るう尾が未咲の数十センチ離れた場所に叩き落とされた。その風圧に飛ばされ、未咲の身体は木の幹に叩きつけられた。衝撃が未咲の呼吸を奪う。

 未咲の悲鳴に瞬時に反応した白狼が大蛇の首から口を離し、その隙を突いて大蛇が白狼を振り払った。体勢を崩した白狼の身体に大蛇が鋭い牙を突き立てる。白狼の苦しげな声が響いた。

 大蛇が倒れた未咲を振り向く。金色の双眼はギラリと獰猛どうもうな光を宿し、弱った獲物を狙っていた。未咲はぎゅっと拳を握った。打ち付けた背中がズキズキと痛む。ぼやけた視界で、地面に転がったペンダントの石が淡い光を帯びている。


「雅久……」


 祈るように、未咲の唇から少年の名が零れた。次の瞬間、


「――未咲ッ!」


 突如聞こえた声に、未咲は目を見開いた。次の瞬間、大蛇の悲鳴が夜を切り裂いた。

 いつも腰に提げていた刀を抜いた雅久が、痛みにもだえる大蛇から距離を取り素早く未咲に駆け寄る。未咲を守るように、未咲を背に刀を構えた。


「大丈夫か!」

「う、うん……雅久」

「俺が“あれ”を引きつけるから、未咲はその間に逃げろ」


 未咲が痛みに耐えながら身体を起こすと、雅久は大蛇から目を逸らさぬまま告げた。


「ま、待って。あんなの、雅久が、そんな」


 狼狽うろたえて、明確な言葉が出てこなかった。雅久があの大蛇と戦うなんて。一緒に逃げようと、そう言いたかったのに。


「行け!」


 雅久はそう言うが早いか、大蛇へと駆け出した。「雅久ッ!」と未咲が叫んでも、雅久は振り返らない。

 未咲は嫌な予感がした。心臓がざわつき、緊張と焦燥、そして恐怖が胸の内に渦巻いて全身が震える。これは大蛇に襲われたことによるものではない。これは、失うことへの恐怖だ。

 ぞっとした瞬間、白狼が草藪くさやぶから飛び出し再び大蛇の尾に噛み付く姿が見えた。そうだ、あの狼も戦ってくれている。だから、だからきっと、大丈夫。未咲は必死にそう自分に言い聞かせた。

 それより、わたしが此処に居ることの方が、彼らの邪魔になってしまう。早く逃げないと。

 未咲は小刻みに震えている両足にぐっと力を込め、何とか立ち上がった。その時、


 パキンッ


 何かが折れたような乾いた音が、やけに鮮明に聞こえた。

 暗闇に慣れた未咲の目が、地面に伏した雅久の影を映す。未咲はひゅっ、と息を呑んだ。全身から血の気が引いていく。


 そこから先のことは、のちの未咲の記憶には残っていない。


「――真神マカミ


 静かに、未咲の唇は言葉をつむいだ。


「喰らってしまえ」


 未咲の首に掛かった石が一際ひときわ眩しい光を放ったと思うと、大蛇の頭を水が包み込んでいた。ごぽり。呼吸を奪われた大蛇の口から気泡が吐かれる。苦しみにあえぐ大蛇の首に白狼が牙を突き立てた。流れ出た鮮血が大蛇の身体を伝っていく。

 ビクンッと痙攣けいれんした後、大蛇の身体が脱力した。未咲はすっと目を細める。大蛇の頭を沈めた小さな海が弾かれ雲散うんさんした。白狼が大蛇の首の肉を喰いちぎると、大蛇は呆気なく地面に落ちた。

 未咲の周囲にはビー玉ほどの水滴が浮かんでいた。ペンダントの石は水をまとい、煌々こうこうと輝いている。


「――……呪とは、恐ろしいものだな」


 東の空が白む。闇が巣食っていた山内も、山々の間から生まれた太陽の光で薄く照らされ始めた。


「あな悲しや」


 唇が弧を描く。心の底から愛を憎み、愛のためにその身を燃やすとは、人とはやはり可愛いものだ。故に我が身に危険が及ぶとなれば、当然排除する必要があるのだが。今は未だ、その時ではない。力はまだ、戻っていないのだ。


足掻あがけよ、未咲」


 ぱちん、と宙に漂う水玉が弾けた。

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