第9話 怪異の兆候と恋心

9-1 迫る影

 祖母の夢を見て以来、未咲は祖母の足跡を辿るように村人たちに祖母、そして祖父のことを尋ね歩いた。

 と言っても、主に正芳や正芳と同年代か年上の爺婆じじばばに話を聴く程度で、人数としてはさほど多くはない。それに、正芳が祖母と会った時は五歳であったから、当然、他の爺婆だって当時はその年頃だ。祖父母のことを覚えているか定かではなかった。


 未咲の予想通り、なかなか二人を知っている村人には出会えなかった。何となく覚えている人は居たけれど、詳しい話を聴くまでには至らず、結局のところ、正芳が一番詳しい人間であった。

 とは言え、正芳もあまり詳しい話は出来ないだろうと言っていた。未咲だって自分が五歳であった時の記憶は朧気おぼろげなのだから、仕方のないように思う。それに、鬼や異世界に関わる重要なことを当時五歳児の正芳に大人たちが教えるかというと、それも考えづらい。


 つまるところ、八方塞がりだった。

 せめてあの白い狼にまた会えないものかと、御神木の場所に行く途中で白い道を探したが、それも見つからない。散々である。

 未咲がそうこうしている間に、世界はまた朔の日を迎えようとしていた。


「何かもう、どうして良いかわからないよ。困ったなあ。ね? 熊五郎」


 未咲はボヤきながら赤毛の柴犬――熊五郎を撫でる。今日の未咲の仕事は熊五郎くまごろうと遊んでやることであった。

 熊五郎は村の飼い犬で、主に宗一郎そういちろうが面倒を見ている犬である。名付け親も宗一郎だ。

 宗一郎とは、未咲と歳の近い青年で、以前寧々ねねに未咲との仲をからかわれたことがある。当然だが、宗一郎と未咲の間には何もない、と、少なくとも未咲は思っている。


 宗一郎は未咲に親切であった。寧々と同じく余所者よそものである未咲にも親しみを込めて接してくれ、だからこそ未咲も段々心を開くようになった。ほがらかで優しく、兄のように様々なことを教えてくれる。器量も良く、この村に歳の若い娘が多ければ、さぞモテたのだろうと未咲は思っていた。


 あとはネーミングセンスさえ良ければ完璧だったろうに。


 未咲は熊五郎を撫でながら苦笑する。「熊に似ているから熊五郎」と宗一郎は得意げに話していたが、こんなつぶらな瞳で思わず守ってあげたくなるような柴犬を「熊に似ている」とは、未咲には理解できない。

 柴犬を、名前とはいえ、熊と呼ぶのは如何いかがなものか。自分であれば何と名付けるだろう。未咲は考えにふける。


「うーん……ポチ。いや、単純すぎるかな」


 未咲も大概たいがいである。


「何してるの?」

「おわっ」


 背後から声をかけられ、未咲は飛び上がった。背中から可笑しそうに笑う声が聞こえる。

 未咲はブスッと不服そうな表情をして振り返った。噂の宗一郎が手の甲を口元に当てて笑っている。

 宗一郎の柔らかな栗毛が光の粒をまとってきらきらと輝く。山へ猟に出かけたり山菜を取りに行ったりしているからか、身体付きも細身ではあるが筋肉がついているとわかる。程よく日焼けをして健康的に見える宗一郎は、やはり未咲の世界でも所謂いわゆる「イケメン」に分類されるだろう。


「今日は山菜を採りに出かけたんじゃなかったの?」


 宗一郎との距離感は、彼の人懐っこい性格からか何だか近くて、人との関わり方に遠慮が入ってしまう未咲も気安く話すことが出来ていた。

 宗一郎は頭を掻いて、何とも言い難い表情を見せた。未咲はおや、と目を丸くする。


「いや、それがさ……」

「何かあったの?」

「うん……まあ」


 煮え切らない答えに、未咲は眉根を寄せて宗一郎を見つめる。


「俺たちが相手にしてるのは、まあ、山だし、たまにああいうことも起こるんだけど」

「うん?」

「でもなあ、何か、おかしかったんだよ」


 宗一郎は未咲の隣にしゃがみこんで、熊五郎の頭を撫でた。その表情はいささか険しい。


「最初に気づいたのは親父だった。『山の様子がおかしい』って言うんで、その場で立ち止まってさ。熊でも出るんかと思って警戒してたんだ」


 熊五郎が気持ちよさそうに、頭を撫でる宗一郎の手に擦り寄る。宗一郎の顔が厳しくて、アンバランスな光景に見えた。


「でも、特に何もないし、親父に気にしすぎだって言って、作業を再開しようとした。そうしたら」


 宗一郎の熊五郎を撫でる手が止まる。眉間にはぐっと皺が寄せられた。


「風もないのに、かえでが揺れたんだ」

「楓が」


 未咲はオウム返しに呟いた。楓とは勿論、人ではなくて木の種類であるが、最初はそうだとわからず宗一郎を笑わせたものだった。宗一郎をはじめ、村の人々はどんなに沢山の種類の木が生えていてもどれがどれだとわかるのだから凄いと思う。未咲には木の種類なんて判別出来ない。


「風って、その時だけ強くなったわけじゃなくて?」

「そうだとしたら、流石にわかるよ」


 それもそうか、と未咲は頷く。


「風は吹いていない。しかも、揺れたのはその木だけだった。普通、風が吹いたり、地震があったとしたらさ、周りの木も、草や花だって揺れるだろ」

「うん」

「でも、本当にその楓一本だけが大きく揺れたんだ。こう……根元の辺りから、枝葉まで、ガタガタと」

「誰かが揺らしたわけ、ないよね」

「うん。揺れた木の側には誰も何もなかった」


 確かにそれは異様な光景だ。未咲は心臓がざわつくのを感じた。

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