第10話 花は綻ぶ

10-1 うつくしさ

 未咲は一人で御神木への坂道を登っていた。宗一郎には「山に一人で入るな」「山へ行く時は俺に声を掛けろ」と言われたものの、そうは出来なかった。

 一応、宗一郎の居宅を覗いてはみた。けれど、前庭には熊五郎が居るばかりで、人の気配はなかった。なので、致し方なく一人なのだ。未咲は自身の正当性を主張する。


 あれはかしの木。あれはかえで。あっちは……何だろう。

 未咲は山を青々と彩る木々を眺めながらゆったりと歩く。何となく木の種類もいくつかは見分けられるようになってきた。この村に来た当初と比べれば少し成長した気になって、ほんのちょっとだけ誇らしい。


 今日、雅久に会えるだろうか。

 雅久の居る場所がわからない未咲は、偶然に頼るしかない。雅久が何度も足を運んでいると言ったって、結局のところ、実際に何度も会っている御神木の場所へ行って待つことしか出来ない。そんな状況にやきもきしてしまうけれど、雅久が何も話さないからどうしようもないし、話したくないと思っているのなら無理矢理訊くこともしたくはない。


 ちらり。途中、以前白い道を見つけた辺りを一瞥いちべつした。やぶがあるだけで、道らしきものは何も無い。あの白い狼はわたしのことを知っていた風だったけれど、どうすればもう一度会えるのだろうか。


 一度目は白い道を進んだ先で、二度目は夢の中だった。その二回に共通点でもあれば、狼に会える条件がひらめきそうなものだけれども、見つけられそうにない。現実と夢の時点で、条件なんてあってないようなものだ。


 未咲はその地点を通り過ぎて、すっかり歩き慣れた道を行く。そういえば、何度もこの傾斜を往復しているから、体力もついた気がする。

 そうこう考えをあちらこちらに飛ばしながら歩き、やがて御神木の元へ辿り着いた。御神木の枝先に咲く淡い桃色の花々が真っ先に目に入って、未咲はあっと声出した。わたし、どうして今まで不思議に思わなかったのだろう。桜の花びらは雪のように舞い散るのに、青葉が芽を出すことも、花が減って枝木の茶色が目立ってくることもない。五月末だというのに、未だ満開の姿のままだ。

 御神木が御神木たる所以ゆえん、なのだろうか。未咲はその美しい光景にしばし見入る。


 と、御神木の根元に座る雅久の姿を視界の端に見つけて、未咲は目を見張った。どきりと胸が高鳴って、緊張からその場で動けなくなる。

 狐面に隠されてわかるわけもないのに、未咲は雅久と見つめ合っている気になった。さあ……と透明な風が吹いて、桜が舞う。桃色の雪と、恋しい人。草木の緑に、茶色と、ちらちらと木々の間から覗く空の澄んだ青色。それと、きらめく木漏れ日。それがとても、とても大切で愛おしい光景に思えて、未咲は泣きそうになった。

 大切な人が居るだけで、こんなにも美しいものが見えるだなんて、今までの未咲は気づけなかった。祖父母や友人たちと過ごしてきた時間の中にも、きっとあったに違いないのに、いつだって素通りしていたことを初めて後悔した。


「雅久」


 絞り出すように、噛み締めるように、未咲は少年の名前を呼んだ。自然と足が動いて、雅久の元へと駆け出す。

 自分でも呆れるくらい、人を好きになるのが早いと思った。出会ってからもう少しで二ヶ月経つくらいか。でも、仕方ないのだ。人を想う心は理屈ではないことを知ってしまったから。


「未咲」


 花がほころぶようだと思った。「未だ咲かず」という名前が、未咲は嫌いだけれど、雅久にその名を呼ばれると、蕾がゆっくりと柔らかに開いていくようで。

 それが恋であると、未咲は初めて知った。

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