9-3 それは初めての恋だから

「……なあ、いつも何しに行ってるのか、訊いて良い?」

「え?」

「ほら、未咲が行ってる山って、俺たちも入らない場所だし、何してるのか不思議で」


 宗一郎は取り繕うように付け足した。焦ったような表情をして、頬を赤く染めている。顔色はすっかり良くなっていた。

 未咲は視線を落とし、腕の中で眠る熊五郎の頭を撫でた。熊五郎は遊び疲れたのか、話の途中から寝息を立てていた。


「言いたくないなら、別に良いよ」


 心しか拗ねたような声だ。未咲はくすりと笑う。


「ううん。前に寧々さんに話した時、村の人たちは彼処あそこに行かないって聞いたから。それと、そこで会ってる人も居るんだけど、その人のことも知らなくて。だから、何から話そうかなって」

「……会ってる人?」


 これまた拗ねたような、膨れっ面をしている。仲良くなった友人が自分の知らないところで誰かと会っていることが不服なのだろうか。そう考えると、年上の宗一郎が酷く可愛い人に思えて頬が緩んでしまう。

 なんて、未咲の妄想でしかないのだが。


「わたしがいつも行っている場所には、御神木って呼ばれてる大きな桜の木があるの」

「御神木? 聞いたことないな」

「うん。寧々さんもそう言ってた」

「誰が御神木って呼んでるんだ?」

「うーん……わたしと、正芳さんと……文子さん、もかな? あと、わたしが会ってるって言った男の子も」


 そう言うと、宗一郎が眉間に皺を作った。


「ふーん」


 何だか面白くなさそうだ。何となく気まずくて、未咲はすやすやと眠る熊五郎を撫でる。


「そいつ、村の奴じゃないの」

「違うみたい。村の外れに住んでるみたいなんだけど、わたしはその御神木のところか、向かう途中でしか会ったことがないから」

「危ない奴じゃないよな」

「へ?」


 未咲は素っ頓狂な声を上げた。頭の中で雅久の姿を思い描く。風貌ふうぼうは、まあ、怪しいかもしれないが――未咲はすっかり狐面に慣れてしまって、「個性的だよね」程度の認識になっている――危ない奴どころか、未咲はいつも頼りにしている。


「全然。凄く頼りになる人だよ」


 ふにゃりと笑って言った。雅久のことを考えると、どうにもふやけてしまっていけない。

 一方の宗一郎は、形容しがたい妙な表情をした。会ったことも話したこともないものだから、宗一郎は雅久のことを信用出来ないのかもしれない、と未咲は思った。確かに、話に聞いただけでは信用も何もないだろう。


 雅久に、村の人たちと交流するよう提案してはどうだろう。未咲はふむ、と考えた。事情はわからないけれど、もっと村の人たちと関わって、仲良くなって、そうしたらこの村の一員として過ごしていけるのではないだろうか。いつか「俺はこの村の人間ではないから」と話した時の、微かなうれいを含んだ雅久の表情が脳裏に焼き付いて離れない。


「会ってみたいな。そいつと」

「え、ほんとっ?」


 未咲は思わず弾んだ声で返してしまい、ハッとなってうつむいた。頬が熱い。一人で盛り上がっちゃって、恥ずかしい。


「嬉しそうだなあ」

「ご、ごめん。何か、自分でもよく」


 誤魔化すように笑って、未咲は人差し指でぽりぽりと頬をいた。

 宗一郎は躊躇ためらう様子を見せた後、開きかけた口を閉ざして立ち上がった。それに気づいたのか、未咲の腕の中で気持ち良さそうに眠っていた熊五郎が目を覚まし、腕から抜け出した。未咲は宗一郎にならって立ち上がる。


「とにかく、今日は……というか、しばらくはその御神木のところには行かない方が良いんじゃないか」

「うん……」


 未咲は曖昧に笑って答えた。


「もうすぐ朔の日だろ」


 そう、もう少しで、未咲にとっては二回目となる朔の日を迎える。未咲はぐぐっと眉間に皺を寄せた。鬼について聞いたは良いけれど、対応策は何も見つかっていないし、自分の力についてもよくわかっていない。夢で見たこととか、白い狼に石のペンダント、それと、正芳と二人で居た時に起こったこと……色んなことがあったから、少しは前に進んだ気になっていたけれど、実際は一歩も前に進めていないように思える。


 朔の日までに、何か、何かをしなければいけないのではないか。未咲は急に、真っ暗闇の中一人取り残されたように心細くなった。焦燥感が胸の辺りからせり上がってきて喉を締めるみたいだ。口の中が渇く。

 人から言われないと焦りもしないなんて、馬鹿だな。本当は、こんなにも追い詰められている癖に。

 今凄く、雅久に会いたい。


「未咲、大丈夫か?」

「あ……うん」

「ごめん。怖がらせちゃったな」

「ううん、大丈夫。ありがとう」


 宗一郎は心配そうに未咲を見つめる。未咲は鳩尾みぞおちの辺りで渦巻いているものを押し込めて笑った。


「あのさ、今度山に入る時があったら、俺を呼んでくれよ。心配だから」

「えっ」

「こんなことがあった後だし、山に一人で入るなんて危ないよ」

「う、うん」


 宗一郎の言葉に、未咲は妙に居心地の悪さというか、後ろめたさを感じた。先程は雅久に会いたいと言われて嬉しかったけれど、一緒に行くと言われた途端、御神木の元で雅久と会うのは自分だけが良いと思ってしまった。わたしって我儘わがままなのかな、と落胆してしまう。


 恋をするって、忙しい。

 恋愛経験に乏しい未咲にとって、雅久とのあれやこれは初めての経験ばかりだ。


 会えて嬉しいとか。

 話すことが出来て楽しいとか。

 些細ささいな仕草にきゅんとするとか。

 ぬくもりに安心するとか。


 家族や友人からもらうものとはまた違う幸せな気持ちだ。けれど、それだけではなくて、

 好きな人を独り占めしたい、とか。

 そんなことも思ってしまう。大切に大切に、厳重な宝箱にそっとしまって、鍵をかけてしまいたい、なんて。

 幸せな気持ちも、今まで触れたことのなかった後暗い気持ちも溢れて、心が右往左往する。


「えっと、宗一郎さんの時間が空いてそうな時はお願いするね」

「……とりあえずは声掛けてよ」


 宗一郎は唇を尖らせて言った。仕草がいちいち可愛い青年だ。悪いと思っていても、未咲はくすくすと笑ってしまう。

 未咲は大きく伸びをした。その辺を駆け回っていた熊五郎が未咲の足元に座って未咲を見上げた。ハッハッと舌を出して息をする様は愛らしい。未咲はにこりと笑った。


「宗一郎さんも戻ってきたし、帰ろうかな」

「じゃあ、熊五郎と一緒に送るよ。親父も居るだろうし」

「ありがとう」


 宗一郎と並んで歩き出す。リードを繋いでいるわけでもないのに、お利口な熊五郎は宗一郎と未咲を先導するように二人の前方を、一定の距離を保って駆ける。

 いつの間にか日も傾いてきた。あと数刻もすれば、空は茜色に染まるだろう。

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